第1話:廃屋に声が眠るという

文字数 1,195文字

少女は目を覚ました。
彼女の名前は奏。
かつてはその美しい歌声で歌姫と呼ばれ、人々に讃えられていた。しかし突然声が出なくなり、絶望のうちに暮らしていた。
そんな状態で注意力が落ちていたのであろう、車と接触事故を起こしてしまった。
その後、半年ほども眠っていたらしい。
事故の傷は癒えたが、声は戻らない。
今は自宅療養ということで、動く分には問題ないが家で静かに暮らしていた。
(何もしたくない。いっそ事故で死んでしまいたかった。)

無気力な彼女だが、目を覚まして以来ずっと気になっていることがある。
(どうして目が覚めたら歌が無いのだろう。
どうして誰1人、歌を知らないのだろう。)
声を失って以来歌うこともできなくなった。それでも歌を聞くことはできた。絶望の中、彼女を支えてくれたものは2つあり、1つはやはり歌だった。
(せめて歌が聞きたいのに。
集めたCDも家にあったピアノも、データですら消えてしまっているなんて…。)
筆談は可能なので、人々に尋ねてみるも、誰も歌など忘れてしまっていたのだった。
奏が「歌姫」と呼ばれていたことも。奏は悲劇の歌姫ではなく、かわいそうな女子高生になっていた。
(歌の無いこの世界は酷く寂しく思える…、
せめて私に声があれば、歌うことができたのに…。)
突然、家の呼び鈴が鳴る。彼女の母親が応対し、誰かが2階の彼女の部屋に上がってくる。
声を失って以来彼女を支えてくれた2つのうち、歌ではない方の登場である。
よお、相変わらず元気がないな。
「もう怪我は完全に治ったから、元気っていえると思う」
奏はすっかり手放せなくなったメモに素早くそう書いた。飽きもせず奏を訪ねてくれる幼馴染への精一杯の虚勢だった。
なんだ、じゃあ外にも出れるのか?
「出られる。けど行きたいところもない」
俺はずっと外に出れるの待ってたんだ。
実はさ、お前の声を探しに一緒にいこうと思って。
「??
声を探す??」
そうだよ。
声は廃屋に眠っているって言うだろう。
探しに行こう、遅くなったけど。
「???
ハイオクに、眠る?」
えっ、知らないのか…!?
めちゃくちゃ有名だろう。多分みんな知ってるぞ。
「初めて聞いた」
嘘だろ…。この前言ってたウタとかいい、お前ちょっと記憶とか混乱してるんじゃ。
(そんなわけない)
「そう、かもしれない」
奏の手は心の声に逆らって動いた。
筆談をするようになって以来、珍しいことではなかった。自分の意思を言葉にするのに、口より手の方が慎重なのだ。
とにかく明日にでも探しに行こう。ちょうど近所に廃屋はあるわけだし。
「ありがとう、陽」
奏には正直意味は分からなかった。
けれど、もし声が戻るならありがたいし、第一他にやることもない。
(もしも声が戻ったら、陽に私の歌を聞いて欲しい)
歌を忘れてしまった幼馴染に。
そして、世界に。
陽は翌日の約束をして帰って行った。
奏は久しぶりに少し高揚した気分を抱え、明日を期待して眠ることができた。
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登場人物紹介

とても美しく歌うので「歌姫」と呼ばれ讃えられていた。が、病気で声を失いその後事故にあって昏睡状態に。
半年後には目覚めたものの…。

奏の幼馴染。

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