人生には岐路がある。

文字数 5,000文字

 人生には岐路がある。
 占いでも運と言うよう判断と行動の岐点がある。だから運ぶと書くし、よりイイ方へ運ぶにはボサッとしてちゃダメという事。昔から。
 恋愛だと判りやすい。実は誰が・どっちが良かった?酒の勢いで抱き合いかけたアイツと、もし後でも上手く先に行ってたら人生に代わり映えは?……と、おそらく後からそんな事考えもしない位が正解で、顧みても今が大正解だと知りつつも、なお有意義な要素や可能性を想うなら、その際その後にも冒険心や行動力や体力や機転と要るモノの無さを惜しむような余裕を楽しみもするイイ大人になっちまった紛れもナイ証拠。だから人間、早い内に他者との交わりで己の性分は覚った方がイイ。その分早く大人になり、他でも断然運びが良くなる。それら諸々の岐路は勘や経験で拓け、より有意義な展開や人生を辿れて小気味よく、更には後から自他に言い訳する面倒の無い方が気持ちイイ。故に誰しも、決して“なんとなく”や“騙されて”生きていてはダメだ。ソレがボサッとしてるかどうかの焦点。

 ゲ業で仕事した時の話だ。
 今じゃかなり昔。当時のゲーム機は任天堂の覇権を覆そうとセガのDCやソニーのPS2が販売され、国外でもMS社のX-Boxが台頭する。
 自分が携わった会社はいわゆる下請けで、ゲーム機本体を売る大企業傘下の体。書面や実際的なデータで企画を売り込み、外部発注作業を請け負うのが主な業務だった。C社のバイオハザードシリーズを手がけたというチームの企画畑にバイトから入り、議事録など雑務の傍ら、ネタ出し素材集めマップ案にと参加した。バイオ式ラジコン操作とSF世界観のフィールドで単位化されたミッションをこなす新感覚の意欲作を開発中で、立場上プログラマやモデラーなど他部所の席を訪ねる機会が多かった。企画・プログラム・美術畑は、ゲーム機の容量増と演算性能が高まる分、作品内容に要請される仕事の為にパイの喰い合いのよう各々の領分に譲れない戦いが生じる“ゲーム会社三すくみ”に陥りやすい。故にバイトの身分は他部所へ話を通す際、コトの争いの要である上司らより受け入れられ易かったようだ。
 例えばアニメの制作行程は歴史の分だけ磨かれているが、特に当時のゲーム制作現場は度々の納期という節目の他は、作品内容のゲーム性と演出など各々特色が強く、毎に行程は大きく変容する。その組立ても常に問われ、いずれ自他からも見られる。それだけ新しいモノや生計含め願望を具現化するコトは生半可じゃナイ。少し言い方は悪ィがアニメは今や一日署長ならぬ一作品監督も楽に組めて話題づくりは容易だ。これがゲームだと難しい。実務に関し実力が無いと意味が無く、必ず面白い=売れなきゃダメなのに、それで成功できるって本当にかなり先の事だ。少なくともアニメ以上に歴史を積んだ先の時代だと思う。……あ、ビートたけしが居たっけ。でも人望コミで面白い当たり方は、ズルイなぁ。
 今や機器と技術の進化で動画業界との仕事も当たり前な媒体としてゲームはあり、業界全体も行程形成はノウハウも磨かれたと思うが、当時あの現場は、例えば仕事を承る取引先から要望や変更がとか、例えばプラットフォームを予定していたDCがポシャったとか……思い返すと冗談みたいな話もあるが、何か事ある毎に振り回されては方針ごと行程を一から組み直す事態にもなる。
 やがて自分は美術畑に就いた。行程縮小に伴い企画畑では間に合わないが、人手が要ると拾われた形だ。その際、部所の一角は自分が好きな作品シリーズの移植に携わっていて、嬉しく思い手元の設定資料集など貸した事から上の目に留まり、なんとその依頼主の社へ仕事で連れて行かれた。
 A社。アーケード業界では今なおプリクラで女子を惹き寄せ続ける花形企業。家庭用ゲームではDQ、FFと異世界ファンタジーRPGが主流の中、リアル現代を舞台に神や悪魔と共闘しスタンス分岐を織り成すマルチエンディングという独特な世界観かつ野心作RPGが看板で根強い人気を勝ち得ている、換骨奪胎の雄。
 社を訪ねると、仕事の窓口となる担当者が出迎えてくれ、移植作の美術面でスーパーバイザーを務めるS氏を紹介された。
 A社代表作RPG作品群のアートディレクター・K氏は悪魔絵師と呼ばれゲームファンのみならず世に広く人気を博すが、その氏の下に就いた事から逸材と目されていたS氏。当時は、まさしく板前修業の風貌そのままだった。S氏が深く携わるシリーズ作品が心の姿(ペルソナ)を意味するので(上司たる悪魔絵師は実家が寿司屋との話もあり)本能的に迫っていたかも判らない。その職場は何度も食べたい品々を出す料理人の精神にも、リアルメカ敬愛の技術屋精神にもジョイントする高度さを、どこかで思わせた。
 そのS氏と挨拶がてら握手を交わしたのだが……自分は思わず
「お噂は、かねがね」と言っていた。
 その刹那、A社の2人はチラと顔を見合わせたのを何とは無く印象に残したが、今だと理由が判る。その頃、発売を間近に控えて開発も大詰めだったRPG最新作・シリーズ第2作目は、ゲームシステムのテーマが「噂」だったからだ。(あらぬ誤解を招かぬ為にも申し上げますが、単なる偶然です。桑原、桑原……)
 当時はゲーム機本体乗り換え合戦で、各社はなんとしても買わせようと、人気を博したアーケード作品の移植に伴い、旧作リバイバルが目立った。日本で長年に渡りご家庭ゲーム機として君臨した任天堂のリリース作品には、たらふく良作や人気作を蓄えていたので、型落ちでもゲーム機本体ごと一定の購買数が期待できる「キラーソフト」と目された作品は確保したかったようだし、メーカー各社も社員の実力を伸ばす意味で昔の仕事を今様になぞらせる意義はあったようだ。
 自社でグラフィック分析と製作の日々が続いた。エフェクトかオブジェクトか背景か、描画枚数は幾つだ等、一々をエクセルにまとめA社に仕事量報告とした。作成した画像データも更に他社外注先へと都度の納期に間に合わせるため、ある時はA社へ上司と伺いS氏を目前に、背景画像の問題点を洗い出してもらい、受けた修正指示を自分がその場の電話で自社に伝えて急場を凌ぐ作業も発生した。実際に修正された絵は、その作品としてらしく説得力のあるモノになるので自分は舌を巻いていた。一々は他愛も無さそうだが、その判断の積み重ねで作品イメージを具現化するのも美術職だ。

