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文字数 1,152文字

 中東エリアの問題はそれだけには留まらなかった。不安定な情勢は、陸続きの大陸諸国ではもはや日常茶飯事であったからだ。
 しかし、湾岸戦争並の大きな出来事と言えば、二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロ事件であろう。当時私は四七歳であった。バグダッドの事務所で仕事を終えて市内の家に帰り着き、インドネシアのビンタンビールの瓶を片手に夕食をとりながらイラク国営放送を見ていたときだった。この頃はこのバグダッドとシンガポール、そしてヨハネスブルグの事務所を転々とするほどまでに事業は拡大しており、この日も午前中はヨハネスブルグから帰ってきて、午後はドライバー手配のトラブルの対応に一日追われてようやく勤務を終えて疲れて帰宅したところだった。
 アメリカニューヨークにそびえ立つ、世界貿易センタービルに二機の旅客機が突っ込む映像が流れた。最初はただの火災かとも思ったが、それが飛行機が突っ込んだという報道だった。その後、旅客機がもう一機飛来し、貿易センタービルに激突するのを目の当たりにした。
 このニュースは当然世界を驚愕させた。このときの私の仕事の疲れも一瞬で吹っ飛んだ。
 犯人がアラビア語を話していることが報じられ、さらに事件の犯人としてアルカイーダというテロリストグループの名が上がるなどしてくると、欧米系の人たちからのムスリムへのまなざしがかなり厳しくなった。
 そのような中、アメリカがイギリスなどとともにアルカイーダの首領であるウサマ・ビンラディンの引き渡しを拒否したアフガニスタンを攻撃することになり、二〇二一年に撤退するまで戦争が続くことになった。
 現地会社では、アフガン方面の仕事はしていなかったので、この事件による直接的な影響はなかった。
 しかし、二〇〇三年に入ると、状況が一変した。大量破壊兵器保持の疑いで、イラク戦争が始まったのだ。私が四九歳の事である。
 軍事行動が始まると、連合軍はクウェートとの国境付近の油田地帯を占領し、北上していった。南部の港湾都市バスラについてはかつて植民地支配していた旧宗主国のイギリス軍が占領を試みようとした。しかし、このバスラにいたイラク軍とフセイン大統領の直接指揮下にあったバース党系民兵組織により約二週間の抵抗を受けた後、英国軍の市内の突入し、ようやくバスラは陥落した。
 その間、バスラの郊外のコンテナヤードに積まれていた物資は、もちろん動かせなかった。当然交戦でいくつかのコンテナに被害が出た。とはいうものの早い段階で英国軍が制圧してくれたおかげで荷物の被害は最小限で済んだ。これは不幸中の幸いであった。
 そうして四月に入りバグダッドが陥落すると、戦闘はほとんど見られなくなり、いよいよ商売も再開にこぎ着けられるかと思われた。

江島優次郞 極皇商事元社長
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