第20話 苛立ちと桜前線

文字数 4,297文字

 ネパール人は、概して時間にルーズだ。

 知り合いのネワール人に、親戚の結婚式に招待された時にも実感した。
 ネワールの女性は、人生において3度の結婚を経験する。1度目は木の実と、2度目は太陽と、そして3度目にやっと人間の男性との結婚を果たす。

 木の実は、ベルと呼ばれる。小型の人間の頭のような生々しさを感じさせる造形だ。ココナッツの一種だが、傷んだり腐ったりしないことから、永遠の存在である神(守護神ヴィシュヌ)の象徴とされる。



 人間は、いずれ死を迎える。たとえ3度目の結婚相手である人間の夫が先に死んだとしても、ヴィシュヌ神と太陽はずっと夫であり続ける。つまり、ネワールの女性は、決して独りにならず、生涯を通して守護された存在だ。

 ネパール語科の日本人留学生と一緒に、時間通りに式場へ行った。ゲストが誰も来ていないばかりか、まだ会場の設営すらできていなかった。ゲストがちらほらと着始めたのは、開始時刻から1時間も2時間も経った後だ。時間通りの到着が礼儀だという考えは、ネパールでは通用するとは限らない。

 3人の7歳前後の女の子の合同結婚式だった。経費削減のために、同じ年ごろの親戚の女の子を纏めて結婚式を行う場合が多い。幼い新婦の前に列を作り、挨拶に行く。赤地に金の飾りがたくさんついたドレスを着た新婦たちが、はしゃいでいる。それぞれの手には土器の深皿を持っており、中には新郎(つまり木の実)が入っている。新婦が動くたびに、皿の中の新婦がゴロゴロと転がる。

 結婚式では早く着き過ぎて恥をかいた訳だが、ネパールでは何事においても、時間の順守は期待できない。バスは遅れて当然。商店も開店時間が定まらない。
 ディーパが授業に必ず遅刻するのも、お国柄からすれば、当然なのだろうか。

 篠田さんがいなくなり、最初は4人いた生徒も、ついに私1人となった。

 約束どおり、学長はディーパを教師として残してくれた。
 ちなみに学長は、今年度で役職を辞すそうだ。ディーパの説明によると、学生たちがなんやかんやと文句を言ってくるので、「もう学長は()()り」と、すっかり()ねているのだ、とか。

 ディーパとマンツーマンの授業はさぞ(はかど)るかと思いきや、現実はそう上手くはいかなかった。

 私はディーパが毎回遅刻してくる点に、苛立ち始めた。なんだかマンツーマンになってから、余計に遅刻が酷くなったような。カルロスのように、教師の遅刻を指摘する生徒もいない。強く出られない私の性分をいいことに、ディーパは甘えてるような気がしてならない。
 
 他にも、想定外の問題があった。

 ディーパの年齢は、私の2つ下だ。年が近い分、友達みたいな感覚になり、互いの関係に甘えが出てきた。授業のほとんどが、サンスクリットでディーパの愚痴を聞く時間になった。

 若い時分に結婚をしたディーパには、子供が3人いる。(ちなみにディーパはネワール人ではないので、木の実と結婚はしていない)
 子育てと仕事に追われる日々だが、本当は、もっと勉強したいようだ。自分の優秀さに気付いている分、現状への不満が(はら)の中に渦巻いている。

「宏美は、いいよね。自由だから。チャンスに恵まれてる」
 羨望(せんぼう)の言葉の裏には、「私のほうが優秀なのに」との(そね)みの(とげ)が含まれるように感じた。

 親戚に対する不満も散々、聞かされる羽目に。あの人の結婚のときにはお祝いでフライパン・セットを贈ったのに、こちらの結婚のときには何もくれなかった、とか。

 サンスクリットの文献には、神々の登場する素敵な物語が幾つもある。せっかく神が人間に与えてくれたサンスクリットで、不平不満ばかりを耳にする状況が苦痛だ。授業中の貧乏揺すりが止まらない。

 もしかするとディーパも、私と2人の授業に気詰まりを感じているだろうか。なるべく授業時間を短くしたくて、遅刻を繰り返している可能性も考えられる。

 授業の参加に意味を見出せなくなり、退学も考えた。が、学級崩壊にも耐え忍んできたのだから、修了証書を取得したい。
 自分だけの問題ではない。私が辞めたら、ディーパも困るはずだ。1つの仕事を失った分、収入が減る。教師としてのキャリアにも傷が付くだろう。

 心のモヤモヤが、日増しに大きくなっていく。

 教室で、ディーパの到着を待つ。
 授業開始から、20分が経過。まだ来ない。
 窓から校庭を眺める。
 腕時計の文字盤に目を落とす。30分は待つと決めた。9時半になっても来なかったら、帰ろう。でないと、ギスギスして、ディーパに不満をぶつけてしまいそうだ。

 25分が経過したところで、校舎へ歩いてくるディーパの姿が見えた。
 良かった。ボイコットせずに済みそうだ――安堵したところで、ディーパが校庭の真ん中で立ち止まる。近づく学長。2人の立ち話が始まる。
 腕時計の針は刻々と動き、ついに9時半を指した。
 教科書をリュックに仕舞い、そっと教室を抜け出した。

 初めて授業をサボった。
 ネット・カフェに立ち寄り、日本のニュース・サイトを閲覧する。トップ・ページの中心を占める記事には、大きな文字で「桜前線、到来」と書かれていた。

 ネパールでは、テロの爆撃で物騒なニュースが続いている。一方、日本では、一番のニュースが桜前線だ。平和なのか、深刻な問題を隠しているのか。どちらにしても、薄ら寒さを感じる。私が1年間、不在にしている間も、日本は相変らずだ。

