怪物たちの目覚め

文字数 4,195文字

 それは突如として多発的な目覚めだった。

 西暦2020年、和暦でいえば聖和元年。日本の象徴たる平希天皇陛下が崩御なされ、新たに聖和天皇が誕生した年であった。
 聖和元年8月10日。その日は茹だるような暑さで、空には雲ひとつないような、そんな日だった。そんな日に世界各地、あらゆる場所で、空を覆うような真っ白い光が見られたのだ。光はほんの一瞬で見えなくなり、人々はまた何でもない日常へ戻ろうとした。だが、それまでの日々が戻ってくることは無かった。
 白き光が空を覆った日、その日以降世界中の人々が異能力に覚醒した。ある者は超能力に目覚め、ある者は人間の限界を超えた身体能力を身に付け、ある者は自然に干渉出来るほどの化け物じみた力を手に入れ、またある者は姿形が変わって物語の中の生物のようになったものさえいた。
 異能力者という異質な存在の誕生は世界に混乱をもたらした。混乱に陥ったのは無能力者だけでなく、異能力者もであった。能力なき人々は異能力者に恐れおののき、異能力に目覚めた者たちもその力に溺れた。皆、力を思い思いのままに使い、力を使って悪逆非道を行う者もいればそれを咎める者も、また自身の力に殺されたものもいた。
 混迷を極めた世界の暴走を止めたのは各国首脳たちだった。彼らは異能力者を管理し、その犯罪を抑制するための条例、『異能力者管理条例』を2021年8月27日に採択した。この条例には、全世界の国と呼ばれる地域すべてがその日のうちに批准した。この条例により、各国はそれに応じた法律を制定し、軍隊を使っての異能力犯罪の防止および抑制を行った。
 日本においてもそれは同じで、異能力者管理条例に基づいた異能力者管理管轄法を制定し、当初は自衛隊とSATに管理・管轄の権限が与えられた。だが、彼らのほとんどは無能力者であり、武力による制圧にも無理があった。異能力者を止められるのは異能力者だけ。それは誰もが分かっていた。だが、政府は恐れた。異能力者が犯罪を取り締まる側に回ることを。異能力者に権力を持たせることを拒んだ。
 その恐怖が最悪の結果を生む。聖和8年(2028年)6月5日、『異能力者による社会を求める党』と名乗る団体が東京都へ革命を宣言。その翌日、東京都は燃えた。『異能力者による社会を求める党』、通称『異社党』は自分たちの意見を社会・政府へと発表するために、異能力による東京都への大放火を選択した。結果、東京都は大火災に見舞われたのだ。『東京大火災』、後にそう呼ばれるこのテロ事件は20万人以上の死者を出し、100万人以上の怪我人を出した。これは異能力者による犯罪の中でもかなり最悪の部類に入る。
 このテロ事件を重く見た日本政府は、異能力犯罪を取り締まる組織の設立に取り掛かった。紆余曲折ありながら、聖和18年に設立されたのが警察庁特殊事案局である。

