二、『被験体』

文字数 3,072文字

 ──大型バスの転落事故から数時間後。
「…………」
 鶫の意識が戻ったのは、最後に記憶していた強化ガラスの上ではなく、柔らかなベッドの上だった。丁寧にも、胸元まで掛け布団に覆われている。
 目が覚めたばかりの上手く働かない思考ではあまりにも違い過ぎる状況を読み取れず、シーツに身を横たえたままゆっくりと辺りに視線を配った。
「…………」
 ワンルームらしい部屋の中、壁紙は無地のベージュで統一され、自分が寝ているベッドの他には小さなスツールが一つ。まるで、簡素なホテルの一室を思わせる内装だ。
 テレビなどの備品が置かれていないところを見ると、泊まることに特化している部屋なのかも知れない。
「…………」 
 おおよその様子を把握したところだが、鶫の表情は酷く曇っている。
「……依月?」
 意識を失う直前まで離していなかった友人の姿を確認出来ず、目を覚ましてから初めて声を出してみたが反応はない。それどころか、自分以外の気配を感じられない。
 静まり返った室内を暫く見渡していると、ピンと張った空気の音が鼓膜を突き刺すように響いて、鶫の思考にブレーキを掛けた。
 このまま寝ているわけにはいかない気がして慎重に両足をベッドの外へと降ろし、上体を起こす。
「ッ!」
 瞬間、右の側頭部に痛みが走って息を詰まらせた。不意に襲い掛かった頭痛は、恐らくバスの強化ガラスに打ち付けたせいだろう。
 眉を寄せて痛みが過ぎるのを待ってから、改めてベッドを後にして立ち上がった。
 不安が過るほどに静かな部屋の中で、外に通じる扉を求めて歩き始める。
 ワンルームらしい部屋を横切ると、短い廊下の向こう側に閉め切られた扉が見えた。廊下の側面にも扉を静が二枚備え付けられている。静かに開くと、変哲もない風呂場やトイレなどが佇んでいた。やはりここはどこかのホテルらしい。
 しかし、修学旅行で泊まるはずだったホテルではない。何故なら、事前に教わっていた内装とは異なっており、更には個室が与えられる予定はなかったため、鶫の予想からはとうに除外されていた。
「…………」
 残る一枚の扉。その向こうに何があるのか予想がつかないことで纏わり付く緊張と不安を和らげるようにゆっくりと息を吐いてから、ドアノブへと手を伸ばす。
「……大丈夫だ。何もない」
 小声で自分に言い聞かせながら、意を決して冷たい金属を握り締めて左右に回してみた。
 ──ガチャ、ガチャッ。
 無言の中で、金属音が静寂を裂いた。

