1-2(シリウス視点)

文字数 3,727文字

『シリウス・フィーナ殿。貴殿の入学を許可します。
 カルディア学園校長マーリン・シュトラウス』

 15歳になったときから毎年送られてくる入学通知を今年もビリビリに破り捨てた。
 4年前、スピカ兄さんの元にも送られてきたこの通知だが、私にはどうにも腹立たしいものだったからだ。

 この世界のなかに、カルディア学園という名前を知らない者はきっといない。
 カルディア学園はこの国の先進的な知識と技術が集まる教育機関の代表的な存在で、完全推薦制の学校だから普通なら入学を乞われるのは名誉なことだ。
 他には類を見ない高度な学習環境が、身分や経歴に因らず無償提供されるのだから断る理由もないと思う。

 私がビリビリに破り捨てたこの入学許可証を喉から手がでるほど欲しいと思う人はわんさかいるだろう。
 友達のルーラだって「なんでシリウスちゃんは入学しないの? もったいない!」とよく言っていた。「私はバカだからきっと勉強についていけないと思う」と誤魔化していたけれど、不思議そうにしていたルーラの顔が私の心には痛かった。

 私は別に学歴も欲しくないし、魔法の力を磨いて魔法師になろうとも思っていない。
 ルーラのように「冒険者になりたい」っていうはっきりとした目標もない――なりたいものがよく分からないんだ。
 スピカ兄さんは今は4年生だけど、最近送られてきた手紙によると、少し早いが卒業後の進路が決まったそうだ。なんでも王立騎士団の魔法師として宮廷に勤めることに決まったらしく、残りの学園生活は長期インターンという形で王立騎士団に出向していることが多くなるらしい。妹ながらに立派な兄だと思う。

 私は隣街にある酒場に仕事にいっているけど収入は多いとは言えないし、この生活に不便なことが全くないとは言わない。でも今の平穏に満足してるし、これで充分幸せなの。
 カルディア学園で勉学に勤しんで、冒険者になるとか王立騎士団に入るとか、そういう輝かしい未来を描いている自分っていうのが上手く想像できなかった。

 入学許可証を見る度に思う。
 そこに行ったとして、私は一体何になるんだろう?
 暗闇に矢を放つようなもどかしさを消すように、私は毎年それを破り捨てるしかできなかった。

 けれど、変革は何事もない午後に突如として訪れた。


「なんでシリウスちゃんここにいるの!? あれ、ここってトラスタじゃなくてディーナバルトだったよね…? みたいな顔してんじゃないわよ! こっちのほうがビックリなんだから!
 アンタなんでこんなところにいるの? おばさんが『ルーラがお昼ごはんになっても帰ってこないの。腹時計だけはしっかりしてる子なのに、今までこんなことないから心配になっちゃって。書き置きもないから、まさか平和なトラスタでありえないと思うけどモンスターにでも襲われたんじゃ…』ってうちの家にやってきたのよ。
 それで魔力を使って探知をかけたら、何か胡散臭いオッサンと話してるアンタが〝視えた〟わけ。しかも王都ディーナバルトのカルディア学園のなかで! アンタこの前、入学通知は届かなかった、って言ってたはずでしょ? なんか嫌な予感がする、と思って。
 それで急いでナディアポートに行って、ここまで追いかけてきたのよ。それで、ようやく見つけたのに、アンタは目を閉じてブツブツブツブツ……。3回も名前を呼んだのに無視、無視、無視! いつからそんな冷たい人間になったわけ!?」
「うわーん! 本物のシリウスちゃんだ~!」

 私の怒りは全く無視しながら、ルーラは小動物のように私に抱きついて満面の笑みを浮かべた。
「会いたかったよ~!」なんて調子のいいこと言っちゃって、まあ…。まったく。こっちの心配なんて露知らずって顔ね。
 私はハァと溜息をついて、数時間ぶりに再会した親友の肩を叩く。なんだか私までホッとしてきた。知らない土地で、私も知らず知らずのうちに緊張してたのかな。

「ねえねえ、シリウスちゃん。『ヴィレニエの青い悪魔の薬』って知ってる? それを明日までに探しだしてマーリン先生に渡さないと課題クリアが出来ないんだよ!」
「……ごめん、なんの話?」

 なんか、まーた嫌な予感がした。


 わたしたちは、王都の大通りから少し外れたところにあった酒場「アヒルの台所」に入って、とりあえずお腹を満たすことにした。
 タンドリーチキンとワサビ入りのポテトサラダがおいしかった。

 ルーラの話をまとめると、だいたいの事の経緯は読めた。直談判をして入学を勝ち取るルーラのガッツには本当に恐れ入る。
「アンタ、いつか死ぬわよ」
 こぼした苦言に「ええ、それはいや!」とルーラは顔を歪めた。でもあんまり気にしていなさそうだ。無謀とも言える彼女の猛進さが、いつも少しだけ羨ましい。
 でも、今はそんな羨望より『ヴィレニエの青い悪魔の薬』についてだ。

