液晶の向こう側にある幸せ
文字数 3,265文字
フッと暗くなった液晶画面。
私はそれを見つめて瞬きをする。
ハイディンガーのブラシと言う言葉がある。
液晶モニターで真っ白な何も書かれていない画面を見ながら首を左右にゆっくり振った時などに見えると言う、視野の中心部にかすかに現れる束状の青と黄色の模様の事だそうだ。
何となく見た事がある様なないような……。
意図的に見ようとした時はうまく行かなかったのでよくわからない。
これが見えやすい見えにくいには個人差があるので仕方がない。
見える人はめちゃくちゃ見えて鬱陶しいそうだから、見えない方がいいと言えばいいのだろうけれど。
ハイディンガーのブラシの正体は偏光だ。
一般的に人間には偏光を見る能力がないとされ、一部の生物だけが偏光を見ることができるとされていたのだけれども、わずながらヒトにも偏光検知能があることを1846年にオーストリアの地質学者、ハイディンガーさんが見つけて報告したんだそうだ。
これを見つけたのが医者や生物系学者でなく地質学者なのがまた面白い。
何でも偏光した光の元で鉱物を調べている時に発見したそうだ。
「……でも、白い画面なのよね~。ハイディンガーのブラシは……。」
ひとりごちつぶやく。
目の前の光を失った黒い液晶モニターは、鏡の様に自分の姿を映し出している。
私は、ハイディンガーのブラシは見た事がない。
でも別のものが見える。
パソコン等を使った後、こうして真っ暗な画面になった時、それは現れる。
暗くなった画面に、一瞬、それは見える。
えっ?!と思って見直した時にはもう消えているそれ。
はじめは気のせいだと思った。
でも、こうも何度も見ていると流石に錯覚だとも思えない。
だが、それを見る覚えが何一つないのだ。
男の人。
真っ暗になった画面に一瞬見えるそれは見知らぬ男の人。
はっきりと見た訳ではないが、見覚えのある人ではない。
「……誰なんだろう?」
一瞬見えるその人は、いつも穏やかに私に微笑む。
それなりに整った顔立ちの様な気がするが、芸能人と言うほどでもないし、芸人さんの様な雰囲気もない。
第一、一瞬とはいえこれだけ見ているのだ。
テレビや何かで見たらすぐにわかる。
見ればわかるから、毎日の生活の中で気づかぬうちに顔を合わせていると言う事もなさそうだ。
なら、過去は??
この人と私はどこかで会った??
「…………う~!覚えがない~!!」
忘れているだけでどこかで会った人なのかもしれない。
でも覚えがない。
誰なのだろう?
そして何故、私は彼の姿を暗くなった液晶モニターに見るのだろう??
そんなある日、私は駅の階段でヒールが折れ、転げ落ちそうになった。
カクンと自分の身がバランスを失った時、その先に起こる事を瞬間的に予測した。
下まではかなりある。
無事では済まない。
ザッと全身から冷や汗が吹き出し凍りついた。
何もできず、スローモーションの様に何もない階段下側に体が傾いていく。
もう駄目だ。
硬く目を瞑る。
強張った体は静止された時間の中を否応なしに転落へと向かっていった。
「……危ないっ!!」
私が全てを諦めたその時、誰かがそう叫んだ。
ガシっと腕を強く捕まれ引っ張られる。
そしてドスンと勢い良く誰かの腕の中に私の体は突っ込んだ。
突っ込んだは良かったのだが、今度はその体がよろめき、ぽてん、と低い場所に落ちた。
どうやら私を助けようとしてくれたその人は、勢い余って尻もちをついた様だった。
「あ……ありがとう、ございます……っ!!」
「いえいえ、無事でよかった。助けられて良かったのですが、あはは、かっこ悪い。尻もちをついてしまいました。お恥ずかしい限りです……。」
お互い立ち上がり、顔を上げる。
私はハッとして息を呑んだ。
「……あなた?!」
「え??」
突然、大声を上げた私に、その人はキョトンとした顔をした。
いつもの優しげな微笑みではなく、子供みたいなキョトン顔は新鮮だった。
彼だった。
いつも暗くなった液晶モニターに現れる彼だった。
私は何だか知り合いに会ったみたいに安心し、そしておかしくなって笑ってしまった。
