ウィンク
文字数 2,000文字
とうに皆帰り、ふたりだけとなった部屋の中。ぴろろん、と音がした。モニターに目を向けると、保護者用連絡アプリに1件の新着通知。それなら見ずとも分かる。ニカの母親からだ。
アプリを開くと、やはり。
〈あともう少しで着きます。遅くなって申し訳ありません〉
続いて、汗をかきかき走るペンギンのスタンプ。すっかり見慣れたスタンプ。
画面から目を切り、「ニカくん、お母さんあとちょっとだって」と少し大きめの声で言う。
ぬいぐるみを横に並べて絵本を読んでいたニカは、「あー、分かった」と言うだけで顔も上げない。
「で、今日は何にするかな。シュークリーム、それともエクレア」
「なあに、ニカくん、それ」
〈大丈夫ですよ。お待ちしてます〉
手早く返信しアプリを閉じると、ニカの荷物をひとまとめにして荷物ごと横に腰を下ろした。
「デザート買って帰るの? いいなあ、先生も食べたいなあ」
「……だよな。一花 がザンギョーってことは、美咲 もだもんな。一花のやつ、おれと半分こしてる場合じゃないよ。たまには美咲にもやらなきゃだよ」
大人びた口調に、苦笑いしそうになるのを堪える。
「ってことは、もしかしてご褒美か何か?」
「そう。お迎え、クラス最後になった時だけ、『ふたりとも頑張ったんだからいいよね』って言い訳しながら買うんだ」
「それ分かるー。先生もたまに買うよ。帰りにコンビニスイーツ」
「うちはスーパー。この時間に行くと赤いシール貼って安くなってるのがあるんだよ。その中から好きなの選んでいいって言うんだけど」
「けど?」
「最近シール貼ってあるの少なくて」
はぁ、とため息をついている。
「一花が好きなのがない時もあってさ。そうするとあいつ、ビミョーにしょんぼりするんだよ」
「お母さん何が好きなの?」
「一番はティラミス。チョコと生クリームに弱いんだ。でも、ティラミスは大抵シール貼ってなくて、よく貼ってあるのはプリンとかロールケーキとかチーズケーキとか」
「だったらふつうに安いチョコとかアイス買えばいいんじゃない?」
「それだとついいつも買っちゃいそうでヤバいからダメなんだって。ゼータクに慣れるのは簡単だからって」
5歳児がいるようには見えない若くて可愛いニカの母親の姿が頭に浮かんだ。
「……お母さんしっかりしてるんだねえ」
「全然」
ニカが顔をしかめる。
「よく寝坊するし、スイッチ入れ忘れてご飯や風呂できてないことなんてふつうにあるし、すぐ泣くし、ほんと色々ダメダメだけど」
「けど?」
「……まぁ、頑張ってるのは認める」
そう言うと、ニカは置いていたぬいぐるみをまとめて胸に抱えた。何のぬいぐるみだろうと思って見ると、ペンギンとヒヨコ、猫だった。
「ニカくん、鳥が好きなの?」
「え? 何で?」
「だってぬいぐるみが」
「ああ、」
抱えた中からヒヨコを床に置き、
「死んだおれの父親、一朗 って言うんだけど、鳥好きでずっと飼ってたらしいんだ。一朗が一花のこと『鳥は鳥でもおまえはペンギンに似てるな』って言ったらしくて、それから一花、ペンギン好きになったって」
なるほど。だからいつもペンギンのスタンプなのか。
「おかげで何かっていうと水族館に行きたがるんだけど、ホントはおれ動物園の方が好きなんだよ。動物園、一花と行ったことあってさ。水族館と違ってタダだったし、ヒヨコとかウサギとか触れるし、象やライオンなんかのデカいのも見られたから」
でもまあ父親だから仕方ないよな、とニカはヒヨコのぬいぐるみに話しかける。
「お父さんのこと覚えてる?」
「全然」
「そっか」
「だからおれ早く大きくなって、一朗よりいいオトコになって、シール貼ってないティラミス一花に毎日食べさせてやるんだ」
「そっか」
「そしたらたまには美咲にも買ってくるよ」
残業する気はすっかり失せていた。
5歳児にこんなこと言われて、残業なんてやってられない。甘い物買って、家で甘い恋愛映画でも観なくちゃ。それで早く恋人作らなくちゃ。
ただしティラミスだけは当分買えそうにないけど。
「だったらこれからニカくんのお迎えが最後の時は、ティラミスに赤いシール貼ってありますように、って先生、念力送っておくよ」
「何? 念力って」
「えーっと、おまじないみたいなお祈りみたいな、信じるパワーって言うの? そんな感じ」
「え。それ今日から?」
「今からでも間に合うかな。分かんないけど頑張ってみる。でも、念力送るの初めてだから、ダメでもごめんだけど」
「ううん、ダメでもいいことありそう! 美咲さんきゅな!」
全開の笑顔でニカは絵本を閉じた。私も机の上に広げたままだった業務日誌を閉じる。
