第2話 僕の料理を食べて

文字数 1,420文字

 あの日は、いい天気だった。梅雨の前の五月晴れ。春にしては汗ばむような暑さだった。
 グラウンドの伸び盛りの芝生が足を擦って、ちくちくする。僕は片足で立ち、スニーカーで反対側の足を掻いた。

 体がグラリとかしいで、白い帽子に白衣、白衣の中も白いシャツ、白い靴下という出で立ちの学生が、ずらりと並んでいるのが目に飛び込んできた。僕と同じ料理学校の生徒なのだが、コックというよりは研究者のようだ。

 白衣の集団はなかなか威圧感があるものだと思うが、テーブルを挟んで向こう側にいる人々は、大人も子供も楽しそうに話しながら、僕たちの前に置かれた料理に手を伸ばしている。 

 「うん、おいしいわよ」おばあさんが口を動かしながら言う。
 「ありがとうございます」営業スマイルも研修のうちだ。

 細長いテーブルの上には、ホテルのバイキングのような蓋つきの銀のトレーが乗っている。
 バイキングと違うのは、同じ料理が五つずつ並んでいることだ。そしてそれぞれの料理の前には、アルファベットの文字が書いてあるカードがおかれている。

 来場者は同じ料理を五つ食べ比べ、美味しいと思った料理の前におかれたカードを取り、テーブルの端におかれているポストのような投票箱に落としていくきまりになっている。
 一年一度の料理の人気投票が行われているのだ。

 料理学校の宣伝と生徒の腕試しのためのイベントだが、無料で本格的な料理が食べられるので、地域の人からも人気の催しだ。
 生徒たちは与えられたメニューのうち、一品から四品を作る。僕は一番多い四品だ。

 「ちゃんと食べ比べている人なんか、ろくにいないんだから、投票なんて無駄だよな」
 
 隣に立っているテツが話しかけてきた。うなずこうと顔を向けると、テツの向こうに立っている、ベージュのハンチング帽を被った女の子が僕の料理に投票するのが目に入ってきた。

「な? (れん)もそう思うだろ?」

 僕の方を見ていたテツが、彼女の投票に気が付くはずもなく、同意を求めてくる。ハンチングの彼女を目で追いながら、「まぁね」と適当に相槌あいづちをうつ。次のテーブルに移った彼女は五皿の料理をどれも美味しそうに一口ずつ食べた後、また僕の料理を選んだ。

「こっちを向かないかな……」
「え? ああ、あの子達か」テツが軽く顔を振って指し示す。

(達?)

 望遠鏡を覗いているみたいに回りの景色は切り取られてしまって、彼女しか見えていなかったが、グループで来ていたようだ。

「看護学校の子達だ」とテツが小声で耳打ちしてくる。「未来の白衣の天使だな」

 彼女たちが三つ目のテーブルに移動した。

「ふみ、この料理に投票してよ」

 彼女はふみちゃんという名前なのか。
 友達の白衣の天使候補が、ふみちゃんを不正の道に誘いこもうとしている。

(天使に見える悪魔(デビル)め!)心の中で呪詛を吐く。

「どれ? うーん、でもこっちの方が好みなんだけどな」

 ふみちゃんと呼ばれたハンチングの彼女は困った顔をして返事をしている。こっち、とちょっと持ち上げるようにした料理は、僕がつくった鴨肉のコンフィだ!

「いいじゃない。彼氏が作っているやつなの。お願い」と手を合わせる。
 ふみちゃんは「仕方ないなあ」といいながら、友達の彼氏の料理と僕の料理をもう一度食べ比べる。

「うーん、ごめんね。やっぱり私はこっち」

 笑いながらさっぱり言うと、僕の料理のカードを手に取って投票してくれた。デビルの誘惑にも屈しない、清らかな心の持ち主だ……。
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