 ある時、A社での仕事を終え自社の上司待ちの間、S氏と会議室にある巨大な絵の前で話をする機会があった。
「この絵、どう思われますか?」
「えっ?」
 今やA社の代表作RPGシリーズの一つ、その1作目で促販用となった看板絵。
 当時からアートディレクターのK氏が描く絵にS氏の彩色というスタイルが多くあり、まだ日本では漫画文化慣れで馴染みの薄い、いわばアメコミ式の作画分業化をA社は作業行程として自然と採り入れていたようだ。
「コレも、私が彩色したものなんです」
「……」
 自分は、ただきっと困ったような顔で腕組み考え込み、笑いながら、ん――っと首を傾げた。
 思い返せば、まさしくソレは、その作品でのバッドエンドルート選択肢さながらの無言。
 ふと気付くと、すでに板前修業は会議室の出口に向かっていて、振り返るとニッコリ笑って軽く両手をかざし
「私は、途中で抜けてきた次回作の仕事がありますので、これで失礼します」と告げ、その場を後にした。
「お疲れ様です」
 暫く自分は、氏の背を思い返しながら、絵を眺めていた。
 やっぱりこの絵はキレイだ。イイし力量あるんだが……なんだ?特筆が難しい。あの質問。何か自分の発言に期待した?試された?……いや、本人が自分を試した?仕事を確かめた?
 不意討ちのようで、あんな正直しか出なかったが、ソレで良かったのかも知れない。もしも氏が日頃に遭遇するのは良くも悪くもホメやタタキの批評精神にヤラレてるファンや同業やゲーム雑誌関係者ばかりなら。
 好きか嫌いか?作品のアイコンか?情報量は?今なら省みればそういうコトをも考えられるしソコから何をか話はできるだろうが、自分の方は、人との交流に実際的な経験が足りていなかった事も判りはする。

