第9話

文字数 5,578文字

 雪が降り続いていた。
 大狼が押しこめられている小屋の、小さな明かり取りの窓からも、それは吹き込んできた。
 床にうずくまった姿勢で見上げると、空は四角に区切られた灰色の雪雲だ。粉雪はそこから絶え間な落ちてきて、土間の一ヶ所を白くしている。
 足には鎖。狭い小屋の中を歩けるだけの長さで柱に固定されてあった。
 じたばたしても、鉄の輪がこすれて足首が痛むばかりだということは昨夜のうちに思い知らされた。
 大狼はじっと座ったまま現状を考える。
 寒さをしのげと言うわけか、異人は獣の匂いのする厚い織布を投げ入れてくれた。それをしっかりと身体にまきつけて。
 津木の浜人の、納屋だった場所だ。今でもごわつく網が隅の方に丸められていたし、魚篭や予備の櫓などが重ねてある。壁にも低い天井にも、魚の生臭さが染みついている。
 異人に捕えられ、津木に連れて来られたのは昨日の夕だ。運よくも生き残った異人たちは、互いに支えあいながら黙々と歩んだ。
 大狼をはじめに見つけた赤毛の異人は将のひとりなのだろう、馬上でしきりに兵を励ましていた。
 しかし多くの者は、目がうつろで満身創痍。大狼が見たかぎりでは、異人は三分の二あまりの兵を失っている。
 雪は道の中途からちらついてきた。雪が苦手らしく、赤毛が空を仰いで意味のわからないののしり声を上げた。
 津木は変わり果てていた。
 港を埋めつくしている異人の軍船。
 津木の館は、醜く焼け落ち、山の中腹に突き出た骨のような残骸をさらしていた。
 海岸の広い砂浜には、まだ壊れた甲冑や太刀の柄が落ちている。何箇所かある黒い炭の塊は、死者を荼毘にした跡に違いない。
 この白砂と後に広がる松の緑の美しさは、代々の〈蛇〉の惣領が愛してやまなかったものだったというのに、その松林も、もののみごとに伐り倒されて見るかげもない。
 松林だったところは整地され、横長の建物が何棟か建てられていた。兵舎というよりも、武器庫か食料庫らしかった。建物のまわりにはいくつもの大きな天幕が張られていて、異人たちはそこで生活しているようだったから。
 強い風に、天幕がばさばさとはためいていた。大狼が身体にまきつけているような茶色っぽい獣毛の織物だった。
 松林が防風林の役目をしていたことも知らないでいる。大那とは、まるで気候の違う場所から来た連中なのだ。
 捕虜となった大那人が入れられている建物もあった。だが、大狼はそこではなく、たった一人別の場所に閉じこめられている。
 自分がなぜ他の大那人たちと離されてここに入れられたのか、大狼は首をかしげた。
 赤毛の異人の意向には違いない。あの時、即座に殺されてもおかしくはなかったのに、彼はそうさせなかった。抑揚の激しい、ほとんど怒鳴っているような発音で大狼に話しかけたが、言葉が通じるわけがない。
 それにしても、間抜けなことをしたものだ。あの少年を追って、敵のただ中に入ってしまうとは。
 まるで大那の怒りのように、海や大地をめちゃくちゃにした、〈龍〉の紫を持った少年。
 大王たちは、彼の存在を知っているだろうか。手白香の神官の死を知っている彼らだ、なにかしらの手がかりは持っているかもしれない。内臣と話し合っておくべきだったな。
 今となっては、もう遅い。
 大狼はため息をついた。
 まず、ここを逃げだすことを考えよう。異人が自分をどうしようとしているのかはわからない。いずれ、殺すつもりなのかもしれないけれど。
 大狼は腹を決めて異人の出方を待つことにした。
 もう昼近くになっているはずだが、納屋の外は静かだった。異人なりに死者の追悼でもしているのだろうか。
 やがて納屋の戸が、がたがたと音をたてた。外から、つっかえが外される気配がする。
 ようやく異人のお出ましか。
 大狼は、背筋を正して戸口をにらみつけた。
 ひとりの異人が入ってきた。
 納屋の中は薄暗く、おまけに逆光になっているので、はじめはその顔がはっきり見えなかった。
「若殿」
 彼の呼びかけで、大狼はあやうく飛び上がりそうになった。ようやく顔も見て取れる。
 大狼の知っている男だった。大狼の凝視に耐えきれないように、彼は落ちつきなく顔をそむけた。
「佐巣」
 大狼は愕然として言った。
 が、彼はもはや大狼の知っている海人ではなかった。異人のぴっちりとした上下に皮帯、長革靴という姿。
「昨日のうちにお目にかかればよかったんですが、若殿」
 佐巣は曖昧な笑みを浮かべた。
「わたしでも、心の準備がいったものですからね」
「どういうことなんだ?」
「ごらんの通りです」
 佐巣は大狼の前にかがみこんだ。
