第1話 桃太郎って何だっけ?

文字数 1,260文字

「お前、本気で小説家を目指すのか? マジかよ」
 会社を辞めるときによく言われた言葉だ。そして、続けて「物語を描くだけで稼ぎになればいいよなぁ」という、「競争率の高い不労所得を得られる商売」のようなイメージが続く。なかには「いいなぁ。俺も小説の一本でも書いてみるかな。実は、構想はあるんだ」と言う奴までいる。

 小説を書くというのは簡単な話ではない。心得のある人は、よく「とにかく何でもいいから一本書き上げることだ」という。
 例題があるので、やってみよう。

【『桃太郎』を書いてください】

 いわずと知れた日本の伝統的な童話だ。うろ覚えながら、パソコンに向かって頭のなかにあるストーリーを打ち込んでいく。僕がやってみたところ、台詞なしで六百字、五分。まぁまぁか。だが、ただそれだけのことでも、苦痛に思う人がいる。もちろん、そういう人は向かない。字数に対して時間がかかりすぎる人も向かないだろう。では次の課題。

【台詞や情景を足し、掘り下げてください】

 なるほど。桃太郎たちが住んでいる村はどんなところ? 山奥? 漁村? おじいさん、おばあさんは、何歳なんだろう。昔の人は今ほど長生きではないから、五十歳ぐらいか。そのまえに「柴刈り」って何だ? それは収入になるのか?

 こう考えていくと、どれほど絵本のイラストにディテールを補完されていたのかを実感する。そこを文字で補うのが小説家だ。
 考えながら書いたので千八百字だが四十五分もかかってしまった。さぁ、さらに細部を掘り下げよう。

 そもそもなぜ桃なんだろう。どっかの学者が「桃は女性器のメタファーだ」と言ったこともあるが、それさえもよく考えると意味不明だ。
 桃太郎が鬼退治をするモチベーションは? 困っている人を助けたい正義感……だけだと感情移入しにくい。鬼に幼馴染を殺された復讐? ありきたりすぎる。近年、流行ったアニメも、導入は似たようなものだ。
 吉備団子と引き換えに冒険に出る猿、雉、犬にもエピソードが必要か。出会う順番にも意味があったほうがいい。そういえば、この動物たちの性別は何だ。振り返ってみると、おばあさん以外、みんな(オス)なのか。ヒロインにするなら雉だろうか。いや、鳥類を女性とするのは先入観かもしれない。

 鬼のイメージは? 『アンパンマン』のバイキンマンか『北斗の拳』のジャギかで、ストーリーのテイストが変わる。童話ベースなら前者でもいいが、後者なら荒涼かつダークな世界を描写していくことになる。
 そもそも鬼の目的は? 金銀財宝を溜め込んで何をする気だったのだろう。宝に囲まれた生活? ならば、鬼ヶ島はおどろおどろしい場所ではなく、絢爛豪華な島であるべきだ。そうではなく実利のためだというならば、鬼は宝物で商売をしていたことになる。算盤と帳面を持って貿易をする鬼? ……それはアリなのか?

 こうして細部を考えていく作業は選択の連続だ。まるで人生だ。選択の結果をハッピーととるかバッドととるかは主人公次第、読み手次第。願わくば波乱万丈な生き方を……と思って、ふと気づいた。
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