第1話

文字数 2,000文字

「本当に大丈夫なの?」
「ボクはもう子供じゃないし」
 車で送ってもらっている遙人は、母親と堂々巡りのやりとりを続けていた。

 遙人16歳、生活のほとんどを母親に頼っている。自分の力で出来るのは、もどかしいほどの動きを見せる右手でタブレットを使い好きなアニメやコミックの世界を覗くことぐらいだ。いや、出来ることはもっとたくさんあるのかもしれない。可能性を否定しているのは母親のせいだという思いは成長と共に大きくなっていた。
 家は裕福で専業母親になっている。母親の依存から逃れるチャンスは、小学校入学に時にあった。特別支援学校への入学を勧められた時も
「私が、遙人の事はすべてやります。ですから一般校へ入学します」
 と言い切ってしまった。授業中はもちろん、給食から教室移動など、すべて母親が面倒見ていた。当然、同級生はその状況を遠巻きに見ているだけだ。年を経るごとに遙人も母親の束縛に息苦しさを感じるようになっていた。しかし、高校入学を機に小さな一歩を踏み出した。
「最低限、授業中と休み時間は自分だけにしてよ」
「もう高校生だしね。でも、トイレとか食事は私が来るからね。必要な時は呼ぶって事ならいいわよ」
 思っていたよりは、すんなりと決着した。
 つかの間の時間ではあるが、自由が手に入ることに幸福感があった。
 休み時間に、タブレットで推しのコミックサイトを見ていると、机の横を通り抜けていた同級生の女子が声をかけてきた。
「そのコミック好きなの?」
「えっ、うん。このヒロインのお姫様が好きなんだよね」
「男子って、そんな女の子好きだよね。実は私も騎士様がカッコよくて好きなの」
「そうなんだね」
「それ、今映画やってるよね。アニメ化されて。観に行った?」
「いや、観てないよ」
「じゃあ、観に行こうよ」
「えっ?」
「私、伊藤亜紀。授業始まっちゃうから、あとで作戦会議ね」
 話の急展開に戸惑うばかりの遙人は、目覚まし時計のような心臓の鼓動を感じながら次の休み時間を待った。
 結局、作戦は根性論で亜紀に押しきられて、次の土曜日にショッピングモールの映画館に行くことと、母親には「ガールフレンドとデートする」と説得するように指示された。
「もう子供じゃない。ずっと子供では困るでしょ?」
 の最強ワードを使えば何とかなるという無謀な作戦に遙人は言いくるめられた。この最強ワードが効果があったかはわからないが、母親は渋々了承してくれた。まあ、映画館へ送り届ける車でも、まだ呪文のように「大丈夫?」を繰り返しているのだけれども。

 ショッピングモールに着くと、遙人は母親という障壁から自由という空に大きく羽ばたいた。電動車椅子を操り映画館の前へ行くと、もう亜紀は待っていた。
「ガールフレンドを待たせるなんて大胆だね」
「ごめん」
「うそうそ、なんかそわそわして早く着いちゃったの。さあ行こうよ」
「そんなに、このアニメ観たかったんだ」
「わかってないんだから」
 亜紀はあきれたような表情を浮かべ、遙人の思い通りにならない左手を取った。遙人の驚いた顔を見て当たり前だと言わんばかりに言った。
「車椅子の後ろに立ったら、顔見えないじゃん。こんな時は並んで歩くものなのよ」
 そんなこと思う人間っているんだと遙人は亜紀について映画館に入った。

「おもしろかったね」
 映画館から並んで出てきた二人は、笑顔でそんな当たり前の感想を言い合った。
「ねぇ、お昼ご飯食べようよ」
「ごはんかぁ」
「大丈夫よ。私がいれば、難しい事なんてないから」
「わかったよ」
 何の根拠があるわけでもないのに、遙人はその言葉を受け入れた。二人はファミレスに入り、亜紀はパスタを、遙人は少し悩んだがスプーン一本で食べられるオムライスを注文した。
「お子様だね」
「いいじゃん」
「実は私、幼稚園の時から知ってるんだ。小中学校も同じクラスだった時あったし。高校になってやっと遙人君に声をかけられた」
 話ながら亜紀は、オムライスを一口大にして遙人の持っているスプーンに乗せていった。
「私のおじいちゃん、脳梗塞になってリハビリやってる時に理学療法士に興味を持ってすこしずつ勉強してて、遠くから遙人君の事もよく見てたの、ごめんね、動機が不純で。でもね、やっと友達になれてよかったって思ってるの」
「ボクもよかったって思ってるよ」
「ホント?でもね、『あ~ん』とかはしないからね。食事は自らの手で食べるのが美味しいんだから」
 亜紀が、スプーンに乗せてくれたオムライス越しに遙人はうなずいた。時と共に減っていくオムライスとは逆に、二人は会話をどんどん重ねていった。
 
「ねぇ、また一緒に遊びに来ようよ」
「そうだね。また来よう」
 迎えの時間が迫った二人には別れの言葉はない。遙人は車椅子を進める。心に再会を誓って振り返ると、大きく両手を振っている亜紀の姿が見えた。小さく手を上げた遙人に声が届いた。
「今度、何食べよっか?」
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