文字数 4,465文字

 電車を三本乗り継いで、埼玉県の三郷駅に着いた。
 結婚していて子供も二人ぐらいいて会社もそれなりに安定している人なら、こんな街に家を買って住みたいと思うのかも知れないが、そのどれにも当て嵌まらない僕には、川っぷちの退屈な街にしか見えない。来る途中、武蔵野線の窓からは田圃が見えた。府中も田舎だから畑はあるが、田圃を見たのは久し振りだった。次に引っ越すとしたら、こんな平べったい街は嫌だ。田舎で生まれた僕は、やはり都心に憧れる。
 改札を潜って駅の北側に出ると、空ばかりが目立った。東京都と接している事が、信じられない長閑さだ。タクシー乗り場には、客の姿はなく、暇を持て余した運転手が、煙草を吸いながら談笑している。
 南口に行ってみると、こっちの方が幾分栄えているようだ。バスロータリーを囲むように雑居ビルが並び、コンビニも牛丼屋も安いコーヒーチェーン店も大手居酒屋チェーン店も一通り揃っている。少し歩くと江戸川のすぐ脇にそこそこ大きなショッピングセンターがあって、スーパーや百均ショップやゲーセンや本屋が入っていた。でも、それだけだ。
 もう一度改札の辺りまで戻って、ポケットからメモを取り出した。交番で道を聞こうと思ったが、なんと無人だ。尤も、警官がいたら、それはそれで拙かったかも知れないけど。人の墓に勝手に骨を納めるのは、一体どのくらいの罪になるのだろう。途方に暮れて周囲を見回すと、改札の真ん前に周辺地図の描かれた看板があった。地図の中の住所を探す。
「ないじゃん」
 駅名と市名が同じだったから、計画ゼロでここまで来たが、もしかすると降りる駅を間違えたかも知れない。やはり今日の所は諦めて、後日ちゃんと体勢を整えてから出直した方が賢明だろう。携帯電話で時間を見ると、まだ午後一時過ぎだ。この辺で昼飯を食べて新宿に移動しても、まだ充分勝負出来る時間だ。
 やめた。
 バスロータリーの向こうに回転寿司屋が見える。あそこに決めた。ボーナスも残っているし、たまには少し高い絵皿も取ろう。大して交通量もないロータリーを真っすぐショートカットしようと左右を見ると、右から小ぶりな路線バスが来て、目の前で停まった。
 奇跡を通り越して、まるで漫画だ。バスの横面に表示された経由地の中に、メモと同じ地名がある。
 乗車扉が開き、運転手が僕の顔を見た。日本人が思ういい人のイメージを形にしたらこうなりました。そんな顔をした初老の運転手が、にっこり笑って頭を下げた。僕は愛想笑いでそれに答え、吸い込まれるようにバスに乗り込んだ。
 導かれているとしか思えない。バスは僕一人を乗せて、ロータリーを半周し、通りに出た。
 寿司屋が遠くなって行く。
 駅から離れるに連れ、建物の高さがどんどん低くなり、一戸建ての住宅が目立ち始めた。たまに通り過ぎるコンビニの駐車場は、サッカーが出来るぐらい広い。僕の田舎もそうだが、この街では車がないと何も出来ないのだろう。歩いている人は少なく、都心では見た事のない、腰の曲がった老人を見た。
 二十分程走って、バスは目的地に着いた。バス停の周りには、ファミレスが一軒あるだけで、店らしいものはまるでない。
 電柱に表示されている住所からすると、墓のある寺はそう遠くなさそうだ。地元の人に聞いてみようと思ったが、電柱と電線ばかりが目立つ寂れた通りには、誰もいない。バスの時刻表を確認すると、一時間に二本しか走っていない。次のバスは二十五分後でそれを逃すと次は一時間後だ。
 取り敢えずちょっとだけ歩いてみるか。
 僕はまた無計画に歩き始めた。容赦ない夏の日差しが、僕の腋の下と背中を湿らせ、歩くリズムと同じ拍子で濡れた背中を骨壺が叩いた。
