第1話 食べる

文字数 2,351文字

 リリリリン、リリリリン。

 目覚ましのアラーム音が部屋中に響き渡る。

 この音はわざと人間が不快に感じるように作られているらしいが、実に効果的だった。

 大木萌子は顔を上げる、時計の針は朝の七時を指していた。

 ところどころ穴の空いた布団を頭から被り、目を閉じる。

 あと五分だけで良いから夢の世界にいたい、現実なんて見たくない。

 鳴り止まないアラーム音に負けて渋々体を起こした。

 今日も何の成長もない無駄な一日が始まる。

 いや、ここだけは成長しているか、段々に重なった腹の肉を掴みながら自嘲気味に笑う。

 体重計の上に乗る。液晶画面に表示された数字がグングンと上がっていき、七十八キロで止まった。

 思わず大きなため息が出た、肺から大量の空気が抜けた事により体重が少しだけ減った気がする。

 念のためもう一度だけ液晶画面に目を向けてみたが、当たり前のように数値に変化は無かった。



 ベッドに寝転がりながら、時計を見上げると間もなく夜の十二時になろうとしているところだった。

 まだ、夕飯を食べてから四時間しか経っていないのに腹が減っていた。

 どうしようも無く腹が減ったのだ。

 何か食べようかと思ったが、今朝の体重計の数値が頭をよぎって躊躇してしまう。

 こんな時間に食べたら太ってしまうだろうか?

 分かりきった疑問に「太るに決まってんだろ!」と、声に出して自分にツッコむ。狭い室内に虚しく声が反響した。

 一年中この部屋の中だけで過ごす私にとって、食事は唯一の楽しみだった。

 すぐに寝てしまえば何も食べずに済むが、今日もたっぷりと昼寝をしてしまったせいで全く眠気を感じていない。

 睡眠時間が短くなる事に関しては何の問題も無い。

 どうせこの部屋から出られない私には予定なんて何も無いからだ。

 とりあえず、寝転んだ状態から起き上がろう。

 上半身を持ち上げようとしたが上手くいかず、仰向けの体勢に戻ってしまった。

 大きく膨らんだ腹が邪魔なのか、腹筋が無いからなのか、恐らくそのどちらも原因なのだろう。

 気を取り直し、再挑戦する。

 寝転んだまま足を上に振り上げ、下ろした反動で腹筋に力を入れる、手の反動も使って何とか起き上がれた。

 はぁ、疲れた。ただでさえお腹が空いているのに余計にカロリーを消費してしまった。

 ベッドから降りて、すぐ近くにある冷蔵庫を開ける。

 決して何かを食べるわけではない、何が入っているのかを確認するだけだ。そう自分に言い聞かせる。

 開いた冷蔵庫の扉の内側には、炭酸飲料とオレンジジュースのペットボトルが立っていた。

 冷蔵庫本体の棚は三段になっており、上段にはマヨネーズなどの調味料、中段にはパックに入った惣菜、下段にはプリン、ゼリー等のデザートが並んでいた。

 冷蔵庫を閉める。念のため、冷凍庫も確認しておこう。

 冷凍庫内には冷凍食品が隙間なくぎっしりと詰まっていた。上段にはアイスが何種類か入っている。扉を閉める。

 続けて、キッチンの流し台の下にある棚を開けた。

 カップラーメンとパックのご飯、パウチになったレトルト食品、それにチョコとスナック菓子があった。

 なるほど、なるほど。そういう感じね。

 無限に湧き上がる食欲と葛藤しながら、狭い部屋の中をうろうろと歩き回っていると、部屋の隅にある大きな体重計が目に付いた。

 良い考えを思いつく。

 今朝計った時の体重である七十八キロから少しでも減っていたら、食べても良いという事にしよう。

 そうと決まれば、体重計に急いで近寄る。

 急に乗ると数字が大きく動いてしまう気がするので、出来るだけゆっくりと台の上に立った。

 数字が急速に増えていき、七十九キロと表示された。思わず天井を見上げる。

 どうして一日で一キロも増えているの?

 今日はそんなに間食もしてないはずなのに、こんなのおかしいよ。

 あぁ、もうすぐ八十キロの大台に乗ってしまう。

 足音を立てながら乱雑に台から降りる、ストレスで余計にお腹が減った気がする。

 どうしよう、がっつり食べるのはダメだけど・・・・・・。

 冷凍庫を開けてバニラ味のアイスを一本抜き取る、背徳感と一緒に包装されたビニールの袋を破り捨てた。

 アイスの先端を齧った途端に甘味とひんやり感が口の中に広がり、脳が喜んでいるのを感じた。

 美味しい、悩みなんて全部忘れて、このままアイスと一緒に溶けてしまいたい。

 ベッドに座り、アイスを食べながら部屋を見回す。

 五畳程度のスペースに二段ベッド、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、テーブル、小さな流し台が付いたキッチン、そして大きな体重計が置かれている。

 歩けるスペースはほとんど無い。

 部屋には小さなユニットバスが付いており、まるで格安のビジネスホテルのような部屋だ。

 テレビからはもう何十回も見たアニメ映画が流れていた。赤い飛行機に乗り、サングラスをかけたダンディーな豚が活躍する物語だ。

 ちょうど有名なセリフのシーンだった。

「誰がただの豚だよ!」と、テレビに向かって文句を言う。なんか以前よりも独り言が増えた気がする。

 気がつくともうアイスを食べ終わっていた、手に残った木の棒を名残惜しげにペロペロと舐めてから、ゴミ箱に向かって投げ捨てる。

 アイスを食べている時はあんなに幸せだったのに、食べ終わると同時に気持ちが沈み始める。

 結局また食べてしまった。

 そういえば、姉もこのアイスが好きだったな。

 二年前に姉がこの部屋を出て行った時の体重も、たしか八十キロを超えたあたりだった。あの時の姉に年齢も体重ももうすぐ追い付いてしまう。

 姉とこの部屋で一緒に過ごした三年間が、今までの人生で一番楽しかった時期だと思う。

あいつらに出会わなければ、あんな事が起きなければ、この部屋に閉じこもる事も無かったのに。
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