 ディーパからメールが飛び込んできた。
『今日は、なんで授業に来なかったの?』
『ひょっとして、遅刻を怒ってる? 学長に呼び止められて、話に付き合ってたのよ』
『お願い、宏美。返事をして』
 新着メールが増えていくが、面倒になって、返事を放棄した。

 翌日、ディーパは5分遅れで教室に来た。いつもに比べたら(すこぶ)る早い到着だ。
「昨日は、なんで来なかったの? 事前連絡もなかったけど?」ディーパの瞳が揺れている。私の機嫌を窺っているのだろう。
「来なかったのは私ではなく、あなたでしょうが」
 怒らず、冷静に答えるつもりだったが、語気の強さに苛立ちが表れたようだ。ディーパの笑顔が固まった。

 以来、ディーパと私の関係は、決定的にギクシャクし始めた。授業の合間の休憩時間は、別々に過ごすようになる。

 休憩時間は決まって学食に行くが、ディーパは意図的に私から離れた席に着く。ネパール語科の教師とネパール語で雑談して、表面的には楽しそうに見える。

 残された私は、惨めだった。昼休みに避けられて、一緒に弁当を食べてもらえない(いじ)められっ子になった気分だ。日本語科のネパール人の学生たちが、よく話し掛けてくれた。明るい受け答えを心掛けたが、内心は鬱屈(うっくつ)している。休憩時間が終わると、冷え冷えとした関係を隠し、マンツーマンの授業に挑まねばならない。

 ディーパには、私がこんなにも苛立っている理由がわからないだろう。内心、「ちょっと遅刻したぐらいで、何をそんなに怒るのか」と疑問に思っているかもしれない。

 違う。原因は、ディーパではない。私自身の問題だ。日頃の鬱憤(うっぷん)や、日本への帰国が迫る恐怖心から、神経質になっている。

 そう、帰国が怖い。

 自分の境遇と重ね合わせるからだろうか――帰国する日本人旅行者の姿を目にする時も、切ない気持ちになる。
 人恋しくなると、《トモダチ・ゲストハウス》に寄って、従業員や日本人宿泊客と雑談をしていた。長期滞在している人たちとは仲良くなるが、彼らもやがては帰っていく。帰国する人が出るたびに、心が揺れる。《トモダチ》に横付けされるタクシー。帰国する人が乗り込み、空港へと向かう。私は残った宿泊客や従業員たちと一緒に、去り行くタクシーを見送る。
 葬式の気分だ。霊柩車を見送りながら、親戚同士で「順番だから。いずれは皆が辿る道だよ」と慰め合うときの気分に似ている。次は、私の番だ。

 帰国後は、どうやって生きていこうか。

 ネパールへ来る2年前、つまりは25歳の時。
 大切な人との別離を経験し、私の心の一部は死んでしまった。

 人間の身体には、自然治癒力が備わっている。怪我をしても、そのうちに治る。だが、重症の怪我を負った場合、元に戻らない場合もある。

 心も同じだ。ショックの後遺症として、何事につけても心から喜べなくなった。

 もちろん、嬉しい出来事はある。が、ショックな出来事を経験して以来、喜んでいる自分を冷ややかな目で見ている自分がいる。傍観者である自分は、「気持ちが上がった分、落ちた時に痛いぞ」と忠告する。

 仏教には〈中庸〉との言葉がある。何事につけても、喜び過ぎない、悲しみ過ぎない。ちょうど真ん中にいるバランス状態を指す言葉だ。
 中庸の概念を知ったとき、釈然としなかった。魅力を感じなかったのだ。「中庸を守れば、苦しみは減るかもしれない。でも、心から喜べなくなる代償を払わされる。喜びが減るなら、そんな知恵は要らない」が、率直な感想だった。

 皮肉にも、自分の意思には関係なく、地で中庸が身に付いた。

 私は大切な人の傍にいることしか考えていなかったので、別離の運命に遭った後、生きる意味がまったくわからなくなってしまった。

 日本の大学と大学院で、長いこと言語学と外国語を学んできた。学習過程で把握した事実を発表しよう。
 幾ら語彙を増やしたところで、相手に想いが伝わらない虚しさからは逃げられない。
 叫べば叫ぶほど、伝えたい想いとは遠ざかっていく。たった1人の大切な人の心すら繋ぎ止める言葉を持たないのに、言語学の学びに何の意味があるだろう?

 それでも前を向いて生きていかなければ、と足掻(あが)いた結果、サンスクリット留学を目標にすると決めた。1年間、働いて資金を稼ぎ、なんとかネパールの土を踏んだのだ。

 留学を通して、自分の中で何かが変わると期待していた。サンスクリットについて熱く語れる仲間や、新たな生きる目的が発見できるかもしれない。

 実際は、何も変わらない。
 教室では仲間が見つかるどころか、争いが絶えなかった。
 留学生活が終わりを告げる時期になっても、私は弱いままだ。

 貯金残高は、4万円。
 帰国せずにインドを放浪することも考えたが、いずれは(しかも近いうちに)資金は底をつき、どっちみち帰国を余儀なくされるだろう。いつまでもは逃げられない。

 悩みを抱えながら、気詰まりする授業に出る。欠席は、怒って帰ったあの1日だけだ。

 忍耐の出席を続け、ついに修了証書を手にした。

 最終日、ディーパに感情の籠らない礼を述べる。互いに笑顔で別れたが、本音を隠し合う余所余所(よそよそ)しさを感じた。

 (わだかま)りを残しつつ、大学を去った。
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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