「シリウスちゃん、何か分かる?」
「『ヴィレニエ』って名前は聞いたことあるわ。地方の名前で、お酒で有名なところなの。うちにもワインが何本かあったけど――
 でも『青い悪魔の薬』っていう部分が分からないわね。調合薬か何かかしら? そうなると錬金術師か薬師に聞くのが一番いいかもしれないわね」
「あっ、それわたしも思ってね。マーリン先生と話してからすぐに王都にある錬金術とか薬のお店に行ってみたんだよ。それで聞いて回ったの。
 そしたら「さあ…」とか「そんな薬、聞いたこともない」って言われたんだよ~…。じゃあ一体誰が知ってるの?」

 どんよりとした空気がルーラとわたしとの間に漂いはじめる。
 あたりはすっかり夜になっていて、タイムリミットは明日の正午までだとして調べる時間もない。うーん、手詰まり……。なにか打開策がないかと頭をまわすも、名案は降ってこなかった。
 その時、愉快そうな笑い声が酒場に聞こえた。

「ホッホッホ、『ヴィレニエの青い悪魔の薬』ですか。懐かしい」
「えっ、おじいさん、知ってるの!?」
「う~ん、どうでしょう。知っているような、知らないような…。もう少しお酒があれば思い出せるかもしれませんなあ。わたし、ここで出している清酒が大好きで。でも、ここに来る皆さんはあんまり好きじゃないようでねえ。同じくらい飲める相手がいれば助かるんですが」

 居酒屋のカウンターでひとりで飲んでいた白ひげを蓄えたおじいさんは、氷だけが入った空のグラスをカラカラと鳴らした。
 随分と挑戦的だ。――なるほど情報料ってことね。オッケー、いいじゃない。わたし、お酒は大得意よ。

「ルーラは……まだ飲めなかったわね。18歳未満は飲んじゃダメだから、しょうがないわ。店長、このおじいさんが飲んでるお酒ちょうだい。私の奢りで」
「ホッホッホ、ありがとうお嬢さん。今夜は楽しくなりそうですねえ」

 それから瓶を何杯明けたかは覚えていない。


 『ヴィレニエの青い悪魔の薬』っていうのは別名なんですよ。普通は『ブルーポーション』と呼ばれていますな。お嬢さんなら、この名前を聞いたことがあるのではないですか?
 100年に一度できると言われる真青なブドウから作られる、青いワインのことです。これは醸造の過程で非常にアルコール度数が高くなるのが特徴で、飲んだ人を必ず酩酊させると言われています。
 一方で、気付け薬としても使われ、ヴィレニエの地方では死の淵にあった人にこのワインを飲ませたところ蘇った、という言い伝えがあるそうですよ。
 そして言われるようになったのが『ヴィレニエの青い悪魔の薬』というわけです。
 ――まあ滅多に市場に流通することはありませんな。100年に一度しか作られませんから、幻の一品と言われています。

「そんなもの、どうやって手に入れろっていうんだ、校長~~!」
「まさか課題の品がお酒だなんて……。その校長、自分が幻のワインを飲みたいだけなんじゃないの?」

 ふらふら、ふらふら。ディーナバルトの夜道を歩きながら、ルーラとふたりで胡散臭い校長の苦言をこぼした。
 清酒をしこたま飲んだせいで、さすがに世界がフワフワしている。あのおじいさん、本当に強かったな。
「楽しいお酒をいただきました。ありがとうお嬢さん。これはお礼です。いい歳をしたジジイが若者にタカるなんて貧しいマネはしたくないですから」と言って、結局酒場代も奢ってくれた。ありがたい。

 でも、収穫は絶望だったわけだ。幻のワインが1日で入手出来るわけがない。あの校長は最初からルーラを入学させる気なんてなかったんだ……。
 ああ、くっそ、酔いが回ってダルい。わたしは王都の店の壁に手をついてもたれた。

「大丈夫? シリウスちゃん……」
 とルーラも心配そうな顔をしている。
「まあ、宿までは……」って言った時、ルーラが「ああああああ!!!」と大声を出したのだった。
 ちょっとさすがに頭に響くし、近所迷惑になるんだけどルーラ!

「あああああああ!!!!」
「ちょ、…ルーラ、声、抑えて――」
「シリウスちゃん、これっ!」
「え…なに?」

 横を振り返ると、そこには一枚のポスターが張られていた。

『カジノ・ガンディーノにて大会を開催。優勝者には幻の「ブルーポーション」を贈呈』

 勝利の女神は、わたしたちに微笑んでいる。
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