第1話 フミちゃんと二人きり

文字数 1,804文字

 上気した頬、僕を見つめるうるんだ瞳。ふみちゃんに差し出された手をそっと握ると熱いほどだ。

 反対側の手の甲でふみちゃんの頬をそっと撫でる。ふみちゃんが吐き出した息さえも熱を帯びている……。

ピピピピッ、ピピピピッ。

「38度8分……」

 ふみちゃんが布団の中でもぞもぞと動き、取り出した体温計を読んだ。

「まだ熱が高いね」
「看護師がインフルエンザになるなんて……。不養生だよね……」

 ふみちゃんがくぐもった声で言う。
 僕に気を使って、布団をマスク代わりにしているのだ。

  僕が「看病に行くよ」と言った時も、ふみちゃんは「うつしちゃうといけないから」かたくなに僕の看病を断ってきた。
 だけどもちろん、病気のふみちゃんを放っておくなんて出来ない。

「先月、インフルエンザにかかっているから、免疫があるんだ。だから僕のことは気にしなくていいよ」とウソをつき、やっと看病することを許してもらえた。

「昨日の夜から泊まり込んでもらっちゃって……。今日もせっかくの休みなのに、ゴメンね、(れん)くん……」

 申しわけなさそうにふみちゃんが目を伏せる。

(まさか! ふみちゃんを独占して看病出来るなんて、最高の休日だ)

 僕は有給休暇を取ったことは秘密にして「気にしないで。ちょうど休みでよかったよ」とふみちゃんにほほえみかけた。

「何か食べたいもの、ある?」
「いいよ、食欲ないし……」
「うどんとか、お粥は?」
「食べたくないの……」

 ふみちゃんは力なく首を振る。

「じゃ、プリンは? ツルンとしてのど越しがいいよ。栄養もあるし」

 キラッと瞳が輝く。プリンはふみちゃんの大好物だ。
 そんなふみちゃんが愛しくて、自分でも気が付かないうちに、つい笑ってしまったみたいだ。
 ふみちゃんが恥ずかしそうに布団を目の下まで引き上げた。

(そんな顔、離れがたくなっちゃうよ)という気持ちを飲み込んで、ポン、ポン、と布団を叩いて、立ち上がる。

「じゃあ、寝ていてね。プリンは三時のおやつに食べよう」

 ふみちゃんが目を閉じているのを確認して、楕円形のローテーブルの上からふみちゃんのスマートフォンを取ると、ポケットに滑り込ませた。
鼻歌まじりに冷蔵庫を開ける。

「牛乳、オッケー。卵、オッケー。砂糖は……、っと」

 キッチンの調理台に材料をそろえる。

「熱があるから、カラメルソースは苦く感じるかもしれないな……」

 少し考えて、カラメルソースは入れずに作ることにする。

 鍋に牛乳と砂糖を入れる。弱火でゆっくり砂糖を溶かす。煮立たせてはダメなんだ。
 ガラスのボウルに卵を割り入れて、丁寧にときほぐす。泡立てないように。

 牛乳の鍋を火からおろして少しさまし、卵のボウルに少しずつ入れて、ゆっくりゆっくりかき混ぜる。

 元気になぁれ、元気になぁれと呪文も混ぜ込んで。
 プリン液を小さな器に注ぎ分け、鉄板に並べてオーブンにすべり込ませる。パンパンッとオーブンの液晶ボタンをリズミカルに叩き、蒸し焼きにする設定をすれば……。

 あとは二十分から二十五分、待つだけだ。

 ふみちゃんの様子をうかがうと、丸まった背中が見えた。耳を澄ますとスウスウと小さな寝息が聞こえる。熱のせいか、上下するテンポが速いようだ。

  大好きなふみちゃんの部屋&スマートフォンのチェックをするには絶好のタイミングだが、ふみちゃんの寝顔を眺めて過ごすという誘惑には勝てない。
 熱を測るふりをして、ふみちゃんのおでこに自分の額をくっつけると、目の前にサクランボのような淡いピンク色の唇があった。

――これは、不可抗力……

 ちゅっ。

「うーん……」

 ふみちゃんが寝返りをうつ。インフルエンザで苦しむふみちゃんを起こす訳にはいかない。名残惜しいが、ベッドの脇にクッションを置き、黒い手帳を手にして、ベッドを背もたれにして斜めに座る。少し顔をあげればふみちゃんの寝顔が見える位置だ。

 手帳を開き、日付、ふみちゃんの状態とプリンのレシピを書き込む。ふみちゃんの反応を後で書き込めるように、確認するポイントもメモしておく。

 これまでふみちゃんに作った料理はこの手帳に全て書き留めてあるのだ。

 すずらんフォンダンショコラとトリカブト草餅の秘密の隠し味だけは省いてあるのが少し残念だが、この手帳は僕とふみちゃんの出会いの思い出が詰まった宝物だ。

 手帳を眺めていると、いつだって僕とふみちゃんと出会った時のことが鮮やかに浮かび上がってくる……。
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