それを訳がわからない彼はオロオロと狼狽えていたっけ……。
「……ふふふっ。」
「え?何??どうしたの??のんちゃん??」
「ん~??何でもない。」
引っ越したての新居にパソコンを設置しながら、私は笑った。
その暗い液晶モニターには、鏡の様に私と彼が写っている。
あの日、階段から落ちそうになった私を助けてくれたちょっとドジな王子様は、今は旦那様になった。
人のいい彼は折れたヒールを修理に出してくれ、待っている間、ベンチに座って自販機で買ったコーヒーを飲みながら時間を潰す私に付き合ってくれた。
その時の印象がとても良かったから、今度お礼がしたいからと食事に誘い、何度か会うようになって付き合い、私達は結婚した。
ハイディンガーのブラシならぬ、暗い液晶モニターの微笑む男。
不思議な事ってあるんだなぁと思う。
そう言った非科学的な事は信じないタイプだけど、彼に関しては仕事ばかりで中々そういった事に積極的でなかった私に、神様が「運命の人」を教えてくれていたのかもしれないと信じていいと思っている。
「さて、ちょっと休もう?コーヒーで良い?」
「うん。ありがとう。これだけしまってくるね。」
「わかった。」
私はピカピカの新居のキッチンに向かい、彼は抱えていた段ボールを持って奥の部屋にしまいに行った。
綺麗なキッチンに、ここで始まる新しい生活に胸を踊らせた。
幸せだなぁと思う。
「……これは見つからない様にしないとね。かと言って捨てる事も出来ないよ……僕の大切な大切な、君との思い出だから……。」
クローゼットの奥。
天井の蓋を開けて男はそのダンボールをしまった。
けれど一度だけ下ろし、蓋を開けてふふふと笑う。
その中には、彼女の写真などがぎっしり詰まっていた。
それは二人があの階段で出会うよりもずっと前のものも数多くある。
その一枚を手に取り、うっとりと眺めて口付けた。
「可愛い可愛い僕ののんちゃん……。やっぱり僕のお嫁さんになる運命だったんだね、君は……。誰よりも誰よりも愛してるよ……。たっぷり甘やかして、僕なしでは生きていられないようにしてあげる……。僕といる事が、君にとって幸せなんだよ……のんちゃん……。」
そしてダンボールに封をし直し、天井裏にしまった。
おもむろにスマホを手に取ると画面を見て微笑む。
その画面にはキッチンでコーヒーを入れている愛しい人が映っていた。
彼女は言った。
自分を出会う前から知っていたと。
「馬鹿な事を言っていると自分でもわかっているんだけどね?私、あなたに出会う前に液晶モニターが暗くなると一瞬、あなたの姿を見ていたの。誰なんだろうって思っていたらあの日、その人が目の前に現れて本当にびっくりしたの。」
それにキョトンとして見せたが、当たり前だとも思っていた。
だって、彼女は事実、見ていたのだ。
自分の姿を。
いくらアピールしても気づいてくれないから、ちょっとだけ彼女が運命に気づくように細工した。
彼女が使う液晶モニターに1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し自分の姿を表示するようにプログラムを仕込んだ。
無意識に働きかけるだけのつもりだったが、その映像が無意識とはいえ頭に残っている彼女は真っ暗になった液晶モニターにその姿を投影して見ていたのだ。
サブリミナルの思わぬ誤算だったが、そのお陰で彼女はすぐに自分を見つけてくれた。
後は簡単だった。
彼女の事は何でも知っている。
どんな事が好きで、どんな話題に興味を惹かれ、どんな事に喜び、どんな事が嫌がられるか、全部知っていた。
調整しながらゆっくり近づき、心地よさを与え続ければ良かった。
彼女は自分を運命の人だと思っている。
勿論その通りだ。
彼女の運命の人は自分以外にいない。
彼女は自分の、自分だけの愛しい人なのだ。
これからもずっと、ずっと、ずっとずっとずっと……。
「愛してるよ……のんちゃん……。僕だけの可愛い可愛いのんちゃん……。」
彼は液晶モニターを見つめて呟いた。
