舌 

文字数 732文字




 焼肉でも付き合って。
 和志さんがいなくなったから、あなたも寂しくしているわね。
 そう姉を誘い、わたくしの前に座らせたのでございます。
 ねえ綾乃さん、タン元・タン中・タン先って部位によって味が違うのよ。
 わたくしは数時間前に冷凍庫から出しておいた肉を切り分け、網にのせていきます。
 タン先はよく動くから、歯応えがあって肉の味が濃いわ。 
 自分の舌を出し、ちろちろと左右に振ってみせます。
 タン元は、一番脂がのっていてジューシイよ。
 大きく口を開いてみせると、姉は瞬きもせずこちらを見ています。
 綾乃さんたら。
 わたくしは笑いだします。ちょっとおどけたように、芝居がかって。
 綾乃さんは昔から真面目だったわ。ほらお祖母さまが、悪いことをすると地獄へ堕ちるよ、嘘をつけば閻魔様に舌を抜かれるよ、って睨みつけると泣き出して。
 ねえ。
 

 わたくしのものだったはずなのです。
 それなのに和志さんは。
 酔っぱらったあのひとに馬乗りになって接吻したわたくしを、拒絶なさったのです。
 綾乃だけが僕の妻なんだ。
 そんなの嘘。閻魔様に舌を抜かれるわよ。
 夢中で、わたくしは、
 あの感触、
 歯応え、
 いつだって思い出せる。

 
 このタン、まるで噛みちぎられたみたいな形じゃなくて。
 わたくしは上目遣いに姉を見ます。
 肉の焼ける音が蠅のごとく鼓膜にたかり、
 舌で迎え入れたこれは、わたくしのもの。
 恍惚の薫り。
 息苦しいほど。
 
 それもそのはず、
 何かがわたくしのくびへぐるぐると巻きついているのです。
 姉の口からにゅう、と
 真っ赤な、
 リビングのテーブルの向かいに置いた黒枠の写真から舌が。
 
 あなたにはあげない。
 沈んでいく意識の底で姉の声が聞こえたような気がいたしました。

<了>
  
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み