マスク症

文字数 1,818文字

「残念ですが、お子さんはマスク症です」
「ああ、そんな!」
「きっと、私がマスクをずっと付けていたからだわ!」
 無慈悲な医者の宣告に、夫のマークは頭を抱え、妻のシスはヒステリックに叫んだ。そして、シスの腕に抱かれる産まれたばかりの赤ん坊は、産声一つ上げず、ただひたすらに、目から小粒の涙を流している。
 なぜ、赤ん坊はこの世界に響き渡るほどの、大きな産声をあげられないか。それは赤ん坊の鼻から口を覆うようについている、白いマスクが原因だった。
「白いマスクに覆われた子供が初めて産まれたのはつい三か月前の事です。それから、続くように国中でマスク症の赤ん坊が報告されています。原因は、近年世界中で流行しているウイルスに感染することを防ぐために、人類が常にマスクをするようになったことだと言われています」
「そんなにお堅く説明してくれなくてもそのくらい知っているわ! マスク症になったら、話すことも食べることもできないんでしょう!」
 シスは医者の話なんか聞きたくないと言わんばかりに、両耳を塞ぎながらまたもヒステリックに叫んだ。
「そう悲観的に考えることはありません。マスク症にもメリットはあります。それは、今世界で流行しているウイルスに100パーセントの確率で感染しないことです。これは、人類の進化だという声もあります。というのも……」
「何を言っているの! 自分の子供の顔もちゃんと見れないなんて……こんな地獄はないわ!」
 医者が得意げな顔でメリットを提唱すると、シスは大きな声で医者を怒鳴り散らかした。その剣幕に気圧されて、医者は怖がるように肩をすくめて萎縮してしまった。
「治療法はあるのですか?」
 ここまで頭を抱えて黙っていたマークが縋るような声音で医者に訊いた。
「マスクが完全に顔に癒着してしまっていて、手術をしようにもできないというのが今の状況です……」
 それを聞いて、マークは自分の拳に力を入れてワナワナと震え出したかと思えば、次の瞬間にはその拳を大きく開き、両腕を天に掲げるようなポーズをした。
「ああ、神よ! どうしてこのような仕打ちを我が息子にするのでしょうか!」
 同調するようにシスも、天を仰ぎ見る。
「私はもう二度とマスクなんてしないわ! ですので、この子のマスクを取ってあげてください!」
 その二人の神頼みも病室に空しくこだまするだけで、すぐに消えてなくなってしまう。
 そんな事態が訪れるのも、もうすぐかもしれない……。


「……………」
 今しがた、自作の紙芝居を用いてマスクの不要性を訴えていた男が、警察に連行されていった。俺はそれを見て、呆れるように深いため息をついた。
 世界的に流行しているウイルスが猛威を振るいだして三年が経った今、マスクをしながら生活をすることが当たり前になったことにしびれを切らした人が、マスクをつけることを拒否しだした。それと同時に現れたのは、今のようなマスク反対派を募るような演説をする輩だった。
 それにしても、あんな手の込んだ演説をする奴は初めてだ。思わず立ち止まって、耳を傾けてしまったじゃないか。最近になって、演説の仕方がよくわからない方向に進んでいると思う。あんなオリジナルの物語を作る人まで現れるとは……。いや、マスク症ってなんだ。
 そして皮肉なことに、今の演説はどうやら好評だったようで、周囲にいた人々はマスク症が本当に発生してしまうかもしれないと恐れをなしている。
 それは隣で演説を聞いていた友人も例外ではない。ぷるぷると身体を震わして、足をガクガク鳴らしてしまっている。どうやら、もう頭の中ではマスク症が流行してしまったようだ。
「やばい。このままマスクをしているとマスク症になっちゃうかも……」
 哀れな友人をこのまま放っておくものかわいそうだ。友人の頭に重めのチョップを入れて、心の中でマヌーハを唱えた。
「マスクをしっかりつけて、すぐにウイルスの流行を抑えることができたら、マスクなんてつける必要なくなるだろ」
「あ……確かに。さてはあいつ、ペテン師だな!」
 どうやら友人にかかった幻術は解けたらしい。これで一安心だ。周囲の人にかかった妖術も解いてあげたいが、あいにくもうマジックポイントがない。一度宿屋に行かなくては。
 そんなくだらないことを考えながら、友人と共に帰り道を歩く。
 さて、どのようにして友人の顔とマスクをくっつける細工をしようか。
 今はそのいたずらの事で頭がいっぱいである。
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