 こんな街に墓のある立花省吾という男は、一体どんな奴だろう。ヨシユキが同じ墓に入りたがると言う事は、奴もオカマなのかも知れない。元カレか。だとすると凄い執念だ。同性同士の結婚が許される国もあると聞いた事があるが、日本でそれは不可能だ。同じ墓に入りたければ、勝手に入れるしかない。でも何で僕が? 僕にはまるで、関係ない事だ。
 ぶつぶつ言いながら知らない道を歩き、気が付くと、寺の前にいた。
 永長寺。
 あっけなく辿り着いたそこは、ありふれた普通の寺だった。念の為電柱の住所を見ると、番地までぴったりと合っている。間違いなくここだ。ふと見上げるとその電柱には広告看板が付いていて、〈お花のことなら立花花店へ〉と書いてある。偶然だろうと思いながら一本隣りの電柱を見ると、〈髪のことなら理容たちばな〉。逆隣りの電柱の看板は、〈墓石のことなら立花石材店〉だ。
「立花だらけじゃん……」
 本堂の前には駐車場を兼ねた未舗装の広場があり、その中心に植えられた柳の巨木が、風に緑の葉を揺らしている。広場の端に一台だけ、ワンボックスのファミリーカーが停まっているが、辺りには人気がない。ぐるりと周囲を見回してみても肝心の墓場が見付からない。僕は足音を発てないように注意しながら、本堂の裏に回り込んだ。住職が住んでいる家だろうか。本堂に隠れるように古い日本家屋が建っていて、二本の蘇鉄に挟まれた玄関には、〈立花〉と表札が出ている。首を傾げて駐車場に戻ると、線香とチャッカマンを持った家族連れが現れた。どうやら、墓場は道の向こう側にあるようだ。両親に手を引かれよちよち歩く男の子が、僕の顔を珍しそうに見た。リュックを背負って一人で歩く汗だくの僕は、両親の目にどう映るだろう。まさかリュックの中に骨壺を持っているとは思わないだろうが、怪しい事には違いない。
 ファミリーカーの窓に顔をくっつけて僕を見る男の子に愛想笑いをして、道に戻ると、向かい側の塀の上から、墓石が頭を出しているのに気が付いた。
「何だ、ここかよ」
 塀の切れ目に短い石段がある。登って見ると眼前に二十メートル四方ほどの墓場が現れた。
「ふざけんなよ……」
 ヨシユキにおちょくられているとしか思えない。どの墓を見ても立花家之墓。立花家以外の墓は、殆ど見当たらない。点けて間もない線香が燃えている墓も立花家之墓で、さっきの家族は間違いなく立花さんだ。
「立花だらけじゃん」
 幾つかの墓石に、真新しい花が手向けられている。そう言えば、お盆が近い。きっと旅行や仕事でお盆休みに来られない人が、少し早めの墓参に来るのだろう。となると、こんな日に他所様の墓石を弄るのは、危険この上ない。陽はまだ高く、墓石の影も短い。
「こりゃ、危険だな……」
 背中の骨壺に聞こえるように呟き、一応、目当ての墓石を探してみる。念の為ポケットから取り出したメモの名前、立花省吾。立花家だらけの墓石の中で、省吾の墓を見付けるには、殆どの墓を一つずつ凝視しなければならない。埋葬者の名前は、墓の正面ではなく向かって右横に彫ってある物が多く、戒名しか書いていないものも多い。これだけある墓石を全てチェックしていたら、どう見ても不審者だ。ざっと見て見付からなければ、出直しだな。それにもし彫られている名前が戒名だけだったらお手上げだ。会った事もない奴の会った事もない知り合いの戒名なんて、調べようがない。そう考えながら何となく最初の墓を選ぶと、そこに省吾の名前があった。
「やべえ、いきなり見付けちゃった」