 結局、移植作はどうなったかというと、ドミったとかミソったとかレファったとかで、世のファンを様々な意味で炎上させた。乗じてスタッフロールをネットに晒す輩もあったようだが、仕事とは関係無い者が、ソレが誰のせいとは言えないモノをも連帯責任の押し付けを図るような迷惑沙汰にする変な動向も発生するコトは、このテの仕事に就くなら始末の付け方も含めて考え置いといた方がイイ。たぶん被服業界でもアパレルというよりブランド側では顕著そうだが、人の趣味嗜好に関わる仕事は、人間を社会を識るコトの連続と研鑽が、およそ仕事とその歴史を高めるのだろう。
 現場レベルでは、今のようスムーズなデータ交換も難しい中、外注各社では契約に拘りや自覚に違いがある等、やり取りにもズレが生じたようだ。当時、PCの性能は仕事延滞の言い訳にもなったが今じゃそうはいかないし、想定以上の仕事として後から請求が発生するのも、契約の仕方で先に委託先を括れる。
 A社の代表作RPGにコンセプト分岐を与えた節目となる作品のリバイバルでもあり、この仕事の社内外関係者や思い入れある人々は皆、悔しかったと思う。でも皆、あのゲーム業界激動の瞬間を、よく頑張ったんじゃないかと勝手ながら自分は思い返す。
 ちなみに開発中だったA社の新作は、第2作目と定めながら2連作という意欲とボリュームで話題をさらい、当然のように大ヒットした。

 自分はその後、A社の代表作RPG続編のX-Box版3Dモデリング行程や、K社の施設で殺陣師の動きをキャプチャーし、無双シリーズで使うモーションのトリミング行程など経験した後、離職した。体力の問題を感じたり帰宅時間で家族に迷惑をかけ始めたら、職場近くに暮らすかどうか判断の頃だ。職場については全く心配が無いのに、心残りはK社への出向での、場の雰囲気に流されずゴミの山を片付けてから撤収できなかったのかという自分の気の利かなさ。些末なようだが一事は万事の鏡である。

 それから何年か、自分は結婚して暫くすると、世はモンハン2の社会現象ムード到来で、猫も杓子も子供も会社員も大いに楽しんだ。自分がバイト当時に参加したあの企画が雛形らしいと気が付くのに時間はかからなかった。SFテイストをやめ、雄大で厳しい大自然に放り込み、ユーザーを気持ちよく世界観にトリップさせつつ単位化されたフィールドとクエストを楽しませる……発想を具現化するってのは生半可じゃナイが、力量のある企業がネタを召し上げると、やってのけてしまう。感服至極。
 ただあの時に携わっていたメンバーのどれ程が現場に食い込み続けたのか。刻々・各々の現場にあった者のみが知るスタッフロールというモノがあるよう思い返す。

 その世界に居続ければ、もっと多くの出会いや出来事があり、互いの成長を見届けられる。現場で仕事をスリ合わせる各々の腕前や力量が要る故、関係を続ける上で学習能力は信用だ。磨くには学びと経験だが、自覚はあっても習慣にナイなら身には付かない。若いウチからの心がけや思い入れは大事だ。何事でも当たり前だが、殊更好きな事を仕事にするなら自分はどうなるかビジョンは明確に持って必要なモノを身に付ける努力をするコト。でもソレを、どこまで・本当に世のため人のため果ては国のため世界のためなんてコトも、はしょって通り越さずに見えてるかどうかは、それも若いウチから考えながら生きてかないと、すぐ無理がってしまう億劫さにかまけて、個人的なビジョンを叶える相応の現実的感覚を持つ人間になる事や、実現するに相応の場に就く事すら難しい上、ごく当たり前な事から足下を見失う。
 好きなコトと携わる人々、自らと家族周囲を満足なモノとしたいなら、人生を命を預けるつもりで仕事に暮らしに頑張るべきだ。

 制作進行とかいった肩書き。これは仕事。ソレに何が要るのか伝えておく、その世界に立ち合ってきた人間がやっておくべき仕事。
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