第3話 涙

文字数 2,673文字

泣けばいいのだろうか
笑えばいいのだろうか
怒ればいいのだろうか
誰に聞いてるんだろうか


前日しっかり情報を仕入れられたおかげで、翌日は予定通り次の村に着くことができた。
1日予定は延びてしまったが、この調子ならあと2日でミズカ村に着けそうだな。
頼まれごとが無事に終わりそうで、俺はすっかり安心して眠りについた。
だが、人生そううまくはいかないようだ。


「すごい音だな」
窓の外を見ながらナズがポツリと漏らす。
昨日までの快晴が嘘のように、今日は朝から激しい雨が降っている。
「さすがにこれでは移動できないな。また到着が延びてすまないが、今日はこのままもう一泊しよう」
「サカドのせいではない。明日になれば止むだろうし、急いでるわけではないんだから気にするな」
止むかなぁ。かなり激しく降ってるけど。まあ考えても仕方ないか。
「宿にもう一泊すること伝えてくるよ」
ナズは「頼んだ」と言うとまた窓の外に視線を戻した。
これだけの雨だと外にも出れないだろう。部屋で過ごすのに何か時間を潰せないか宿の主人に相談したら、カードゲームと本を数冊貸してくれた。
部屋に戻ってナズをカードゲームに誘うと、やった事がないと言う。まあ珍しいヤツもいたもんだと思いながら、ルールを教えてやる。やってみると楽しかったようだ。わずかな変化だが、色々表情が変わるのが見てて面白かった。


さすがに朝からずっとカードゲームでは飽きてくる。ひとしきり遊んだあと、各々借りてきた本を読んで過ごした。
気づくと寝てしまっていたようだ。ベットに腰掛けた状態で目を覚ますと、開きっぱなしの本が視界に映った。ぼんやりした頭で部屋を見渡す。

椅子で本を読んでいたはずのナズがいない。

降り注ぐ雨のザーザーという音が耳に入って、心臓がドクンと跳ね上がった。
雨の音がする。イヤだ。この音はイヤだ。アラヤを連れ去った音だ。ナズは。ナズはどこへ行ったんだ。イヤだ。1人はイヤだ。
冷や汗が流れる。吐き気がして口を押さえた。震えが止まらない。
イヤだイヤだイヤだ。やめてくれ。俺にはアラヤしかいないんだ。母さんも父さんもいなくなってしまった。もうアラヤしか残っていないんだ。奪わないでくれ。


「サカド!」
肩を掴まれ大きな声で呼ばれた。
「どうしたんだ!」
いつもの無表情が影もないほど驚いたナズの顔が目の前にあった。
「ナズ……どこへ……」
行ってたんだ?という言葉は声にならなかった。まだ震えが止まらない。
「え?ああ。冷えてきたからお湯をもらいに行ってた。温かいお茶でもいれようと思って。戻ってきたらお前が苦しそうに蹲ってるから心配した。どこか苦しいのか?」
思いっきり眉を寄せて、心底心配そうな顔をしている。そんな顔もできたんだな。
「寒いのか?もう一枚毛布を借りてこようか」
ナズが肩から手を離す。

「行かないでくれ!」

思わずでた叫びに、ナズの体がビクッと震えた。
「あ……1人にしないでくれ。起きたらお前がいなくて、雨の音がしてて、アヤラのことを思い出したんだ。お前までいなくなってしまったのかと」
ナズの服を掴む。震えはまだ止まらない。でもそこに確かに人がいることを感じて、渦のように体の中をかき乱していた不安は少しずつ和らいでいった。


どれくらいそうしていただろうか。ようやく落ち着いたので「もう大丈夫だ」と服を手放すと、ナズは小さく頷いて俺の隣に座った。
ナズは何も言わない。聞かない。ただ隣にいてくれる。それはとても安心感があって、気づくとポツリポツリとあの日のことを語り出していた。
「アラヤが死んだ日。今まで経験したことがないくらいの大雨で。川近くに住んでる人たちの避難を手伝ってたんだ。」
ナズは相槌はうたず、ただこっちをジッと見て話を聞いていた。
「俺だけ行くつもりだったんだけど、アラヤもついてきて。避難も無事すんだから俺たちも戻ろうとしてたら、急に川が増水して。一瞬でアラヤを飲み込んだんだ」
外では雨がさらに激しさを増している。
「助けようと手を伸ばすこともできず。振り向いた時にはアラヤの姿はなかった。川に飛び込もうとしたんだけど、一緒に避難を手伝ってた人たちに必死に止められた」
雨の音が記憶を鮮明に呼び覚ます。
「なんで俺はアラヤを連れてったんだろう。家で待ってろって言えば良かったんだ。そしたらアラヤは死ななかった……」
ポタリ。手の甲に何かが落ちた。涙だ。アラヤが死んだ時以外、どれだけ泣きたくても出てこなかったくせに。なぜ今になって。
「なんで…なんでアラヤが死なないといけなかったんだ。たった1人の家族だったんだ。ずっと大事に守ってきた弟だったんだ……」
次から次へと涙が溢れてくる。
「俺を1人にしないでくれ……」
絞り出すように呟いて、あとは泣くことしかできなかった。


「やっと涙がみれた」
沈黙をやぶったのは、意外な言葉だった。
「え?」
「弟を思い出して悲しい顔も幸せそうな顔もするのに、涙だけが出てこないなと思ってたんだ」
……ナズは何が言いたいんだろう。
「俺なら、死んだら泣いて欲しい。色々思い出して色んな顔するのも嬉しいけど、ひたすら悲しんで泣いてほしい。そしたら俺は生きてたんだなと思えるから」
「……泣いたら死んでも報われるのか?」
あまりに分からないことを言うので、少しイラだった声になってしまった。
「報われる?死んでるのに?それはない。ただ自分を想ってそれほど悲しんでくれる人がいるなら、生きたことに価値があったと思えるだけだ」
ふと考える顔をして、ナズは言葉を続けた。
「あくまで俺の考えだが」
淡々と語られる言葉に苛立ちはどこかにいってしまった。なんなんだろう。この慰めともいえない言葉は。
「普通は泣いていても故人は喜ばない。前を向け。とか言うんじゃないのか?」
「そうなのか?俺はそうは思わない。悲しんで泣いてくれれば泣いてくれるほどいい」
なんだそれは。呆れて涙も止まってしまったじゃないか。
「そうか。そういう考えもあるかもな」
不思議なヤツだ。自分勝手なことばかり言っているのに、なぜか人の心を軽くする。
気づけばずっと感じていた息苦しさはどこかへ消えていた。


弟の死に向き合うのか怖かった。見えない檻に囚われそうで逃げたかった。
でも、檻の中で生き続けていってもいいのかもしれない。悲しんで苦しんで、残された者としての生を埋め尽くしても構わないのかもしれない。
目の前の奇妙な同行者に感謝しないといけないな。
「心配をかけたな。昼メシにでもしようか。晴れたらまたたくさん歩かないといけない。しっかり体力をつけないとな」
相変わらずの無表情が大きく頷いた。
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