第2話 検査をしたら自然妊娠は100%無理そうだったので、不妊治療をした話。

文字数 3,499文字

 妊娠を希望しながら一年経っても子供が出来ない。それが現在の不妊の定義である。余談だが、もっと前は二年だったらしい。

 時は更に遡り、二〇十六年、夏の終わり。主に「子供が欲しい」という理由で結婚をしてから一年が経っていた。私の結婚とほぼ同時期に、同級生の結婚が三件あった。そのうち二人は、一年も経たずに妊娠している。私は未だ妊娠していない為、焦りを感じていた。元々、気になったことはすぐに調べ、思い立ったら即行動という単純な性格の為、結婚後半年くらいから不妊治療に関して調べはじめ、クリニックの目処まで既につけていた。そうして満を持して私は夫に不妊治療について切り出したのだった。
 不妊治療に関して、否定的な男性も多いと聞く。精子の検査をするのを避けたがったり、自然な妊娠以外をあまり良く思わなかったりするらしい。夫はどうだろうか。まずは不妊の定義について、我々はそろそろそれに当てはまることについて、近くの病院で説明会を行っているらしいのでまずはそれに行きたいということについて、そして掛かる費用について――費用に関してはこれを書いている二〇二二年十二月現在、保険がきくようになっているためそこまで莫大な金額は掛からないそうだ。ただ、この時はまだ保険が適応されていなかった――段階にもよるが、余裕で三桁掛かるケースも多いらしい。原因が私にあった場合は私が全額払うと付け加え、話を終えた。夫の返事は「いいよ!」の一言だった為、その場で直近の説明会を予約した。話が早くて助かった。
 隙あらば自分語りで申し訳ないが(そもそもエッセイ的な日記なので元々自分の話しかしていないといえばそうだが)夫との結婚も雑談中に「あ、こんなに私の話を聞いてくれる人他にいないし見た目も声も好きだし最高では」と感じた私が突然「結婚して下さい」と発言し、勢いに押されたのか夫も「いいよ!」と返事をし、交際期間ゼロで決まったのだった。何もかも話が早い。人生、そんな感じがベストだと常々思っている。

 話が逸れたが、一番近くの不妊治療専門のクリニックは、治療を希望する場合は必ず夫婦で初回の説明会を受けなくてはいけなかった。そして、まずは男性側の検査、次に女性側の検査、と決められた順番で検査や治療が進んでいく。シンプルでわかりやすく、また男性側も覚悟が決まっているカップルのみが受けられるシステムが気に入った。
 夫は「よっしゃ早く検査して欲しい」と説明会前からノリノリであった。説明会では睾丸サイズの玉を参加者内で回して説明を受けたりなどしたが、私達以外は至極真面目な顔をしていて、私達だけ「きんたまw」「きんたまw」と最後列でコソコソ笑い合っていた。覚悟は決まっているが精神のレベルは二人とも小学生なのだ。しかしなぜ主に男性面の性的な事柄をこうして軽んじて笑いの種にするような風潮があるのだろうか。笑っておいてなんだが、あまり良くはないのではないか。けれども男の子を出産して育てながらこれを書いている四年後の今、息子はよく自分のちんちんを笑いの種にするし「おしり」だとか「うんち」だとか言いながら笑うのも大好きだ。人間の本能に基づいた何かなのだろうか。きっとその答えをご存じの方も沢山いらっしゃるのだろう。私はまだ未熟な人間なので、と言い訳をするのも苦しい年齢になってきたので、今度きちんと調べて考る機会を作らなくてはと思う。

