第1話 テニサーのエルフ
文字数 2,489文字
「う、うぅ……ひっく」
ラミは毛布を被って泣き続けている。1時間前からずっとこの調子だ、
「もう、泣きやみなよ。お水いる? 喉カラカラでしょ」
私はホテルに備え付けられた小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「……ごめんね。本当にごめん。のいちゃん、凄く楽しみにしてたのに……私のせいで……せっかくの卒業旅行なのに。ウユニ湖でみんなで写真撮ろうね、って言ってたのに」
私はため息をつく。
「だから気にしてないってば。ほら、水飲みな」
「うぅ」
やっと毛布の中から出てきてくれた。
散々泣いたせいか鼻と長い長い耳が真っ赤だ。
ラミ・エクシア・山下。彼女は私と同じ大学のテニスサークル仲間のエルフだ。
整った美しい顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。せっかくの美人が台無しじゃないか。
「あのね、本当にもう気にしてないから! ここまで来るだけでもけっこう楽しかったよ? 南米旅行なんて私初めてだったし」
ハンカチでラミの涙を拭いてあげる。
「でも」
「しょうがないじゃない。ウユニ湖で精霊加護受けれないなんて誰も知らなかったし。浮かれてて何も調べずに旅行先決めた私たちが悪かったの」
そうなのだ。ウユニ湖は塩湖。世界の絶景スポットだが、生物がほとんど存在できない死の湖でもある。周囲の植物から発生するマナを得て活動しているエルフの彼女は目的地に着く前に体調を崩し倒れてしまったのだ。
「私なんて置いてみんなと行けばよかったのに」
「初めて来た異国の宿にラミを一人ぼっちにするなんてできないよ」
「のいちゃん〜」
ラミが私に抱きつく。
また泣いてる。うぅ。かわいい……。
……白状すると、ウユニ湖はどうでもよくなっていた。
ラミを独り占めできてるのだから。
そう、私はラミのことが大好きなのだ。
春に大学のインカレテニスサークル「スマッシュ!」に友達に誘われて入ったが、ほとんどが飲み会。他の大学と試合なんてしたことがない。スマッシュ! はそんなサークルだった。テニスコートよりテーマパークに行った回数の方が多いんじゃないだろうか。
夏を過ぎて思い浮かべていたまんまのチャラい大学生活も一通り味わったし、そろそろ辞めてもいいかな、と思った矢先だった。
サークルにラミが新入部員として現れたのだ。
真面目に新品のテニス用具を揃え、緊張して耳を真っ赤にさせながら自己紹介する彼女に男子部員のほとんどが恋をしてしまい、サークル内の女子たちを狙っていたはずの男子たちが、ラミに夢中になったものだから、一部で険悪な空気が流れ始めてしまった。
女子トイレでは毎日のようにラミに対しての噂が飛び交う。
トイレの個室から出るタイミングを逃した私は、ラミに対しての心ない言葉を聞く羽目に。
「何あの娘、ラケットなんて毎日持ってきて。真面目アピールしてんのかな?」
いや、それは普通なのでは……。
「エルフなんて、寿命違い過ぎてほとんどのカップル上手くいかないのに」
この子、部室ではラミにエルフって髪綺麗〜。素敵〜とか言ってたのに。怖いな。
心の中でツッコミを繰り返す私。私も男子たちのあからさまな移り気には幻滅したが、ラミが悪いわけじゃないだろう。
しばらくして彼女たちが去ったので、ようやくトイレの個室から出ることができた。
「どいつもこいつも……つまんない奴ばっかり」
このときは、なんでイライラしているのかわからず、独り言を呟いてしまった。
水が流れる音。個室から誰か出てくる。
ヤバっ。誰か居た。聞かれたかな……気まずくなって早々と立ち去ろう。そう思った瞬間。
鏡越しに目が合ってしまった。個室から出てきたのはラミだった。
私を見てびっくりした様子のラミ。えへへ。と苦笑いする。
