第1話:廃屋に声が眠るという
文字数 1,195文字
少女は目を覚ました。
彼女の名前は奏。
かつてはその美しい歌声で歌姫と呼ばれ、人々に讃えられていた。しかし突然声が出なくなり、絶望のうちに暮らしていた。
そんな状態で注意力が落ちていたのであろう、車と接触事故を起こしてしまった。
その後、半年ほども眠っていたらしい。
事故の傷は癒えたが、声は戻らない。
今は自宅療養ということで、動く分には問題ないが家で静かに暮らしていた。
無気力な彼女だが、目を覚まして以来ずっと気になっていることがある。
声を失って以来歌うこともできなくなった。それでも歌を聞くことはできた。絶望の中、彼女を支えてくれたものは2つあり、1つはやはり歌だった。
筆談は可能なので、人々に尋ねてみるも、誰も歌など忘れてしまっていたのだった。
奏が「歌姫」と呼ばれていたことも。奏は悲劇の歌姫ではなく、かわいそうな女子高生になっていた。
突然、家の呼び鈴が鳴る。彼女の母親が応対し、誰かが2階の彼女の部屋に上がってくる。
声を失って以来彼女を支えてくれた2つのうち、歌ではない方の登場である。
奏はすっかり手放せなくなったメモに素早くそう書いた。飽きもせず奏を訪ねてくれる幼馴染への精一杯の虚勢だった。
奏の手は心の声に逆らって動いた。
筆談をするようになって以来、珍しいことではなかった。自分の意思を言葉にするのに、口より手の方が慎重なのだ。
奏には正直意味は分からなかった。
けれど、もし声が戻るならありがたいし、第一他にやることもない。
歌を忘れてしまった幼馴染に。
そして、世界に。
陽は翌日の約束をして帰って行った。
奏は久しぶりに少し高揚した気分を抱え、明日を期待して眠ることができた。