「……嘘だろ、なんで」
 声に焦りを滲ませながら、更に強くドアノブを捻ってみるがびくともしない。
「鍵、掛かってんのかよ……」
 閉じ込められている。
 そう思うと、急激に不安が押し寄せて呼吸が短く浅くなり、震え始めた。
 ホテルの客室が外から施錠されることがあるなど鶫には想像出来なかったため、どうするべきかの案を脳がフル回転で考え始める。
 しかし、その時だった。
『すみませんねぇ』
「──!?」
 どこからともなく響いた若い男の声に、鶫はビクリと肩を跳ねさせてから辺りを見渡した。
 しかし、部屋には相変わらず誰も居ない。
 若い男と予想しながらも聞き慣れない声。その響き具合から校内放送に似たイメージだと気付き、ホテルであれば館内放送だろうと結論付けた。
 拭えない緊張感に思考を働かせるのもやっとな鶫に対して、声の主はまるで手に取っているかのような言葉を続ける。
『ははは、そんなに驚かなくても大丈夫ですよー。ちょっと映画を見ていたら、気付くのが遅れましたぁ。流石に三時間も寝たら目を覚ましますよねぇ』
「……は?」
 終始半笑いで間延びした男の喋り方が、鶫の警戒心を固めていく。
 相手には自分の姿を見ることが出来ている。そう考えるのが妥当だと感じると、緊張の中に怒りが芽生え始めた。
「……どこから見てんだよ」
『監視カメラです』
 答えを聞いてから、施錠された扉の右上に小さな黒い機械が設置されていることに気が付いて睨み付ける。
「悪趣味」
『何とでもどうぞぉ』
 いちいち気に障る言い方をされるのは腹立たしいが、落ち着いてみれば明らかに会話が成立している。どうやら、こちらの様子だけではなく声までが相手にダダ漏れらしい。
 それならばと、状況に詳しそうな相手に対して一番気になっていることを問いかけてみる。
「……依月は?」
『あー、生きてますよぉ』
 返ってきた言葉を聞くと、一つの不安材料が消えて僅かに心が軽くなった。
 誰ともわからない相手を信用しきれないが、取り敢えず信じた方が精神的にはマシである。
「……どこにいる?」
『別の部屋』
 笑いを含んで間延びしていた先程と違い、次第に素っ気なくなっていく相手の声色に反して、鶫の声はしっかりと気を帯びていく。
「鍵開けろ」
『…………』
 ついには応答すらやめた相手に思わず舌打ちが洩れた。 
「おい、聞こえてんだろ? 鍵を開けろっつってんだよ」
『被験体』
「は?」
 冷めたトーンで紡がれた単語があまりにも唐突過ぎて、疑問符を返す以外、何も言葉が浮かばなかった。
 相手はそんな鶫を無視して先を続ける。
『君は被験なんですよ、鶫くん』
「…………は?」
 改めて聞いても理解が出来ず、鶫は怪訝そうな視線で監視カメラを睨みつけた。
 名前を呼ばれたことに警戒心を強めるが、自分をここに運んだのが相手だとしたら、所持品から名前を知られていてもおかしくはない。そう考えて、疑問には思わなかった。
『あー、そういえば、あのバスは火達磨になったそうですねぇ』
「火達磨……?」
『君は運が良かったですねぇ、鶫くん』
「……運が、良かった?」
『死んだ人たちは、運が悪かっ──』
「いい加減にしろッ!!
 人の生死を運で片付けようとする相手の言葉に、鶫は怒りを抑え切れずに怒鳴り声を上げた。
 数秒の沈黙を経て、次に言葉を発したのは相手だった。
『……いい加減にするのは君ですよ、鶫くん』
「馴れ馴れしく名前で呼ぶな!!
 相手のことを何も知らない自分と、自分のことを苗字ではなく名前で呼ぶ相手。関係性が平等でなさ過ぎることが鶫を苛立たせ、ついに声を荒げた。
 しかし、相手には響かない。
『威勢が良いですねぇ』
「はぐらかすなよ……もっとわかるように説明しろ」
 からかうような反応をとられてイラつきを顕に唸るような低い声で言い返すと、短いため息が聞こえた。
『仕方ありませんねぇ……運良く生き残ったのは、鶫くんを含めて5名。全員同じクラスの生徒です。そろそろ夕食をお持ちしますので、今日はゆっくり休んで下さい。君たちには、明日から運試しを行ってもらいます。期限は一週間、または、生存者が一人になったら終わり。もし後者の場合、その方には何不自由のない生活を約束しましょう。運が良ければ、生き残ることが出来ますよ』
「……なんだよそれ。内容がイマイチよくわかんねぇし、生存者が一名? もしそれが本当ならイカれてんだろ」
 相手の説明は、とても納得出来るものではなかった。現実味がまるでない言葉をあたかも現実であるかのように述べられたところで、鶫の心を開くまでには至っていない。
『何とでもどうぞー……あ、他の方が目を覚まし始めたので、今日はここまでにしましょう』
 鶫の反応をものともすることなく、そう告げたのを最後に相手の声は聞こえなくなった。
 釈然としないまま取り残された鶫だが、監禁というよりは軟禁に近い。部屋の中では自由に動けそうだと判断し、取り敢えずは食べ物など胃が受け付けなさそうとは思いつつ、一旦落ち着いて冷静になり、運ばれてくる食事を待つことにした。
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