第8話:同窓会での話4

文字数 1,673文字

 そのためには、勝たねばならない。ここまでやる気がある者のみが生きていける世界なのだと語り、決して遊び半分で、やるもんじゃないと訴えた。すると、西藤君が、吉川君の所へ来て、やっぱりやめたと言った。すると、良い選択かもねと軽く言った。

 次に吉川君が、久保、お前は、どうすると聞くと、俺は人生は1回しかないから、挑戦するよ、でもオケラになる前に逃げるけどねと、笑いながら言うと、わかったと答えた。吉川君が、まー、いろいろ脅かしたけど投資は、結局、自己責任のゲームで、中途半端じゃ駄目、勉強するなら徹底的に勉強する事だと言った。

 吉川君が、投資は、全体に馬鹿じゃできない。これは俺が保証すると言い話は、おしまいと言って、みんなで乾杯した。するとパラパラと解散していき、帰る連中が、吉川君、ご馳走さんと言って去って行った。最後は、久保と吉川君の2人となり、吉川君が、お前、思ったより骨のある奴だなと誉めた。

 そんな事ないよ、ちょっと、天邪鬼なだけだよと、人生って1回じゃないか、のんべんだらりと生きてもスリリングに生きても良いじゃないか。ただ、俺は、のんべんだらりに生きても、生きた証しが残らないと思うんだと言うと、へー、結構、哲学的な事を考えて生きてるんだと笑うので、そんな大層な事じゃないよと笑った。

 吉川君が、そんな所が、お前と俺の馬が合う所なのかも知れないと告げた。全力で、儲けさせてやるからなと、久保の肩をたたいて乾杯してガッチリと握手をして別れて行った。12月24日にはクリスマスパーティーを開いて、両親も来てくれ祝ってくれた。やがて2002年が終わり、2003年となった。久保夫妻は、実家に行って新年の挨拶をした後、初詣でに行った。

 そこで、家内安全、繁栄、健康を祈願して来た。2月に久保一家が熱海の早咲きの桜を見に車で出かけ多くの記念写真を撮り、温泉に泊まって帰って来た。4月下旬には、自宅の近くの牡丹桜を見に行き、その独特の美しさと濃いピンクの花びらを鑑賞し写真の撮った。夏には、実家の庭にプールを作り子供達を遊ばせた。

 また、今年も12月11日、中学の同窓会をすると連絡が入り夫婦で参加すると伝えた。そして秋になり浜梨を買って小さく切った者を子供達にやると甘くて美味しいのか、いっぱい食べてくれた。12月8日、長男の久保圭介が。風邪をひいて、翌日、長女の久保清実にも感染した。やがて2003年が終わり2004年を迎えた。

 初詣に出かけて家内安全、繁栄、健康祈願をしてきた。その後、熱海温泉に両親と一緒に4人で出かけ、昼間の日射しの良い時に熱海港の周辺を散歩して温泉に2泊して名産の金目鯛を食べて、ゆっくり温泉に入り帰って来た。そして、この年、長女の久保清実が、日本女子体育大学を卒業して実業団の長距離の名門、本田技研に入社し、直ぐに駅伝部に入部した。

そして、仕事の傍ら、厳しい練習をこなし始め、社員寮に入り、実家は、夫婦2人の生活が始まった。4月初旬には、久保伸介と両親の4人で山梨の桜と桃の花見に出かけて、甲府の温泉に泊まって、ゆっくり温泉に入り名物のほうとうを食べて帰って来た。2004年3月、シティバンクが、大蔵省から行政処分を受けたとニュースで大きく報道された。

 確かに以前の勉強会で中国のファンドをNK証券を介して、1口3百万円でファンドを販売すると、今迄の日本の銀行では考えられないような投資商品の店頭販売をしているのを見て、違和感を感じた。そして中国のファンドは、閉鎖性が強くリスクも多いので大丈夫かと思っていた矢先、大きく価格を下げた。その後、2004年4月にはシティバンクの日本撤退は発表された。

 そこで、すぐにシティバンク橫浜支店へ行き、久保伸介と奥さんの2つの口座を解約。その代わりになる外貨を取り扱う銀行として、新生銀行が、その近くに出来たので新生銀行にシティバンクの資金、夫婦で約5千万円を送金した。そちらで豪ドルが安くなった時に買おうと帰り道、新生銀行に2人分の口座を作りシティバンクから資金を移動させた。
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