彼女、さっきの女子たちの噂話を聞いた……よね。
「あ、あの!」
私は、ラミに話しかけていた。自分でもびっくりだ。
「ご、ご飯行かない? 一緒に!」
ラミは最初はきょとんとしていたけど、すぐに笑顔になって、うん。と元気な声で答えた。
私とラミの関係はここから始まった。一緒にご飯に行ったり、遊びに行ったり、たまにテニスをやったり(初心者だったはずのラミはあっという間に私より上手くなった)するようになった。
私は、彼女の無邪気な笑顔を見るたびに胸が締めつけられていた。世界にはこんなにかわいい子がいる。その事実だけで、毎日が楽しい。
「野口さんはあのときなんで私に声かけてくれたの?」
駅前のカフェでパフェを二人で食べながらラミは私に尋ねた。
「うーん」
「?」
「内緒」
「えー。教えてよ」
ラミが口を尖らせる。
「私のこと、野口さんじゃなくて、あだ名で呼んでくれたら教えてあげる」
「私、人をあだ名で呼んだことなくて……」
「じゃあ、私が初めてだ」
ニヤニヤする私。
「……のいちゃん」
鼻血が出た。
ラミにひどく心配されたが、チョコパフェ食べ過ぎただけだから、と説明した。
………あれから2年以上経って私たちも大学を卒業する。この旅行が終わればラミと会う時間も激減するだろう。ラミは実家のある森近くで就職するらしい。
私は胸が苦しくなっていた。本当はこの想いを伝えたい。
でも拒否されたら? 本当にお別れになってしまうのでは?
膝の上のラミ。
「ラミ、写真撮ろう。一緒に」
「えっ、ここで? な、なんで?」
「いいから!」
「でも、今、顔ひどいことになってるし………」
「いいの!」
エルフの寿命は人間よりはるかに長い。
私が死んでも、ラミは私のことを思い出してくれるだろうか。
ウユニ湖なんて行かなくていい。
みんなで海賊団の真似して拳を振り上げた記念写真なんて撮って欲しくない。
どうか、私を、忘れないで。
私をただの思い出にしないで。
ラミは毛布を被って泣き続けている。1時間前からずっとこの調子だ、
「もう、泣きやみなよ。お水いる? 喉カラカラでしょ」
私はホテルに備え付けられた小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「……ごめんね。本当にごめん。のいちゃん、凄く楽しみにしてたのに……私のせいで……せっかくの卒業旅行なのに。ウユニ湖でみんなで写真撮ろうね、って言ってたのに」
私はため息をつく。
「だから気にしてないってば。ほら、水飲みな」
「うぅ」
やっと毛布の中から出てきてくれた。
散々泣いたせいか鼻と長い長い耳が真っ赤だ。
ラミ・エクシア・山下。彼女は私と同じ大学のテニスサークル仲間のエルフだ。
整った美しい顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。せっかくの美人が台無しじゃないか。
「あのね、本当にもう気にしてないから! ここまで来るだけでもけっこう楽しかったよ? 南米旅行なんて私初めてだったし」
ハンカチでラミの涙を拭いてあげる。
「でも」
「しょうがないじゃない。ウユニ湖で精霊加護受けれないなんて誰も知らなかったし。浮かれてて何も調べずに旅行先決めた私たちが悪かったの」
そうなのだ。ウユニ湖は塩湖。世界の絶景スポットだが、生物がほとんど存在できない死の湖でもある。周囲の植物から発生するマナを得て活動しているエルフの彼女は目的地に着く前に体調を崩し倒れてしまったのだ。
「私なんて置いてみんなと行けばよかったのに」
「初めて来た異国の宿にラミを一人ぼっちにするなんてできないよ」
「のいちゃん〜」
ラミが私に抱きつく。
また泣いてる。うぅ。かわいい……。
……白状すると、ウユニ湖はどうでもよくなっていた。
ラミを独り占めできてるのだから。
