第1話.都市伝説
文字数 3,173文字
この極寒の世界は、札幌の治安を守る北海道警察札幌支部刑事課で勤務しているとある刑事の心ともよく似通っていた。
彼の名前は羅臼あさひ。
あさひは、今日も勤務を終えると、フロアの片隅にある喫煙所へ向かった。
そして喫煙所に入ると、強めのタバコに火をつけながら雪景色を眺める。
この喫煙所は、かつての取り調べ室をリフォームして作られていた。それ故に窓には鉄格子が付いていて、鉄格子の先にある開いた小窓から、冷たい冬の風が吹き込んでいた。
一向に真相が掴めないあの未解決事件。
殺風景な喫煙所にくると、あさひの頭はいつもそのことばかり考えるのだった。
同級生の失踪と親友の自殺。
砕け散ったバンドと消えた青春。
頭に巡るのはいつもあの名前。
『蓮菜』
彼女は、いったい何処へ消えてしまったのか。
あさひは、その真実を突き止める為に刑事になった。
刑事という職業は、ある意味危ない仕事だ。人のために危険を犯して危険に近づき、人々の安心を守っていくことが使命。
心配症の両親は、あまり良い顔をしなかったし、できることならば学者のような研究職になる道を進んで欲しかったそうだ。
だがあさひは、そんな両親の気持ちを押し切ってまで大学進学を辞めた。
今考えれば、大学を出てから警察に入った方が良かったのかもしれない。
でも当時、そんな冷静にはいられなかった。
一刻も早く警察に入り、経験を積んで刑事になり、あの未解決事件を捜査する。
その想い一つで突き進み、見事叶って警察官、そして刑事にまでなることができたのである。
刑事にはなれた。けどそれはあくまで通過点。
あの事件の真相を知るまで、刑事は辞められない。
◆
そんなことを考えていると、後輩の数雅がやってきた。
「お疲れっす!」
「お疲れ。仕事の調子はどうだ?」
「順調っす!例の麻薬密売人の尻尾も掴めましたので、今後の進展にご期待ください!」
「そうか。朗報だな。」
後輩の活躍は、先輩として嬉しい。そんなあさひを横目に、数雅は晴々とした顔で上機嫌にタバコを咥える。
あさひは、彼の嬉しそうな顔を見て若干は気が紛れたが、あのことを考えている最中でもあったが故に晴れない表情をしていたのだろう。
「先輩。最近何かありましたか?」
「例の事件のことを考えていた。」
「また、あの未解決事件のことですか?」
「そうだ。彼女を探す夢を今もなお見続けている。」
数雅は、スッとタバコを吸って煙を吐くと、壁に寄りかかりながらしゃがみ込む。それから能天気に天井を見つめた。
「きっといつか見つかりますよ。」
あさひは、つくづく彼の軽い口調に苛くことがある。根アカな性格が数雅の長所だけども、それが凶と出ることもあるのだ。
事件の関係者じゃないから気持ちがわからないのかもしれないが、軽々しく触れて欲しくはない。
「そんな軽く言うなよ。彼女のご両親も、同級生も、そして俺も、まだ彼女のことを信じて探し続けているんだ。」
「申し訳ございません。」
数雅が萎縮してから数分間、静かな時が流れていた。
タバコを吸い終わった頃合いで、数雅が静寂な空間を打ち切った。彼は、気を取り直すかの如くこちらへ顔を向けると、いつもの根アカな口調で声をかけてくる。
「あさひ先輩。もし大丈夫なら、この後すすきのにでも遊びに行きませんか?」
きっと彼なりに、落ち込んでいる俺を励まそうと気を使ってくれているのだろう。そう、あさひは考えた。
「良いよ。久しぶりに一杯やるか。」
こうしてあさひと数雅は、閉塞的でもの寂しい喫煙所から抜け出すかのように、開放的な夜の街『すすきの』へと繰り出していくのである。
◆
雪の降る歓楽街。
マッチ売りの少女。
もし本当にいるのなら、一緒にマッチの火で悴む手先を温めながら、遠い昔...あの頃の話でもしてみたいものだ。
まだ、彼女と、彼らと幸せな当たり前の毎日を過ごしていたあの頃の...