「あなたがたの言う、異人なんですよ、わたしは」
 大狼は、思わず佐巣の胸ぐらをつかんだ。もう一方の手で拳をふりあげる。
 佐巣は大狼を見つめたまま、抵抗しなかった。
 大狼はぴたりと拳を空で止めた。
 無抵抗の者は殴れない。佐巣は大狼の気性をちゃんと知っている。
 大狼はそのまま拳を下ろし、悔しまぎれに佐巣を突き飛ばした。
 吐き出すように、
「この、裏切り者!」
 佐巣は、もそもそと身を起こした。
「わたしはもともと異人だったわけですから、裏切り者とは言いませんよ」
「理屈はいい」
 大狼は歯をむきだした。
「おまえは、ずっとおれたちを騙していたんだ」
「信じてはいただけないでしょうが」
 佐巣は壁ぎわの網の上にどかりと腰を下ろし、小さく笑った。
「この五年は、辛いものでした。あなた方が好きでしたからね」
「だれが信じる」
 大狼は顔をそむけた。怒りよりも、悲しみの方が強く胸をみたしていた。
 人を疑うよりも、信じる方がずっといいと考えてきた。幸いなことに、というべきか、それで裏切られたことなど一度もなかった。
 ところが、いま初めて決定的な裏切りにあったのだ。友人として疑いもしなかった者に。
 気づかなかった自分が悲しかった。それから、異人とは知りもせず、親身になって佐巣の世話をしていた向戸老人のことも悲しかった。
 老人は、一から佐巣に言葉を教え、話せるようになったといっては喜んだものだ。佐巣は言葉を忘れたのではなく、はじめから大那語がわからなかっただけだったというのに。
「向戸に、すまなかったとは思わないのか?」
 大狼は、ようやくささやいた。
「思っていますよ、もちろん」
 佐巣は、はじめてしんみりとした口調になった。
「本当の父親のような人でした。何度、打ち明けようと思ったことか」
 佐巣は言葉を切り、間をおいてから付け足した。
「たぶん、彼が生きていれば、仲間のところには戻らなかったでしょう」
「調子のいいことを言うな!」
 大狼は激しく首を振った。
「おまえの顔など見たくもない。なんで、おれの前に現われた」
「なにか、お役にたてればいいと思って。毛布をもっと持ってきましょうか」
「結構だ! おまえの世話になどならない」
「そうですか」
 佐巣は立ち上がり、ひっそりと言った。
「すみませんでした」
 佐巣は大狼に頭を下げて納屋を出ようとした。傷つけられたように背中をまるめて。
 大狼は彼の後ろ姿を見まいとし、しかし、つい呼び止めてしまった。
「待てよ」
「え?」
 佐巣は振り返った。とたんに明るくなった声音だった。
 大狼は、自分の人の良さに腹が立った。それに付け込む佐巣に対しても。さっきから、彼にしてやられてばかりいるような気がする。
 許したわけではない。知りたいことがあるだけなのだ。
「おまえたちのことを話してもらおう」
 大狼は顔をそむけたまま、ぶっきらぼうに言った。
「異人は大那に間諜を放っていたようだが、おれはおまえたち異人のことを何も知らない。海人族の先祖ということぐらいしかな」
「それもそうですね」
 佐巣はあっさりとうなずき、もう一度網の上に座り直した。大狼を見つめ、
「〈帝国〉と言います、われわれの国は。大那の言葉に直すとね」
 自分がだまされていたのは、この青い目なのだと大狼は思った。佐巣はいつも、人の目をまっすぐに見て話をした。自分には、まるで後めたいことはないと言ったまなざしで。見られている方が目をそらしてしまいそうだった。深い海の色の目に、みながみな欺かれてしまったのだ。
「大那は〈帝国〉にとっては伝説の地でした」
 大狼のいまいましい思いをよそに、佐巣はよどみなく語りはじめていた。
「帝国人は海を越えた遥か東方の地に、ずっと楽園を夢見ていたんです。太陽が昇る方、端麗な神々が住まう永遠の地。多くの人々がその幻の島を目指して船出しました。ほとんどが海の藻屑と消えましたが、奇跡的に大那に漂着した者もいたらしい」
「それが海人族の祖というわけか」
「そう。今から四五百年ほど前のことです。やがて〈帝国〉には理屈屋の学者たちが現われて、神々など存在しないと言い出しました。帝国人もその気になって、神々は無垢の時代の遺物となってしまったんです。無謀な船出をする者もいなくなりました。
 そしてさらに時は流れ、〈帝国〉の皇帝のもとに、新大陸発見の報がもたらされました。このころには、遠征が可能なだけの丈夫な船が建造できるようになっていましたし、〈帝国〉は新たな領土拡張を目指していました。海の向こうに目を向けるのは当然のことだったんです。
