第2話 赤坂のドワーフ

文字数 2,644文字

 ドワーフのスンムさんがこの赤坂にある有料老人ホーム「サニーヒルズ」にやってきてから半年経つが、僕はいまだに彼の笑顔を見たことがない。
 
 僕が働くこのサニーヒルズは一般的な老人ホームより施設が整っているし、スタッフの士気も高い。万年人手不足ではあるが、それでも他の施設よりは離職率は低い方だと思う。

 だがスンムさんはこの施設が気に入らないらしい。いつも一人でブツブツ言っている。

 いつもこんな貧乏臭いところは嫌だ、と愚痴を言うので友達が全くできない。

 当たり前だ。サニーヒルズは都心にある人気老人ホーム。予約待ちも多く、苦労して入居した人も多い。文句ばかり言うスンムさんが嫌われるのもしょうがない。

 スンムさんは建設会社の社長だった。耐震に強いドワーフ式工法を売りにしたCMはよく流れていたので、僕もスンムさんの会社のことは知っていた。現在は息子さんが社長をやっているらしい。

 熱海や伊豆には富裕層向けのサービスを受けれる温泉付きの老人ホームがあるが、スンムさんは赤坂にこだわった。

 まだ現役だった頃にこの街で散々飲み歩いていたので離れたがらないんですよ、と息子さんが入居の手続き時に教えてくれた。

 施設のレクリエーションにもほとんど参加せず、一人庭でぶつぶつ言いながら過ごすスンムさん。

 赤坂で毎晩のように御座敷遊びをしていた彼にとって、健康体操や痴呆防止の手遊びをグループでやるなんてことはプライドが許さないのかもしれない。
 
 施設で孤立していくスンムさんに僕は話しかけ続けた。担当というのも勿論あるが、僕はスンムさんが嫌いではなかった。
 
 傲慢で見栄っ張りな祖父に似ていたからかもしれない。

 親戚中から煙たがられていた祖父だったが、僕は祖父が好きだった。

 祖父は両親が不在なときに中華料理屋に連れて行ってくれて、好きなものを食べさせてくれた。健康志向の両親はそういう店を嫌っていたので、祖父との外食は僕にとって楽しい時間だったのだ。

 祖父はいつも手酌で瓶ビールを注ぎ、口周りをベタベタさせてがっつく孫を見て一言、「うまいか?」と聞くぐらいで、特に会話らしい会話があったようには記憶していないが、僕にとっては大切な時間だった。

「スンムさん、赤坂のおいしい店、教えてくださいよ。今度両親が上京してくるんです。どこかいい店知りませんか」

 ある日、僕はスンムさんに軽い気持ちで尋ねた。お決まりの天気の話題ばかりではスンムさんもうんざりだろう、と思ったのだ。

 それでも、無視されるか、ぶっきらぼうに返されるだろうな、と予想していた。しかし意外なことにスンムさんは普通に答えてくれた。

「北斗。昼ならあそこの松花堂弁当がいいだろう」

「ほ、ほくと? 和食屋さんですか? ありがとうございます。調べて行ってみます」

「………北斗に行ったら……女将によろしく伝えてくれないか」

「あ、お知り合いなんですね。わかりました。ホームの住所も伝えましょうか?」

「よけいなことはせんでいい!」

 スンムさんは大声で怒鳴ったあと、プイとそっぽを向いてしまったので、それ以上は話かけれなかった。

 翌週の休日、長野から上京してきた両親をスンムさんに教えてもらった店に連れて行くことにした。。
 
 北斗という店は和食屋さん……とは呼びづらい店だった。どちらかというと料亭という雰囲気で、看板も小さく出ているだけ。観光客は店の存在に気付きもしないだろう。
 
 自分の安月給で払えるのか心配になったが、グルメレビューサイトを見ると、昼営業のみ出している松花堂弁当は、予想していたよりリーズナブルだった。もしかしたらスンムさんが気を遣ってくれたのかもしれない。

 店構えは質素だが、店の中の設えは教養のない僕でもわかるほど立派なもので、一流旅館のような設えとホスピタリティ溢れる接客に、両親は大満足したみたいだ。
 
 座敷に案内してくれた中居さんに、スンムさんのことを伝えると、中居さんはにっこりと笑みを浮かべ「女将に伝えます」と答えた。

 北斗の料理はとても素晴らしく、僕たち家族は一口食べる度にうっとりしていたのだが、その上女将からです、と食後のデザートに大きなマスクメロン(どう考えても今回のお会計と同額の物だ)が提供された。

 スンムさんにはちゃんとお礼言わなきゃな、と考えながら会計をして店を出る間際、女将さんと思われる女性に声をかけられた。

「ありがとうございました。ご満足いただけたでしょうか」

「あ、はい。とても……とてもおいしかったです」

 女将さんは歳は母親と同年代ぐらいだと思うが、比較すること自体が恥ずかしくなる。それぐらい美しい女性だった。

「それで……あの…」

 女将さんが何か言いたそうにしていたので、僕は思わず「スンムさんのことですか」と尋ねてしまった。

「はい。スンムさん、今はどこにいらっしゃるか、ご存知なんですよね………」

「それは……」

 余計なことはするな、とスンムさんに怒鳴られたことを思い出す。それでも女将には伝えた方が良いのだろうか。二人が深い関係だということはなんとなくわかる。

「居場所を教えていただけないなら………これを彼に」

 女将は僕に手紙を手渡した。ぎゅっと、僕の手を包み、懇願するかのように。

「………はい」

 そう答えて僕は手紙を受け取った。

 同じ赤坂に居るというのに、スンムさんは何故居場所を伝えないのだろう。今の姿を見せたくないから? それなら、なんでこんなに近くの施設に………。両親を東京駅に見送っているときも、僕はそのことばかり考えていた。

 後日、手紙を渡すと、スンムさんは奪うように受け取った。てっきり以前のように怒鳴られると思ったが、そんなことはなかった。

 僕はこの件以降、スンムさんに頼まれて北斗通うようになった。

 スンムさんにはただ女将の様子を見てくるだけでいいと言われている。

 女将は僕の顔を見ると嬉しそうに歓迎してくれる。女将から預かった手紙をスンムさんに渡すこともあるが、スンムさんからは手紙を渡したことはない。

 そういう関係もあるのだ。
 
 スンムさんが入居して一年が経った。

 スンムさんは相変わらず、今もぶつぶつ文句をいいながら、施設の誰ともつるまず一人で庭で過ごしている。

 
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