あさひは不意によぎる気持ちを振り切るように、飲み屋の話を絶え間なくしてくる数雅へと意識を向け続けていた。
あさひと数雅。このコンビですすきのへ来ると定番のコースがある。
まずは1軒目の地酒居酒屋。
2軒目のニュークラ。
3軒目のキャバクラ。
そして、コンビニの駐車場でだべりながら缶ビールを飲む。冬に限っては、酔いを覚ます寒気と雪景色のセットが付いてくる。開放感と背徳感、これがたまらなく気持ち良い。
最後は札幌ラーメンで締めて、各々自宅へ帰るのだ。
今日もその流れだ。
ニュークラのカラオケで昔好きだったバンドの曲を熱唱。
キャバクラで満たされない夜を味わう。
雪を見ながらコンビニで缶ビールをキメる。
2人でビールをかち込んでいると、話の区切りが良い辺りで数雅がある話題を上げた。
「都市伝説とか信じますか?」
そういう物を信じないあさひには、縁のない話である。
「あまり興味がわかないな。俺は現実主義だからさ。」
「そうなんすね。先輩はそう言うと思ってました。けど、私はそういうの結構好きなんです。」
彼が都市伝説マニアなことなどよく知っているし、彼もあさひが現実主義者なことは知っているはずだ。もし知らなかったら、これまで過ごした日々で彼は周囲にいっさい興味を向けていないことにもなりかねる。
きっと彼も酔っ払っているのだ。調子に乗らせておくと彼はベラベラ喋るので、それはそれで気楽である。あさひは、自分は信じないけど物語としてそういう話を聞くのは好きだから、彼に物語を語らせようと促してみた。
「なんか面白い話あったら聞かせてよ。」
すると数雅は、待ってましたとばかりな顔をする。
「狸小路四五丁目(たぬきこうじしごちょうめ)って話があるんです。」
あさひは首を傾げる。
「なんだそりゃ。狸小路は七丁目までしかないぞ。」
すると数雅は、習ったばかりの言葉を使いたがる子供のような声で、勢いよく語りかけてくる。
「それが、四丁目と五丁目の間の路地を進んだ先にある細い裏路地の奥に、四五丁目という裏歓楽街があるらしいんです。」
「ほお、興味深いな。」
明日は休日。
酔いが周り気分が大きくなる。
極寒の駐車場の隅っこ。
刑事歴5年目の数雅。
彼は、その都市伝説を熱く語り始めた。
◆
狸小路四五丁目(たぬきこうじしごちょうめ)。
四丁目の隅みにある路地を進み、さらに人が通れるか通れないかのビルの隙間を最奥まで進む。
そこには、人間ではなく狸が営む裏歓楽街が存在する。
近代化された札幌には存在しない、昔ながらの飲み屋が軒を連ねていて、狸たちがバーや居酒屋、ラーメン屋、クラブ、スナック、そしてキャバレーを切り盛りしている。
実際に行ったことある人間も、僅かながらいるのだとか。
彼ら曰く。料理もお酒も接客も、人間が織りなすこの世とは比べものにならないくらい極上。あそこに一度足を踏み入れると、こちらの世界に戻りたくなくなるらしい。
この話を聞きつけた人々が、その場所へ行こうと試みたが、そんな場所見当たらない。その為、ただの酔っ払いの戯言として片付けられてしまったようだ。
◆
あさひは、寒気に覆われる夜の天を見上げて白い息を吐く。
「そんなとこあったら行ってみたいもんだな。」
「良ければ今度探してみませんか?」
数雅は、酔いも回っているからか、いつも以上にウキウキしている。
「めんどくせえよ。」
現実主義のあさひは、彼の誘いをサラッと断る。
「ええ、そんなこと言わないでくださいよ。」
「あくまでも都市伝説だろ。時間と体力の無駄だ。」
あさひがそう言い放つと、数雅は残念そうな顔をしていた。そんな彼を他所にビールを飲み終えたあさひは、数雅を引っ張るようにスタスタとラーメン屋へ向けて足を進めるのであった。