第1話

文字数 1,192文字

 今年(2024年)8月のある猛暑日に、80歳後半の老婆が救急搬送されてきた。
 彼女は独居で、遠方に在住の娘さんが母親に電話したが繋がらないため、警察に連絡して自宅で倒れているところを発見された。家にクーラーは設置されていなかった。
 診察の結果、貧血、黄疸、その他諸々を認めたが、貧血は生命に関わるほどの重症だった。
 入院し約2カ月かけて、彼女はやや不安定ながら独歩が可能なまで回復した。
 彼女は退院の調整目的で、急性期内科病棟から地域包括ケア病棟に転棟してきた。

 「あんたが先生だが?」
 「はい、そうです。あなたの担当です。よろしく。」
 「昨日(きのう)、退院したんけど、次の日、まだぁ入院させられで、この病院だばどうなてんなや!」
 彼女には認知機能低下がある旨が前病棟から申し送られていた。どうやら転棟を退院と勘違いしているらしい。担当の看護師が転棟してきたことを説明した。
 「んだな、嘘だぁ。おれはぁ、退院手続きもして、金も(はろ)た!」
 「そうですか…。では領収書はお持ちですか?」
 「んだ、ここさある。」
 彼女は床頭台(しょうとうだい)の鞄の中を探した。が、ない。
 「ちゃんとここさ、あったなだ!」
 それからスタッフが入れ替わり立ち代わりで彼女をなだめるやら説明するやらで、一旦は落ち着いた。

 その日の夕方から夜にかけて何度も、
 「帰ろうと思て…。」「家に帰らねば。」
 彼女は着替えて、鞄を持って、何と車の鍵を手にしていた。彼女は救急車で緊急入院したので、車は病院の駐車場にはない。

 入退院支援のスタッフとの面談で、彼女本人は独居生活が可能と考えていた。介護認定も受けていて週2日の介護サービスも契約してあったが、自分で断ることが多かった。彼女の家庭環境は複雑だった。
 翌日、彼女は面談の内容だけではなく、面談したこと自体を忘れていた。認知機能検査で、中等度の認知症と診断された。

 私は以前に、精神科医と酒を呑んだ時、「離れ小島(こじま)に一人で住んでいる女性は果たして化粧をするか?」という話題で盛り上がったことを思い出した。議論は白熱し、では「離れ小島に一人で住んでいる人に、統合失調症(とうごうしっちょうしょう)が成立するか?」に発展した。
 その時私は、精神科領域の疾患は、人が社会生活を送るからこそ診断が付けられる病気ではないか?と思ったりした。一人なら誰に診断されることもない。
 私は一瞬、彼女の場合は、認知症であっても独居生活なら退院が可能である気がした。

 ホントかのぉ~?

 さて写真は神奈川県立大船フラワーセンターで撮影した1輪の薔薇である。

 花の黄色が鮮やかだったのでシャッターを押した。
 独居だと「わぁ~~、綺麗だ!」と感動を共有する相手がいない。その点、写真はその感動をカメラの中に納めておくことができる。後日写真を観て、その時の感動が(よみがえ)る写真を撮りたいと思っている。呆け防止のためにも…(笑)
 んだの~。
(2024年10月)

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