と、ぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。こうして聞くとペンギンが走ってるみたいな音だ。
今日も長い1日だった。でも、悪くない1日になりそうだった。
入り口に向かいながら、私はニカにウインクを投げる。
「こんな感じだよ」と笑顔で言いながら。
アプリを開くと、やはり。
〈あともう少しで着きます。遅くなって申し訳ありません〉
続いて、汗をかきかき走るペンギンのスタンプ。すっかり見慣れたスタンプ。
画面から目を切り、「ニカくん、お母さんあとちょっとだって」と少し大きめの声で言う。
ぬいぐるみを横に並べて絵本を読んでいたニカは、「あー、分かった」と言うだけで顔も上げない。
「で、今日は何にするかな。シュークリーム、それともエクレア」
「なあに、ニカくん、それ」
〈大丈夫ですよ。お待ちしてます〉
手早く返信しアプリを閉じると、ニカの荷物をひとまとめにして荷物ごと横に腰を下ろした。
「デザート買って帰るの? いいなあ、先生も食べたいなあ」
「……だよな。
大人びた口調に、苦笑いしそうになるのを堪える。
「ってことは、もしかしてご褒美か何か?」
「そう。お迎え、クラス最後になった時だけ、『ふたりとも頑張ったんだからいいよね』って言い訳しながら買うんだ」
「それ分かるー。先生もたまに買うよ。帰りにコンビニスイーツ」
「うちはスーパー。この時間に行くと赤いシール貼って安くなってるのがあるんだよ。その中から好きなの選んでいいって言うんだけど」
「けど?」
「最近シール貼ってあるの少なくて」
はぁ、とため息をついている。
「一花が好きなのがない時もあってさ。そうするとあいつ、ビミョーにしょんぼりするんだよ」
「お母さん何が好きなの?」
「一番はティラミス。チョコと生クリームに弱いんだ。でも、ティラミスは大抵シール貼ってなくて、よく貼ってあるのはプリンとかロールケーキとかチーズケーキとか」
「だったらふつうに安いチョコとかアイス買えばいいんじゃない?」
「それだとついいつも買っちゃいそうでヤバいからダメなんだって。ゼータクに慣れるのは簡単だからって」
5歳児がいるようには見えない若くて可愛いニカの母親の姿が頭に浮かんだ。
「……お母さんしっかりしてるんだねえ」
「全然」
ニカが顔をしかめる。
「よく寝坊するし、スイッチ入れ忘れてご飯や風呂できてないことなんてふつうにあるし、すぐ泣くし、ほんと色々ダメダメだけど」
「けど?」
「……まぁ、頑張ってるのは認める」
そう言うと、ニカは置いていたぬいぐるみをまとめて胸に抱えた。何のぬいぐるみだろうと思って見ると、ペンギンとヒヨコ、猫だった。
「ニカくん、鳥が好きなの?」
「え? 何で?」
「だってぬいぐるみが」
「ああ、」
抱えた中からヒヨコを床に置き、
「死んだおれの父親、
なるほど。だからいつもペンギンのスタンプなのか。
「おかげで何かっていうと水族館に行きたがるんだけど、ホントはおれ動物園の方が好きなんだよ。動物園、一花と行ったことあってさ。水族館と違ってタダだったし、ヒヨコとかウサギとか触れるし、象やライオンなんかのデカいのも見られたから」
でもまあ父親だから仕方ないよな、とニカはヒヨコのぬいぐるみに話しかける。
「お父さんのこと覚えてる?」
「全然」
「そっか」
「だからおれ早く大きくなって、一朗よりいいオトコになって、シール貼ってないティラミス一花に毎日食べさせてやるんだ」
「そっか」
「そしたらたまには美咲にも買ってくるよ」
残業する気はすっかり失せていた。
5歳児にこんなこと言われて、残業なんてやってられない。甘い物買って、家で甘い恋愛映画でも観なくちゃ。それで早く恋人作らなくちゃ。
ただしティラミスだけは当分買えそうにないけど。
「だったらこれからニカくんのお迎えが最後の時は、ティラミスに赤いシール貼ってありますように、って先生、念力送っておくよ」
「何? 念力って」
「えーっと、おまじないみたいなお祈りみたいな、信じるパワーって言うの? そんな感じ」
「え。それ今日から?」
「今からでも間に合うかな。分かんないけど頑張ってみる。でも、念力送るの初めてだから、ダメでもごめんだけど」
「ううん、ダメでもいいことありそう! 美咲さんきゅな!」
全開の笑顔でニカは絵本を閉じた。私も机の上に広げたままだった業務日誌を閉じる。
と、ぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。こうして聞くとペンギンが走ってるみたいな音だ。
今日も長い1日だった。でも、悪くない1日になりそうだった。
入り口に向かいながら、私はニカにウインクを投げる。
「こんな感じだよ」と笑顔で言いながら。