第1話

文字数 2,000文字

「みんな、喜んで食べてくれてよかった」
 街灯の明かりの中で、息が白く、ふわっと広がった。クリスマスイブだというのに、夜道は静かだった。
 子どもが大学生になったのをきっかけに、〈こども食堂〉の手伝いをするようになった。今日はクリスマスイブで、わたしはおにぎりの担当だった。
小鳥遊(たかなし)さんのおにぎり、子供たちに大好評なのよね。いったいどんな魔法を使うのかしら」
「魔法だなんて。ふつうのおにぎりですよ」
 責任者の千草(ちぐさ)さんと交わした会話が思い出される。
 とりの唐揚げ、ひとり一個ずつのマドレーヌ。梅干しだけのおにぎり。豪華さとはほど遠いクリスマス料理だったけれど、子供たちは笑顔で食べてくれた。そんな様子を目を細めて眺めていた千草さんが、ふっと言った。「この子たちのところに、サンタがきてくれるといいな」
 千草さんはすぐに照れたように笑った。「なあんて、ね」

 ――わたし一度だけ、サンタに会ったことがあるんです。
 
 もしそう言ったら、千草さんはどんな顔をしただろうか。

 ※※※※※

 普通にドアを開けて、サンタは家の中に入ってきた。
陽彩(ひいろ)ちゃんは今年一年、いい子にしてたかな?」
 なんだかやせっぽちのサンタは、フォー、ホッ、ホッと笑った。
「どうかなあ、よくわかんない」
 正直に答えると、サンタは明らかに動揺した。
「マ……いや、わしは何でも知っておる。陽彩ちゃんは世界一いい子だとサンタの資料にちゃんと書いてあったのじゃ」
「世界一? おおげさすぎ」
「おりこうな陽彩ちゃんに」サンタはわたしのつぶやきを無視して言った。「素敵なプレゼントをあげよう。何でもほしいものを言ってごらん」
「ほしいもの? 別にない」
 サンタは口髭をひねって、首を傾げた。「それは困ったなあ。じゃあ、できるようになりたいことは?」
「できるようになりたいこと?」今度はわたしが首を傾げる番だった。「あ、一つある!」
「よしよし、そうこなくっちゃ」
「おにぎりが作れるようになりたいの。パパ、いつもお仕事が忙しくて、お昼を食べに行く時間もないことがあるんだって。だから、わたしがおにぎりを作ってパパに持たせてあげるの」
「陽彩、そんなにいい子にならなくていいの。もっとわがまま言って!」
 わたしがはっとして見つめると、サンタは大きく目をみひらいていた。白い口髭が震えている。
「あ、あの……」
「ごめんね」サンタが謝った。「わかったぞ。陽彩ちゃんにとびきりおいしいおにぎりの作りかたを教えよう」
 サンタはわたしにエプロンを着せると、ママそっくりの動作でお米をとぎ、炊飯器をセットした。
「ごはんはよし、と。海苔はあるかな? あと梅干しも」
「あるよ!」
 わたしは冷蔵庫から梅干しの瓶と海苔を取り出した。
「上出来、上出来」サンタは瓶の中の梅干しをいくつか取り出して小皿にのせると、また瓶の蓋をしめ、大事そうに冷蔵庫にしまった。
 ごはんが炊きあがると、わたしは見よう見まねで、おにぎりをにぎってみた。
「やっぱりだめ」外側がぼろぼろ崩れてしまう。
「よく見ててね」サンタのてのひらの中で、ごはんのかたまりがくるくるっと回ったと思うと、きれいな三角形になった。最後に海苔できれいにくるむ。
「すごい。ママのおにぎり」わたしはあわてて付け加えた。「――にそっくり」
 やがて大皿の上に、おにぎりが山盛りになった。
「陽彩ちゃん、とっても上手にできたよ」
 サンタは褒めてくれたが、サンタのにぎったおにぎりと、わたしのにぎったそれの差は一目瞭然だった。小さくて、いびつなわたしのおにぎり。
「ひとつ、味見をしてみよう」
「うん」
 サンタはわたしのおにぎり、わたしはサンタのそれに手を伸ばした。
「今年の梅はよく漬かったわ。庭の梅の木さん、がんばっていい実をつけてくれたから」
 うっかり言葉がこぼれてしまったかのように、サンタは両手でぎゅっと口を押さえた。
「これはね、ママが最後に漬けた梅干しなの。世界でいちばんおいしい梅干し」
 サンタはわたしに背をむけて、しゃがんだ。両手で口を覆ったまま。背中が波打つ。
「だいじょうぶ?」わたしは急いでエプロンで手を拭くと、サンタの背中をさすろうとした――瞬間、やわらかな胸に抱きしめられていた。「陽彩はいい子ね、メリークリスマス」

 ※※※※※

 わたしは夜空を見上げた。
 あの夜、ママは最後までサンタのふりをしていた。口髭が取れかけ、涙でぐしょぐしょになった顔で。
 ママが交通事故で死んだのは、小学四年生の暑い夏だった。その年のクリスマスイブ、ママは一晩だけ帰ってきてくれた。あの日も残業だったパパは知らない。知っているのは、わたしだけだ。

 ――ねえ、ママ。
 わたし、おにぎりを上手ににぎれるようになったよ。
 またママと一緒に食べたいなあ、梅干しのおにぎり。
 
 白い息が揺れ、星の光に溶けていく。
 わたしは祈るような思いでつぶやく。

 ――メリークリスマス。
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