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 その後、イラク国内では散発的な戦闘があった。特に民兵組織のメンバーなどが民間人に化けて潜伏するなどしたため、治安は悪かった。ビジネスも再開したものの、あまりの治安の悪さのおかげで、輸送コンボイには民間警備会社に警備を手配しなくてはならなかった。民間警備会社といっても、日本の道路工事現場に配置されている交通誘導員やオフィスビルの警備室にいるような警備員ではない。軍を除隊した者などを中心として自動小銃で武装された傭兵部隊、いわゆる民間軍事会社(PMC)である。
 彼らは軍務経験があるため、非常に頼りになった。武装勢力の襲撃を受けても多くの場合、返り討ちにしてしまうほどであった。ただ、命をかけたこの仕事に長いこと従事しているせいもあってか、同時に非常にガラが悪かった。あるとき、輸送コンボイが向かう先からやってきた一般市民の車をすれ違い様に銃撃する事件もあった。しかもその状況を確認するために私がコンボイに同乗した際には、私が日本人であることがわかると、とたんに金をたかられたりもした。それを拒否すると、暴力を振るわれた。
 そんな状況でも民需用の物資を運ぶ仕事をしなくてはならないことに、再び「人生はままならないもの」という言葉が思い浮かんだのであった。
 ちなみに私がコンボイに同乗した際に警備をしていたPMCは、「ブラックウォーター社」といい、後にイラクでの民間人に対する暴行などが次々に明るみに出て問題化することになる。
 人生がままならないと痛感したのは、このイラク戦争の前年の二〇〇二年にもあった。アラファト議長のいるパレスチナ自治政府議長府の建物をイスラエル軍の戦車が完全に包囲するという事件だった。
 イスラエルが強い意志をもって軍事行動を起こすことはそれまで度々あった。しかし、議長府が包囲されてしまったことに衝撃を受けた。当時のBBCテレビのニュース映像を今でも覚えている。
 このとき、私はとっさにテルアビブに向かっていた。イスラエル軍関係者に会うためであった。イスラエル軍には後方基地の食堂で使うデザート用の缶詰や売店で販売する菓子類を、大量ではないが納品していた。そのため顔なじみの補給担当の士官を通じて軍に訴えて、議長府への物資搬入を許可してもらおうと考えたのだった。
 もちろん、その人道的な観点からの申し出ではあったが、汚職にまみれた自治政府のトップに何かしら恩を売って商売の機会拡大を狙おうという魂胆も少なからずあった。
 しかし、当然と言えば当然なのだが、その狙いはいとも簡単に打ち砕かれた。補給担当責任者の少佐は前線に出てしまい、他の士官などへの取り次ぎも、軍が作戦行動中であることを理由に拒否された。仕方なく、知り合いのイスラエルの政治家二人と会ったのだが、「なによりも今作戦中だからね。私たちでも今以上のことはできないよ」と断られててしまった。
 やむを得ないといえはそうなのだが、「人生ままならない」とはこういうことかと、ため息をつかずにはいられない気持ちになったことを、今でも覚えている。

江島優次郞 極皇商事元社長
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