(初のヒトコワ系に挑戦!テンプレなのは初物なのでお許しください……。)
私はそれを見つめて瞬きをする。
ハイディンガーのブラシと言う言葉がある。
液晶モニターで真っ白な何も書かれていない画面を見ながら首を左右にゆっくり振った時などに見えると言う、視野の中心部にかすかに現れる束状の青と黄色の模様の事だそうだ。
何となく見た事がある様なないような……。
意図的に見ようとした時はうまく行かなかったのでよくわからない。
これが見えやすい見えにくいには個人差があるので仕方がない。
見える人はめちゃくちゃ見えて鬱陶しいそうだから、見えない方がいいと言えばいいのだろうけれど。
ハイディンガーのブラシの正体は偏光だ。
一般的に人間には偏光を見る能力がないとされ、一部の生物だけが偏光を見ることができるとされていたのだけれども、わずながらヒトにも偏光検知能があることを1846年にオーストリアの地質学者、ハイディンガーさんが見つけて報告したんだそうだ。
これを見つけたのが医者や生物系学者でなく地質学者なのがまた面白い。
何でも偏光した光の元で鉱物を調べている時に発見したそうだ。
「……でも、白い画面なのよね~。ハイディンガーのブラシは……。」
ひとりごちつぶやく。
目の前の光を失った黒い液晶モニターは、鏡の様に自分の姿を映し出している。
私は、ハイディンガーのブラシは見た事がない。
でも別のものが見える。
パソコン等を使った後、こうして真っ暗な画面になった時、それは現れる。
暗くなった画面に、一瞬、それは見える。
えっ?!と思って見直した時にはもう消えているそれ。
はじめは気のせいだと思った。
でも、こうも何度も見ていると流石に錯覚だとも思えない。
だが、それを見る覚えが何一つないのだ。
男の人。
真っ暗になった画面に一瞬見えるそれは見知らぬ男の人。
はっきりと見た訳ではないが、見覚えのある人ではない。
「……誰なんだろう?」
一瞬見えるその人は、いつも穏やかに私に微笑む。
それなりに整った顔立ちの様な気がするが、芸能人と言うほどでもないし、芸人さんの様な雰囲気もない。
第一、一瞬とはいえこれだけ見ているのだ。
テレビや何かで見たらすぐにわかる。
見ればわかるから、毎日の生活の中で気づかぬうちに顔を合わせていると言う事もなさそうだ。
なら、過去は??
この人と私はどこかで会った??
「…………う~!覚えがない~!!」
忘れているだけでどこかで会った人なのかもしれない。
でも覚えがない。
誰なのだろう?
そして何故、私は彼の姿を暗くなった液晶モニターに見るのだろう??
そんなある日、私は駅の階段でヒールが折れ、転げ落ちそうになった。
カクンと自分の身がバランスを失った時、その先に起こる事を瞬間的に予測した。
下まではかなりある。
無事では済まない。
ザッと全身から冷や汗が吹き出し凍りついた。
何もできず、スローモーションの様に何もない階段下側に体が傾いていく。
もう駄目だ。
硬く目を瞑る。
強張った体は静止された時間の中を否応なしに転落へと向かっていった。
「……危ないっ!!」
私が全てを諦めたその時、誰かがそう叫んだ。
ガシっと腕を強く捕まれ引っ張られる。
そしてドスンと勢い良く誰かの腕の中に私の体は突っ込んだ。
突っ込んだは良かったのだが、今度はその体がよろめき、ぽてん、と低い場所に落ちた。
どうやら私を助けようとしてくれたその人は、勢い余って尻もちをついた様だった。
「あ……ありがとう、ございます……っ!!」
「いえいえ、無事でよかった。助けられて良かったのですが、あはは、かっこ悪い。尻もちをついてしまいました。お恥ずかしい限りです……。」
お互い立ち上がり、顔を上げる。
私はハッとして息を呑んだ。
「……あなた?!」
「え??」
突然、大声を上げた私に、その人はキョトンとした顔をした。
いつもの優しげな微笑みではなく、子供みたいなキョトン顔は新鮮だった。
彼だった。
いつも暗くなった液晶モニターに現れる彼だった。
私は何だか知り合いに会ったみたいに安心し、そしておかしくなって笑ってしまった。
