喫茶ハルカゼ

文字数 2,861文字

なんて気持ちのいい朝だ。

外の景色が良く見えるこの場所が私の特等席。
出窓というものはきっと、我々のために作られた場所だろう。

私の名前は春風。迷い猫だった私は、飼い主が現れるまでの間、喫茶ハルカゼで世話になることになった。決して捨てられたわけではないのだが、散歩中に飼い主とはぐれてしまった私は、喫茶ハルカゼがあるマンションの辺りをさまよっていた。そこへ通りかかったパパさんが私を保護してくれたのだ。

パパさんは喫茶ハルカゼのオーナーで、お店は家族で経営している。パパさんの家族は、ママさんと、一人娘の夏海との3人家族だ。お客さんたちは親しみを込めて、パパさんをマスター、ママさんを京子さんと呼んでいる。マイペースなパパさんとしっかり者のママさんはいいコンビだ。喫茶ハルカゼはマンションの1階にあるため、住人たちもよくやって来る。

「お父さん、急がないと開店時間に間に合わないわよ!」
 
モーニングがある為、喫茶ハルカゼの朝は早い。

「母さん、分かってるよ!だから急いでるじゃないか」

「行ってきまーす!」

娘の夏海が、パパさんとママさんの間をバタバタとすり抜けて行った。

「夏海、今日はお昼から雨降るみたいだから折りたたみ傘持っていくのよ〜」

「えー、こんなに晴れてるじゃん。取りに戻るの面倒くさいからもう行くね!」

「ちょっと〜待ちなさい!」

「もうバス来ちゃうから!じゃあいってきまーす」

「おー、気をつけてなー」

ママさんは用意周到な人だ。それに比べてパパさんと夏海は行き当たりばったりで、何だか二人はよく似ている。

「もう、お父さんからも何とか言ってよ」

「いいじゃないか、濡れたら乾かせばいいんだから」

「そんな呑気なこと言って、洗濯するのは私なんですからね!」

「まぁまぁ。ほら、母さん急がないと開店時間に間に合わないよ」

「分かってますよ!」

パパさんはママさんからいつも同じことを言われている。全く進歩がない。

毎朝こんな感じで騒々しく喫茶ハルカゼの1日は始まる。パパさんとママさんはとても仲が良いのだ。 

そんな風に見えないって?

喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、側から見れば、言い合いの喧嘩をしているように見えるかもしれないが、本人たちにとってはそれがコミュニケーションだったりするのだ。

もともと、パパさんの知り合いがこの場所で定食屋を営んでいたが、お店を畳むということでパパさんがこの場所を引き継ぎ、喫茶店を開く事になった。

パパさんがまだ20代の頃の話だ。歌うことが大好きだったパパさんは歌手を目指していた。当時はアルバイトをしながら路上や小さなライブハウスで音楽活動を続ける日々を過ごしていた。

そんなパパさんの追っかけをしていたのがママさん。

いつしか2人は惹かれあい、やがて夏海が生まれた。それまで夢を追いかけてきたパパさんだったが、家族を養っていくためにと喫茶店を開くことにしたのだ。

それでも歌うことが好きなパパさんは、たまにお店でその歌声を披露している。パパさんの歌声を目当てにやって来るお客さんもいるくらいだ。

ハルカゼではパパさんが調理担当で、ママさんが接客担当だ。そして私は、、、看板娘とでも言っておこう。夏海も学校が休みの日は店を手伝っている。夏海がまだハイハイしている頃から私たちはずっと一緒にいる。だから私と夏海もいいコンビだ。

「ミャー」

「あら、春風ごめんね〜朝ご飯まだだったわね」 

私が少し遅い朝食を頂いていると、早速今日のお客さん第一号がやって来た。

カランカラーン。

「おはようございます」

やって来たのは、このマンションに住んでいる洋子だ。洋子は夫と息子の3人暮らしで、息子の正弘と夏海は幼馴染の関係だ。

いつもだと15時くらいに来て、ケーキとコーヒーでお茶をするのだが今日は何やら様子がおかしい。

「あら洋子さん、いらっしゃい!今日は早いのね」

「そうなの、午後から正ちゃんの三者面談があるんだけど、何だか落ち着かなくってね。朝からずっとソワソワしてるのよ」

「正弘君、今年受験でしたね。大丈夫ですよ正弘君なら!ねぇお父さん」

「えぇ、勉強頑張ってるみたいだしね」

「そうだといいんですけど、先生から第一志望は無理でしょうなんて言われたらどうしようかと思って。一人でいると悪いことばかり想像しちゃって。マスターと京子さんの顔見て落ち着こうと思って」

「ここはいつでもウェルカムよ、ねぇマスター」

「そうですよ。何かあったら一人で抱え込まないで、吐き出していいんですよ」

「ミャー」

「ほら春風だって大丈夫って言ってる…って、春風どこに行くの?」

ママさんが私を抱き寄せようとするのを、私はするりとかわした。

「それが……」

すると、洋子の顔色が変わった。

「あら洋子さん、どうかしたの?」

「正ちゃんたら休まず塾にも通っているのに、最近成績が思わしくなくって」

「あらぁ、そうだったの」

正弘は毎日、この店の前を通って塾に通っている。いや、通っていたと言った方がいいかもしれない。なぜなら最近は塾と反対の方へ行ってしまうからだ。

塾には行かずどこへ行ってるのかは分からないが、私の特等席からはいろんなものがよく見える。

洋子はママさんお手製のクレームブリュレとコーヒーを注文した。いつもなら読書をしながら一人ゆっくりとお茶をしているのだが、気を紛らわすためか、今日は何だか饒舌だ。帰るまでずっとパパさんとママさんとおしゃべりをしていた。

その日の夕方、珍しい客がやってきた。洋子の息子の正弘だ。

「あら正弘君いらっしゃい、久しぶりね」

「どうも。コーヒーフロート一つ、お願いします」

正弘は小学生の頃から、ハルカゼへ来ると必ずコーヒーフロートを注文する。オレンジジュースやリンゴジュース、子供も大好きクリームソーダなんかには目もくれず、コーヒーフロート一択だ。

おそらく正弘は、なかなかの頑固者らしい。こんなにブレないなんて。決めつけはいけないが、きっとそうだ。

「お父さーん、正弘君にコーヒーフロートお願い!そういえば午前中お母さんも来てたわよ。今日三者面談があったんでしょう。洋子さん言ってたわ」

「えぇ、まぁ」

正弘は浮かない顔でママさんに返事をした。

「はい、コーヒーフロートお待ち。今日は塾は休みかい?」

「あの…実は僕、マスターに聞きたいことがあって」

正弘が何かを言いかけたその時、ちょうど夏海が学校から帰ってきた。

「ただいまー!あれっ正君じゃん、久しぶり〜」

「おう」

幼馴染の正弘と夏海だか、夏海は正弘の一つ年下で、高校が違う二人は久しぶりの再会だ。

「正君、今日はカラオケ行かないの?最近よく行ってるでしょ」

突然おかしなことを言い出した娘に、パパさんとママさんは顔を見合わせた。

「夏海何言ってるの、正弘君は受験生だし塾が忙しいからカラオケになんて行く暇ないわよ。人違いじゃないの?」

「人違いなわけないじゃん!私、正君の顔見間違えたりしないよ!」

すると、正弘の表情が急に険しくなった。塾には行かずにカラオケに通っていたとは…。正弘は一体何を隠しているのだろうか。

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