第25話 着弾

文字数 2,184文字

 イスダリア教国の兵は最前線を突破しつつあるようだった。ボルドたちが潜む塹壕まではまだ達していないが、一つ手前の塹壕には達しつつあるのが見て取れた。

 当たるかどうかもわからないが、手前の塹壕に取りつこうとしている敵兵に向かって援護のために短銃を撃ちながら、ボルドは不味いなと呟いた。

 そもそも将兵の数が足りない。五千と聞いている援軍が後方から送られて来る前なのだ。イスダリア教国の進軍が予想以上に早かったということなのだが、それにしても幕僚本部は何をしているんだと言いたくなる。

 自分たちが潜む塹壕までイスダリア教国の兵がやって来るのは時間の問題だった。
 撤退すべきかとボルドは思う。このままでは早い段階で戦線が崩壊してしまうのが確定的だった。

「おい、マーク!」

 ボルドは近くにいる通信兵に向かって怒鳴った。

「基地司令部からの指示は?」
「いえ、何も。戦端が開かれた時にあった指示、その場所を死守せよ以降、指示はありません」

 通信兵のマークは血の気が完全に引いた青い顔をボルドに見せていた。

 くそっ、どうなっているとボルドは心の中で悪態を吐いた。

 基地後方から長距離砲や遠距離魔法が敵兵に向かって撃ち込まれている気配もない。これでは、イスダリア教国の兵がこちらの塹壕まで無傷で達することができてしまう。

 戦端が開かれた時に行われたイスダリア教国からの砲撃で、長距離砲部隊などに被害がでたのだろうか。何にせよ状況は最悪と言ってよさそうであった。
 無傷で辿り着いたイスダリア教国の将兵をこの塹壕にいる将兵だけで支えきるのは無理な話だった。

 やはり戦線が崩壊する前に撤退か。ここで例え志願兵を投入しても、戦局全体を逆転させられるとはボルドに思えなかった。

 ここの基地を失えば、要塞都市グリビア攻略への足掛かりを更に失うことになる。それはカイネルの目論見が大きく後退することを意味するが、それも仕方がないことだとボルドは考えていた。

 大した戦果も出せないような状況下で、彼らを無駄に死なせるわけにはいかないのだ。無駄に死ぬために彼らがこの戦場に立っているわけではない。
 ボルドがそう決意した時だった。

 二つ、三つ前にいる塹壕の味方兵が次々と塹壕から抜け出して、後方に位置するこちら側へ駆け出してくる。皆、必死の形相だった。撃たれたのだろう。こちらの塹壕に達する前に、数名の兵士が地面に倒れ込んで動かなくなる。

「重装歩兵が来るぞ!」

 そんな声が聞こえてきた。こちら側からの長距離砲や遠距離魔法での攻撃がないとみて、イスダリア教国側は一気に重装歩兵を押し出して来たようだった。

「おい、マーク! どうなっている。味方の重装歩兵はどうした。魔法大隊は? 司令部からは何も連絡はないのか!」

 通信兵のマークに向かって怒鳴ったボルドだったが、マークは青い顔で首を左右に振るだけであった。

「少尉、先程から基地司令部と全く連絡が取れないようです」

 いつの間にかに衛生兵のハンナが近くに来ており、ボルドに小声でそう言った。
 ボルドは思わず、まじまじとハンナの顔を見る。ハンナも流石にこの状況では青い顔をしており、酸素が足りないかのように短い呼吸を繰り返しているのが見て取れた。

 戦端が開かれた序盤から長距離砲などでの反撃が一切ないのは、やはり基地司令部で何か不足の事態があったからなのかもしれない。

 ボルドがそこまで考えた時、爆音と共にボルドの体は激しく塹壕内の壁面に叩きつけられた。

 頭を激しく打ちつけたためか、一瞬だけ意識が飛んだようだった。状況から見て塹壕近くに長距離砲の着弾があったようだ。

 地面に横たわっていたボルドは、歪む視界の中で上半身を起こして懸命に声を張り上げた。

「皆、無事か! 負傷した者は?」

 それに合わせるかのように短い悲鳴が上がった。

「ルイス、 ルイス!」

 ルーシャの声だろうか。ルイスを呼びかける悲痛な声が聞こえてくる。

「ハンナ! 無事か?」
「はい、大丈夫です」

 ボルドの右手から応える声がする。

「あっちだ。様子を見てくれ!」

 ボルドはそう怒鳴ると、まだ歪み続ける視界を前方に向けた。歪む視界の奥にゆっくりと前進してくるイスダリア教国重装歩兵の姿が見える。それは禍々しいまでの姿だった。

「敵重装歩兵、来ます。三千、いや五千!」

 通信兵のマークが悲鳴のような声を上げた。

「馬鹿な……」

 思わずボルドは呟いていた。重装歩兵が五千などという数は、イスダリア教国が保有する重装歩兵のほぼ八割にあたるはずだった。

 重装歩兵の八割を投入してイスダリア教国はこのジルク補給基地を踏み潰し、それを足がかりとしてガシール帝国内部まで進攻するつもりなのかもしれない。

 ガジール帝国がイスダリア教国との長きに渡る争いに疲弊して何らかの形で有利な和平を結びたいのと同様に、イスダリア教国側もその辺りの事情は似たようなものなのかもしれない。

「少尉、ルイス三等陸兵が重傷です。砲弾の欠片が腹部に直撃しています。すぐにでも適切な処置をしなければ……」

 そのような中で、戻って来たハンナからボルドはそう報告を受けた。
 適切な処置……こんな前線では無理な話だった。

「保たないか?」

 ハンナは無言で首を左右に振る。前方に目をやると、イスダリア教国の重装歩兵がその禍々しさを増しながら確実に迫って来ている。
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