 話を再び戻そう。説明会後はつつがなく申し込み、夫の精子の検査が済んだ。結果、夫側は問題無し、とても良い状態であった。次に私の検査。しかし問題は無い。一つだけ懸念があるとしたら、卵巣年齢だった。
 私は出産を終えた今でこそ余分な肉があちこちについている体型となっているが、この時点では赤子の時点からずっと痩せ型で生きてきていた。BMIは17,3。もっとも痩せていた時期は16,45といった数値だった。月経は規則正しく来ていたし何も問題は無いと思っていたのだが、医師曰く「ずっと痩せ型だった人は卵巣年齢が実年齢より高いことが多い」とのこと。実際、私の卵巣年齢も実年齢より高かった。
 さて、思わぬところで不安な要素が出てきてしまった。それじゃあ尚更早く妊娠したほうが良いのではと焦りつつも、問題が無いのになぜ妊娠しないのかが疑問だった。そこでインターネットで検索をし、ある可能性に辿り着いた。
「抗精子抗体、つまり体内に入った精子を異物と認めて排除してしまう抗体を持っている可能性」である。実際、不妊の原因が不明だったがこれであった、という事例がいくつも出てくる。
さっそく病院に電話し、抗体を持つ可能性を調べる為のフーナーテストを希望した。簡単に言うと、生々しい話で申し訳ないが、性交後あまり時間が経っていない状態で体内に入っている精子の様子を調べるというテストである。結果はすぐに出た。人よりも元気で優秀である筈の精子は、放出されてあまり時間が経っていないにも関わらず、私の中で無残にも全滅していた。
 その結果を受け、抗精子抗体の血液検査をしたい旨を伝えた。医師は「そんな抗体を持っている人は少ないし可能性低いよ」と乗り気ではなかったが、渋々認めてくれた。
 翌週、結果を聞きに行った。SIV値という抗体の値が2以上だと陽性、20以上だと強陽性とされる。私の数値はというと、98だった。98て。絶対精子殺すマンじゃないか。ショックを通り越して笑ってしまうわ。
 ともかく、強陽性だった場合は顕微授精が推奨されるらしい。ということで、すぐに顕微受精にチャレンジすることにした。
 顕微受精に関して詳しく説明しているといくら文字数があっても足りないので簡単に工程を書いていく。知っている方は飛ばして読んで頂きたい。方法は大きく三つに分けられる。

1,排卵誘発剤を使わず自然に出来る卵胞を採取し、シャーレの中で人工的に受精させる
2,経口の誘発剤を使い出来た卵胞を採取し、以下同文
3,注射による誘発剤を使い出来た卵胞を採取し、以下同文。

 1の方法がもっとも身体に負担が掛からないけれども成功率も下がる方法。3がもっとも身体に負担が掛かるけれども成功率、つまり成熟した卵胞が取り出せる確率及びその数が上昇する方法である。私は迷わず3を選択し、毎日注射を打ちに、電車を乗り換えて不妊治療専門クリニックに通った。
 身体への負担、副作用は思ったよりも大きかった。毎日眠くて怠い。頭がぼんやりする。身体が重い。注射を一本打つ度に、身体が変わっていくような気分になった。不安と、自分で選択したものの、もう覚悟を決める前には戻れない、という言いようのない恐怖に追われているようだった。在宅メインとはいえそれなりに量をこなしていた仕事に対する気力も衰えてきて、昼寝の時間が増え収入は減った。
 ここまでして子供欲しかったっけ、なぜこんなしんどい思いをしているんだろう。自問自答しつつ、しかし仕事でも趣味でも疲れるとすぐそういった考えに突入しがちな自分の思考の癖を思い出し、とにかく先に進み続けようと思った。

 結果として、幸運なことに一回目の採卵、顕微授精で妊娠をすることができた。
 余談だが、採卵の際に初めての全身麻酔を受けた。悪夢を見るだとか気持ち悪くなることがあるという前情報にハラハラしていたが、スゥと深い眠りに入ってスッキリ起きることができた。目覚めたあとの爽快さと、夢も見ず途切れた記憶という寝方は、生徒時代の数学の授業を彷彿とさせた。

 このあと、順調に妊娠生活を送り、里帰り出産をしたりして、再び夫と暮らす県に戻りゆっくりと子育てをしていくのだ。
 この時の私は、これでやっと常々持っていた「子供を持って幸せに平凡な人生を生きる」という夢が叶うのだと浮かれていた。
 何が平凡なのかとか、子供がいる=幸せというのは単純すぎる、そんなわけがないだろう、とか、そもそも自分の幸せの為に子供を作りたいと願うのは子供に対して勝手ではないか、思い込みや自己愛が過ぎる、とか色々自分に対してツッコミをしたくもなるが、この時の私はただ、ぼんやりと思い描く夢に向かって一歩を踏み出したと信じて疑わなかったお花畑女だった。現在の私はこの頃の自分に対して、何も考えていなかったんだなぁ、としか思えない。
 とはいえ現在も普段はあまりものを考えながら生きてなどいないので、基本的には変わっていないかもしれない。自分が愚かな人間だという自覚はあるのでどうか許してほしい。愚かなりに、自分と、自分が接する人間くらいは幸せになって欲しいと日々願いながら生きている。
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