一話完結

文字数 1,996文字

 教壇に立っていた塩川は緊張していた。いつもは騒がしい児童たちも大人しい。臨時教諭の塩川にとって、今日は初めての授業参観だった。教室の後ろには、おめかしをした母親たちに混じってスーツ姿の父親もいる。小学六年生の親ということもあり、皆三十代から四十代だ。
 塩川は上を向いて深呼吸をする。視線の先には【笑顔あふれる学び舎】と書かれている紙があった。この言葉はこの学校のモットーだ。職員室を出る前、塩川は校長から「当校のモットーを知ってますね。保護者たちも当校のモットーに賛同しています。それを忘れないで授業をしてください」と言われたが、どうすれば良いのか分からなかった。それでも始めるしかない。
「今日は熟語の一つである複合語について学びます。複合語とは二つ以上の単語が合わせて一つの単語となったものです。例えば、壁と新聞を合わせて壁新聞。君たちが作っている新聞のことですね」
 塩川は黒板に【写真】と書く。
「この単語を使った複合語を答えてください。分かった人はその言葉についても話してください」
 数人の児童が手を挙げた。
「桃香さん、答えてください」
「集合写真。遠足で撮りました」
「クラス全員で写しましたね」
 塩川が児童を見回すと、お調子者の翔太が両手を挙げて振っていた。
「では翔太君」
「心霊写真。遠足の写真の中にあったよ。髪の長い幽霊が先生の肩をつかんでた」
「えっ、本当! どの写真、どの写真?」
「今も先生の後ろにいるよ」
 塩川は慌てて振り返った。
「嘘でーす」
 父母たちがクスクスと笑う。
(翔太め! おちょくりやがって)
 塩川は平然を装い、次の児童を指名する。
「龍一君、答えてください」
「指名手配写真。父ちゃんが写ってた」
 いかつい顔の龍一の父が慌てて手を横に振った。
「違う、違う。犯人の顔に似てただけ」
 教室内がざわつく。龍一の父が助けを求めるように塩川を見ていた。
 塩川は黒板に【隙間】と書いた。
「今度は少し難しいですよ。答えられる人」
 小百合だけが手を挙げた。
「では、小百合さん」
「隙間風。パパとママの間に吹いてます」
 父母たちの視線が小百合の母に女性に集まる。小百合の母は恥ずかしそうにうつむいた。
「えー、難しかったので次の問題」
 塩川は黒板に【学生】と書いた。
「今度は簡単ですよ。分かる人」
 塩川は問題発言をしない児童を選ぶことにし、いつも大人しい彩を指名した。
「学生服」
「お兄さんが着ているのですか?」
 彩は首を横に振った。
「兄はいません。塾が急に休みになったので早く帰ったら、お父さんが学生服を着ていました。お母さんはセーラー服を着ていました」
 彩の母が顔を赤くして教室を出て行く。
「えーと、次の問題です」
 塩川が黒板に【植物】と書いて前を向くと、陽太郎が挙手していた。
「では陽太郎君」
「観葉植物。家には金のなる木があります」
「そういうことか。陽太郎ん家が何で金持ちなのか不思議に思ってたんだ。お金を作ってるんだから、金持ちなのは当然だよな」
 翔太は謎が解けたという風に首を縦に振っている。
「翔太君、正式名称は忘れましたが、金のなる木というのは俗称で、お金が実る訳ではありません。先生も育てていますから今度見せてあげましょう」
「見せてもらわなくてもいいや。金のなる木からお金ができたら、先生が貧乏な訳ないもんね」
(そこで納得したのか!)
 塩川が立腹していると、華子が小さい声で「先生」と言っていた。
「何ですか? 華子さん」
「金のなる木の正式な名前は縁紅弁慶です」
「よく知っていますね」
「パパが色々な観葉植物を買ってくるから」
「お父さん、植物が好きなんですね」
「違うんです。先生」
 声の主は華子の母だった。
「主人が観葉植物を買ってるのは、家の中で煙草を吸うためなんですよ。私と華子が嫌がってるのに屁理屈を言って止めないんです」
 華子の父が言い返す。
「屁理屈じゃねえ。観葉植物は酸化力で煙草の臭いを消すんだ」
「消えないから言ってるのよ! 観葉植物なんて邪魔なだけなんだから捨てなさいよ」
「何だと!」
 夫婦喧嘩が始まり、止める者はいない。塩川が困惑していると、戸がガラッと開いて、校長が入って来た。
「お互いに言い分はあるでしょうが、寛容な心で相手の話を聞くようにしましょう。観葉植物だけに」
 一瞬静まり返ったが、華子の母がプッと吹き出すと華子の父が笑い出した。保護者たちもつられるように笑い、児童も笑う。教室は笑い声で包まれた。
 校長が塩川に歩み寄り、耳打ちをする。
「これが笑顔あふれる学び舎です。手本にしなさい」
(えっ、駄洒落でいいの?)
 校長は戸惑う塩川を構わずに教室をそっと出て行った。
 笑いが収まった頃、児童がキョロキョロしだした。
「あれ、校長先生は?」
「校長先生は煙のように消えました。煙草の揉め事だけに」
 塩川が答えると、「上手い」との声が上がり、拍手が沸き起こった。

<終わり>
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