 大那とは、〈帝国〉の船ならば一年ほどの航海で行き来できる距離でした。神々はもう俗信と工芸品の中にしか存在しませんが、帝国人の心の底にはまだ東方の楽園への想いがあって、遠征計画は類を見ないほど迅速に進められたわけです」
「手まわしよく、間諜まで送り出してな」
 苦々しげに大狼はつぶやいた。
 大那人が何ひとつ気づかず呑気に暮らしていた間に、その〈帝国〉とやらは着々と遠征準備を進めていたのだ。
「大那の地理と言葉を知ることが目的でした」
 佐巣は言った。
「志願者の中から選ばれたのは、だから、十四五のまだ頭の軟らかい連中ばかりでした。二十人ほどいたはずです。五年後に何人残っているかは、運まかせでしたが」
「そして、何くわぬ顔で風嵐に流れついたふりをしていたわけか」
「いえ」
 佐巣は生真面目に首を振った。
「あれは本当です。われわれの船は嵐にあって本当に難破してしまったんです。わたしは運よく風嵐に流れついて向戸に拾われました。他の者のことは、いっこうにわかりませんでした」
「何人残ってたんだ」
 大狼はため息をついた。
「いったい、おまえの仲間は」
「三人です」
 二十分の三では、いい確率といえないな。
 大狼は思った。運のなかった〈帝国〉の若者たちがふと哀れになる。なんの予備知識もない未知の土地に送り込まれ、そのあげくが死というわけだ。生き残ったのは、佐巣のような図々しい連中ばかりなのかもしれない。
「志願、と言ったな。危険承知でか」
「命をかけるだけの魅力があったんです。成功すれば一足飛びに出世できる」
「出世か」
 大狼はつぶやいた。
「そんなに価値あるものなのか? 命とひきかえできるほどの」
「あなたには、わかりませんよ」
 佐巣はぴしゃりと言った。
「あなたは、生まれついての〈狼〉の惣領だ。わたしは、兄弟の多い農夫の末っ子でした。相続権は長男だけのものですからね、兄の農奴として一生を送るしかなかったんです。この大那に来なければ」
 大狼は黙り込んだ。
 自分の生まれがめぐまれているということは、よくわかっている。そのための甘さが、常に自分につきまとっているということも。
 だが、佐巣の気持ちも理解できないわけではなかった。自分だって、先の見えている一生ならば、少々の危険をおかしても他に道を切り開こうとするだろう。
 異人も、それぞれになにかしらの思いを抱いて大那に来ているのだ。すでに死んでしまった者も、まだ生きている者も。
 同じ感情を持った人間であるはずなのに、なぜこれ以上殺し合いをしなければならない?
 お互いに、いやというほど死者を見てしまったのだ。
 大狼は頭をかかえてため息をつき、足の鎖に目を落とした。
「おれは、いつまでこうやってなくちゃならないんだ?」
 顔を上げて尋ねる。
「なぜ、こんなところに独りで置かれている」
「わたしも、よくわかりません」
 佐巣は肩をすくめた。
「副総督の命令でした。あなたを津木に連れて来た人ですよ」
「あの赤毛か」
「ええ。あなたに、なにか尋ねたいことがあるようです。わたしは、後で通訳を命じられています」
 昨日の素振りからでもそれはわかった。いったい、何を尋ねるというのだろう。
「副総督というのは?」
「大那本土にいる帝国人の事実上の指揮者ですよ、今のところは。なにしろ、総督は風嵐に身を落ち着けて動こうとしない。まあ、昨日のことがあるから、そろそろ腰を上げるかもしれませんがね」
 指導者と話ができるのは、悪いことではないかもしれない、と大狼は思った。内容がどんなものかはわからないにしても。
 大那の侵略を思いとどまらせることはできないだろうか。大那はいま、人間にはおよびもつかない大きな力が働いているのだと。これ以上仲間を失いたくなければ、大那から早く立ち去ることだと。
 二度もあの大惨事に遭遇したのだ。信じるに足る証拠はある。自分の言葉に耳をかたむけてくれないだろうか?
 それとも、この考えも自分の甘さにすぎないか? 
 昨日以来、初めての食事が運ばれて来て、佐巣はそれと入れ違いに納屋を去った。
 食事は、椀に入った色のない汁に、青豆が数個入っただけの貧しいものだった。口をつけてみて、香辛料のきつさに顔をしかめる。
 副総督に話さなければならないことが、もう一つできたと大狼は思った。
 異人がどのくらい兵糧を持ってきたかは知らないが、まさか無尽蔵ではないはずだ。
 この冬、大那は確実な飢饉をむかえている。
 異人の連中は、どうやって喰いつないで行くつもりなのだろう。
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