それを訳がわからない彼はオロオロと狼狽えていたっけ……。
「……ふふふっ。」
「え?何??どうしたの??のんちゃん??」
「ん~??何でもない。」
引っ越したての新居にパソコンを設置しながら、私は笑った。
その暗い液晶モニターには、鏡の様に私と彼が写っている。
あの日、階段から落ちそうになった私を助けてくれたちょっとドジな王子様は、今は旦那様になった。
人のいい彼は折れたヒールを修理に出してくれ、待っている間、ベンチに座って自販機で買ったコーヒーを飲みながら時間を潰す私に付き合ってくれた。
その時の印象がとても良かったから、今度お礼がしたいからと食事に誘い、何度か会うようになって付き合い、私達は結婚した。
ハイディンガーのブラシならぬ、暗い液晶モニターの微笑む男。
不思議な事ってあるんだなぁと思う。
そう言った非科学的な事は信じないタイプだけど、彼に関しては仕事ばかりで中々そういった事に積極的でなかった私に、神様が「運命の人」を教えてくれていたのかもしれないと信じていいと思っている。
「さて、ちょっと休もう?コーヒーで良い?」
「うん。ありがとう。これだけしまってくるね。」
「わかった。」
私はピカピカの新居のキッチンに向かい、彼は抱えていた段ボールを持って奥の部屋にしまいに行った。
綺麗なキッチンに、ここで始まる新しい生活に胸を踊らせた。
幸せだなぁと思う。
「……これは見つからない様にしないとね。かと言って捨てる事も出来ないよ……僕の大切な大切な、君との思い出だから……。」
クローゼットの奥。
天井の蓋を開けて男はそのダンボールをしまった。
けれど一度だけ下ろし、蓋を開けてふふふと笑う。
その中には、彼女の写真などがぎっしり詰まっていた。
それは二人があの階段で出会うよりもずっと前のものも数多くある。
その一枚を手に取り、うっとりと眺めて口付けた。
「可愛い可愛い僕ののんちゃん……。やっぱり僕のお嫁さんになる運命だったんだね、君は……。誰よりも誰よりも愛してるよ……。たっぷり甘やかして、僕なしでは生きていられないようにしてあげる……。僕といる事が、君にとって幸せなんだよ……のんちゃん……。」
そしてダンボールに封をし直し、天井裏にしまった。
おもむろにスマホを手に取ると画面を見て微笑む。
その画面にはキッチンでコーヒーを入れている愛しい人が映っていた。
彼女は言った。
自分を出会う前から知っていたと。
「馬鹿な事を言っていると自分でもわかっているんだけどね?私、あなたに出会う前に液晶モニターが暗くなると一瞬、あなたの姿を見ていたの。誰なんだろうって思っていたらあの日、その人が目の前に現れて本当にびっくりしたの。」
それにキョトンとして見せたが、当たり前だとも思っていた。
だって、彼女は事実、見ていたのだ。
自分の姿を。
いくらアピールしても気づいてくれないから、ちょっとだけ彼女が運命に気づくように細工した。
彼女が使う液晶モニターに1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し自分の姿を表示するようにプログラムを仕込んだ。
無意識に働きかけるだけのつもりだったが、その映像が無意識とはいえ頭に残っている彼女は真っ暗になった液晶モニターにその姿を投影して見ていたのだ。
サブリミナルの思わぬ誤算だったが、そのお陰で彼女はすぐに自分を見つけてくれた。
後は簡単だった。
彼女の事は何でも知っている。
どんな事が好きで、どんな話題に興味を惹かれ、どんな事に喜び、どんな事が嫌がられるか、全部知っていた。
調整しながらゆっくり近づき、心地よさを与え続ければ良かった。
彼女は自分を運命の人だと思っている。
勿論その通りだ。
彼女の運命の人は自分以外にいない。
彼女は自分の、自分だけの愛しい人なのだ。
これからもずっと、ずっと、ずっとずっとずっと……。
「愛してるよ……のんちゃん……。僕だけの可愛い可愛いのんちゃん……。」
彼は液晶モニターを見つめて呟いた。
(初のヒトコワ系に挑戦!テンプレなのは初物なのでお許しください……。)