そう、私はラミのことが大好きなのだ。
春に大学のインカレテニスサークル「スマッシュ!」に友達に誘われて入ったが、ほとんどが飲み会。他の大学と試合なんてしたことがない。スマッシュ! はそんなサークルだった。テニスコートよりテーマパークに行った回数の方が多いんじゃないだろうか。
夏を過ぎて思い浮かべていたまんまのチャラい大学生活も一通り味わったし、そろそろ辞めてもいいかな、と思った矢先だった。
サークルにラミが新入部員として現れたのだ。
真面目に新品のテニス用具を揃え、緊張して耳を真っ赤にさせながら自己紹介する彼女に男子部員のほとんどが恋をしてしまい、サークル内の女子たちを狙っていたはずの男子たちが、ラミに夢中になったものだから、一部で険悪な空気が流れ始めてしまった。
女子トイレでは毎日のようにラミに対しての噂が飛び交う。
トイレの個室から出るタイミングを逃した私は、ラミに対しての心ない言葉を聞く羽目に。
「何あの娘、ラケットなんて毎日持ってきて。真面目アピールしてんのかな?」
いや、それは普通なのでは……。
「エルフなんて、寿命違い過ぎてほとんどのカップル上手くいかないのに」
この子、部室ではラミにエルフって髪綺麗〜。素敵〜とか言ってたのに。怖いな。
心の中でツッコミを繰り返す私。私も男子たちのあからさまな移り気には幻滅したが、ラミが悪いわけじゃないだろう。
しばらくして彼女たちが去ったので、ようやくトイレの個室から出ることができた。
「どいつもこいつも……つまんない奴ばっかり」
このときは、なんでイライラしているのかわからず、独り言を呟いてしまった。
水が流れる音。個室から誰か出てくる。
ヤバっ。誰か居た。聞かれたかな……気まずくなって早々と立ち去ろう。そう思った瞬間。
鏡越しに目が合ってしまった。個室から出てきたのはラミだった。
私を見てびっくりした様子のラミ。えへへ。と苦笑いする。
彼女、さっきの女子たちの噂話を聞いた……よね。
「あ、あの!」
私は、ラミに話しかけていた。自分でもびっくりだ。
「ご、ご飯行かない? 一緒に!」
ラミは最初はきょとんとしていたけど、すぐに笑顔になって、うん。と元気な声で答えた。
私とラミの関係はここから始まった。一緒にご飯に行ったり、遊びに行ったり、たまにテニスをやったり(初心者だったはずのラミはあっという間に私より上手くなった)するようになった。
私は、彼女の無邪気な笑顔を見るたびに胸が締めつけられていた。世界にはこんなにかわいい子がいる。その事実だけで、毎日が楽しい。
「野口さんはあのときなんで私に声かけてくれたの?」
駅前のカフェでパフェを二人で食べながらラミは私に尋ねた。
「うーん」
「?」
「内緒」
「えー。教えてよ」
ラミが口を尖らせる。
「私のこと、野口さんじゃなくて、あだ名で呼んでくれたら教えてあげる」
「私、人をあだ名で呼んだことなくて……」
「じゃあ、私が初めてだ」
ニヤニヤする私。
「……のいちゃん」
鼻血が出た。
ラミにひどく心配されたが、チョコパフェ食べ過ぎただけだから、と説明した。
………あれから2年以上経って私たちも大学を卒業する。この旅行が終わればラミと会う時間も激減するだろう。ラミは実家のある森近くで就職するらしい。
私は胸が苦しくなっていた。本当はこの想いを伝えたい。
でも拒否されたら? 本当にお別れになってしまうのでは?
膝の上のラミ。
「ラミ、写真撮ろう。一緒に」
「えっ、ここで? な、なんで?」
「いいから!」
「でも、今、顔ひどいことになってるし………」
「いいの!」
エルフの寿命は人間よりはるかに長い。
私が死んでも、ラミは私のことを思い出してくれるだろうか。
ウユニ湖なんて行かなくていい。
みんなで海賊団の真似して拳を振り上げた記念写真なんて撮って欲しくない。
どうか、私を、忘れないで。
私をただの思い出にしないで。