 * * *

 聖和28年7月13日。東京都第3区。ビルなどの高層建築が並び立つ日本の首都・東京都。その中でも、金融の中心地として有名なのが第3区だ。大日本銀行、東京銀行、すいれん銀行など、日本の主要銀行の本拠点が立ち並び、金融庁や経済省などの施設もこの街にある。第3区の中心に大きな交差点と横断歩道がある。そこはいわゆる歩行者天国で、銀行や金融関係の会社に勤めるビジネスマンが常日頃から闊歩している。
 だが、この日は違った。人々は横断歩道を渡ろうとはせず、遠巻きに交差点の真ん中を見つめていた。信号が赤と青に移り変わっている間も、車がこの交差点に入ってくる様子はない。この異常な状況を作っていたのは交差点の真ん中に立つ小太りの男の存在だった。小太りの男程度で交通が止まっているのは何故なのかというと、その原因は彼の右手にあるサブマシンガンにあった。男はどこかイライラとした様子で左手にあるスマートフォンを眺めていた。
「クソッ、まだかよ。あいつら」
 男の足元には彼の所持物らしい黒のボストンバックが置かれていた。ボストンバッグのチャックの隙間からは札束が見えている。男はこの交差点のすぐ近くにある東京銀行第3区支店からこの交差点へとやってきた。その際に、何人かの歩行者を射撃している。つまり、彼は銀行強盗をし終えて、おそらく仲間を交差点の真ん中で待っているのだ。そのため、交差点で男を眺める人々は身動き出来ない状態だった。そして、それを誰も止めることは出来ていなかった。
「ああ、クソ。イライラすんなぁ!オイ、お前ら!なんか俺の暇つぶすようなことしろ!」
 小太りの男は苛立ちを群衆にぶつける。当たられた群衆たちは男の怒声に怯え、誰も何も言うことはなかった。
「なんとか言えや!殺すぞ!」
 更に怒声を上げる男。それに怯える群衆たち。その群衆から一人の勇敢な男が飛び出した。小太りの男の視界の外から飛び出したのは、近くの交番から通報を受けてやってきていた若い警察官だった。
「死ねェ!!」
「!?…なんだ、てめぇ!」
 若い警察官は両手で拳銃を握っていた。カタカタと震える手で拳銃を握りしめ、警察官の声に驚いてこちらを振り返った男に向けて引き金を引いた。入っていた銃弾が切れるまで警察官は発砲をし続けた。銃声が止み、群衆はおどおどとした様子で銃撃された小太りの男に目を向ける。小太りの男は銃弾6発をまともに受けたのだろう。衝撃にその場に倒れ込んでいた。それを見た群衆がどよめく。まさか目の前で人が死んだのか? 動揺する群衆だったが、ようやく恐怖から解放されたという喜びが動揺を勝り始める。群衆の中の一人が声を上げた。やったぞ!犯罪者がいなくなった! それに続くように群衆に声が戻った。人々は皆それぞれに歓喜や安堵の声を上げ始めた。
 その時だった。
「…おぉ、いってえ。やってくれたねぇ、警官さん!」
 しゃがれた低い声と同時に銃声。いつの間にか倒れていた小太りの男が立ち上がり、右手のサブマシンガンで放心状態で立ち尽くしていた警官を撃ち抜いていた。またも群衆に悲鳴が上がる。先程までの歓喜の声とは打って変わって、阿鼻叫喚の事態に陥る。だが、それも男の怒声で収まった。
「うるせえぞ!無能力者ども!殺されてえか!?」
 男の言葉に人々は黙り込む。そして誰もが絶望していた。男の言葉、無能力者という言葉に。注視して見ると、男の体は先程までの人の皮とは違っていた。男はなにかゴツゴツした砂岩のような肌をしていた。人々は悟った。
 ――この男は異能力者だと。
「フン。ったく酷い目にあったぜ。お気に入りの服が穴だらけだ。オイ!お前のせいだぞ!クソ警官がよォ!」
 また銃声。小太りの男は銃撃されたことに酷く腹を立てている様子で、銃弾を打ち込まれその場に崩れ落ちていた重傷の警官にトドメを刺すかのように追い打ちしていた。
 人々は絶望していた。異能力を持つ犯罪者、異能力犯罪者と呼ばれるそれらは人の力では打ち倒すことが出来ないのは周知の事実だった。もう駄目だ、おしまいだ、何でもいいから早く消えてくれ、助けてくれ、人々の心に浮かぶのはそんな言葉ばかりだった。
「うわー、やべえな」
 そう呟いたのは交差点から少し離れたところにある喫煙所にいた中年の男性だった。交差点で小太りの男に睨まれ、動けずにいる人々より離れた視点で見ているからなのか、男性は他人事だった。
 手にした煙草に火をつける。事件解決までこの交差点は警察によって規制されていた。そのため、喫煙所にいたこの男性もここから離れることは出来ずにいた。彼の足元には既に空になった煙草の空き箱が二つ転がっていた。
「チッ。…特事のヤツらはまだかよ」
 煙草をくわえながら男性はぼやく。特事とは、特殊事案局の略である。
 と、そんな時、喫煙所の扉が開いたような音が聞こえた。男性は反射的にチラッとそちらに目線を向ける。すると、起こったことが扉は開いたのではないことに気づけた。男性の目に映ったのは、喫煙所の扉を

男だった。
 髪の毛は赤と黄色が入り交じったようで、髪の毛が好き勝手に伸びているようなクシャクシャっとした髪型だった。
 体格は筋骨隆々といった感じで、肩幅だけで言えば自分が2人ほど入るくらいだった。
 黒のタンクトップ、MA-1と呼ばれるフライトジャケットに中途半端に袖を通し、下はジーパンで靴は膝とくるぶしの中間くらいまである長さの半長靴――軍靴を履いていた。
(…!?なんだ!?この地球外生命体は!?)
 男性は思わず逃げ出しそうになったが、喫煙所に入ってきた男が邪魔で逃げ出せなかった。顔は若く目鼻立ちは整っていたが、如何せん目付きが悪い。人を常に威圧しているような、獣のような目に睨まれた男性は、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなった。
 悲鳴も上げられない男性に、筋骨隆々の男はズンズンと迫ってきた。声にならない悲鳴が上がる。
 くわえた煙草が地面へと落ちそうになったその時、男が右手を振りかぶった。明らかに暴漢にしか見えない男の登場、彼の振りかぶった右手に殴られると勘違いした男性は思わず目を瞑る。
(こ、殺される!!)
 そう覚悟した中年の男性だったが、暴漢男の拳が彼に振り下ろされることは無かった。おそるおそる目を開くと、目の前には男の握られた右拳があった。
「――!?っひぃっ!!」
 目の前の拳にあまりに驚いたのか、どうにか捻り出した声を上げて、その場に崩れ落ちて後ずさる。涙目になりながら肩で息をする男性に、暴漢男は彼を睨みながらこう言った。
「…タバコ…」
「……ふぇ?」
「オレ、タバコ嫌いなんだよ」
 暴漢男が右拳を開く。すると、何かの残骸なのか、砂のような粒がサラサラと落ちていった。拍子抜けした男性は気づく。先程、口からこぼれ落ちたはずの煙草は地面にない。そして、更に気づく。

と。
 オレの前でタバコ吸うんじゃねえぞ。いいな」
「は、はいぃ」
 理不尽な命令をした男は、消え入りそうな男性の返答に満足気に喫煙所を出ていった。残された男性はしばらく呆然としていた。そして、自分のズボンと尻もちをついた地面が濡れていたことに気づき、少し泣いた。
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