 立花省吾の墓は一平米強の敷地に立った質素な物で、ありふれた和型墓石の側面に二人分の戒名と没年月日、俗名、享年が記してあった。省吾が死んだ日は、平成十七年年六月二十日。また僕の誕生日と同じだ。享年二十九歳とあり、計算すると僕より一つ年下だ。数え年で入れてある場合、二つ年下でヨシユキの同級生かも知れない。その右横に彫られている名前は省二郎で、きっと彼の父親だろう。亡くなったのは平成六年、享年四十六歳。となると省吾は十六歳とか十七歳ぐらいの時に父親を亡くした計算になる。墓を守る家族や親戚が近くにいないのだろうか、省吾の墓は比較的新しいのに、他の物より煤けて見えた。
 何となくそうしたくなり、僕はしゃがんで手を合わせた。
 もう少しましな会社に転職出来ますように。
 贅沢は言いませんのでまあまあかわいい彼女が出来ますように。
 何の縁もない仏に厚かましいお願いをした後、薄目を開けて、墓石を観察した。構造がまるで分からない。立花家の骨は一体どこに納まっているのだろう。納骨をした経験のない僕は、途方に暮れた。万引き少年のように周囲を見回し誰もいない事を確認した後、花立ての辺りを持ち上げてみる。石はびくとも動かず、あまり乱暴な事をすると今度は立花家に呪われそうだ。
 心臓が暴れ出した。ちょっと触っただけなのに、とんでもなく罰当たりな事をしている気がした。心の中で、すいませんすいませんすいません、と何度も謝った。
 耳の毛細血管を猛スピードで赤血球が駆け抜け、周りの音が遠く感じる。首筋に冷たい感触がして飛び上がった。蝉に小便をかけられたようだ。
 無理だ。
 無理です。
「ごめん……、やっぱ無理です。帰っていい?」
 背中のヨシユキに話し掛けるが、当然返事は返って来ない。僕は猫背になって小走りで墓場を出た。こんな大それた事を小心者の僕に頼む方が間違っている。石段を下りて通りに出た瞬間、ブルーのダンプカーに跳ね飛ばされそうになった。背中に気味の悪い汗を掻きながら、競歩の選手みたいな早足でバス停に向かう。背中に当たる骨壷の感触が、まるで誰かに拳骨で叩かれているように感じた。更に早足になると、当然の事だが、殴られる力が強くなる。
「そんなに叩いたって無理なもんは無理だよ」
 バス停で携帯電話の時計を見ると、運悪く前のバスが出たばかりだ。次のバスまで三十分以上ある。でも、もう戻らない。もったいないがタクシーを拾おうと思ったが、通り過ぎるのは春日部ナンバーの軽自動車車と埃っぽいトラックばかりだ。
 焦れている内に強烈な腹痛が襲って来た。向かいのファミレスで用を足したいが、少し体重移動しただけで漏れそうだ。呪われているとしか思えない。僕は全身から脂汁を滲ませながら、歯を食いしばって耐えた。
 耐えられない。
 やります。
 後でやります。
 勘弁して下さい。
「日が暮れたらもう一回戻るからお願いします」
 声に出した途端、スッと便意が治まった。僕はダッシュでファミレスに入り、お客様何名様ですか? と聞く店員を無視してトイレに駆け込んだ。踏ん張っても踏ん張っても何も出なかった。

 定時に現れたバスの運転手は、また同じ男だった。客はまた、僕一人だ。来た時と同じ席に座って、来た時と反対側の景色を見ながら駅に戻ると、駅の二ブロック手前の交差点に、パチンコ屋を発見した。
 回転寿司屋で遅い昼食を食べながら考えた。もし納骨に失敗したら、今日が僕の命日になるかも知れない。僕は中トロやウニを気前良く食らい、背中のヨシユキに言った。
「ちょっとだけパチンコしていい?」
 七時丁度に、また原因不明の腹痛に襲われるまで、僕の台は当たりっ放しだった。
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