父兄さんはポルノ作家
文字数 2,000文字
夏休みの個人面談も次で最後。五年四組担任の僕は手元の資料を見直して嘆息した。
和久原夏弥 の父親、英治 。三十歳、今は独り身。職業、小説家。
追加情報として先輩教師が「推理小説で大きな賞を取ったそうよ」と教えてくれた。一冊読んでおこう、と面談の数日前に思い立つも、ふと気付く。
筆名、作品とも知らない。
本名でネット検索したが分からず。そこで四年生時のクラス担任に職員室で聞いた。
「和久原さんか。二学期に転校して来て馴染むのは早かったな。僕も配慮して親御さんの職業は伏せといた」
「親がプロ作家で有名だと、嫌われる懸念があるからですか」
「少し違う。――ここじゃ子供が出入りするし、女性もいるから言いづらいな。筆名を教えるんで自分で調べてよ」
児童や女性がいると言えない理由? 言われた通り、自宅で検索してみて理解した。
和久原英治はポルノ作家だった。推理小説の賞でデビューしたのも嘘ではないが三作目から人気が落ち始め、忘れられた存在に。何年か経てポルノ作家として復活を遂げていた。
「遅くなりました、和久原果耶の父、英治です」
時刻を再確認すると一分ほど約束を過ぎていた。どうぞと促す。
「失礼します」
教室に入ってきたのは若くて長髪の二枚目。旧いアイドルの趣がある。本当に三十?と疑りたくなる童顔で、下手すると高校生だ。
お子さんは成績優秀で他の子達とも広く付き合っている。だから学校生活の面で心配はない。そう伝えた後、言いづらい点を切り出した。
「ご家庭での夏弥さんについて、教えてください。その、お父さんのご職業のことで、娘さんが気にしているとか不満を言うとか」
「なるほど」
ぽり、と頬をかき、唇の端を上向きにする英治。
「心当たりはないな。学校で夏弥が言ってました?」
「いえ。でも口に出して言えないのかも」
「それはないと思います。僕が鈍感なんじゃなく、娘から言って来たんですよ。私達のために頑張ってくれてありがとうと」
「うーん……夏弥さんは知っているんですよね?」
「ポルノ作家だってことを知っているし、どんな仕事かも知っています」
「先ほど私達と言われましたが、独り身では……」
「もう一人、娘が。中二の」
「そうでしたか。え、中二?」
計算が合わない。今三十で中二の長女がいるなら、その子が生まれたとき英治は十七辺り? そりゃあ子供を作れない年齢ではないが。
「伝わってないのかな」
英治は淡々と言った。
「娘達は死別した妻の連れ子です」
再婚だったのか。そして死別? 子供の家庭環境を知る上で重要事項なのに、抜け落ちているとは。
「経緯を聞かせてください。僕の準備不足でした」
両手を太ももに置き、頭を垂れる。「こんなことで頭を下げるなんて勿体ない」と苦笑交じりの相手の声がした。
「大学卒業の年に賞を取り、運よくプロになれました。その直後に編集者に連れて行かれたクラブで麻純 さんと出会い、長いお付き合いを経て結婚したんですが、程なくして飛行機事故で逝ってしまって。彼女の親戚は僕が娘達を放り出すと決め付け、葬儀中、子供達を誰が引き取るかでずっと揉めていた。押し付け合うのを見ていられず、葬儀が終わるや『僕らは家族だからご心配なく!』と啖呵を切って三人で帰ったんです」
「立派な心掛けですが大変でしょう? 男の子ならまだしも」
「大変でした」
楽しそうに答える英治に面食らう。
「大変な中に時々、少しは父親になれたかなという瞬間が来る。料理を一緒に作ったり、三人で流れ星を数えたり。髪をポニーテールにしてやること一つ取っても、できるようになったときの嬉しさと来たら!」
「そこまでお子さんに寄り添われるのなら、お仕事の方も。せめて、推理小説で糧を得るのは難しいのでしょうか?」
「お言葉を返すと、ミステリを書いたら書いたで、犯罪や人が死ぬ話で子供を養うなんて縁起でもない、なんて言われるかもしれない」
「それは……」
「あと、僕は当分、ミステリは書けそうにない。麻純さんが死んでから、少なくとも殺人が起こるミステリは書けなくなった」
「あ」
そういうことだったのか。
「だからって何故ポルノに?の説明はできないんですが。先生は僕の小説、読まれました?」
「デビュー作だけですが」
「じゃ、最近のを買って目を通して欲しいな。僕としてはエロ成分多めの恋愛物、もしくは社会派のつもりで書いてるから」
「分かりました。読みます。買いにくいけど、学校から遠い書店で」
「ネットでも買えますよ」
忘れていた。でも電子的に記録が残るのも嫌だな。
そんな僕の教師心理を読み取ったか、笑って付け足す和久原英治。
「買ってくれというのは冗談です。差し上げますよ」
後日、僕は校内で和久原夏弥に謝った。
「先生どうしたの?」
「勝手に気持ちを推し量って悪かったなあと思って。それとお父さんに伝えてよ。面白かったですと」
「当然よ。父さんは世界一のポルノ作家なんだから!」
追加情報として先輩教師が「推理小説で大きな賞を取ったそうよ」と教えてくれた。一冊読んでおこう、と面談の数日前に思い立つも、ふと気付く。
筆名、作品とも知らない。
本名でネット検索したが分からず。そこで四年生時のクラス担任に職員室で聞いた。
「和久原さんか。二学期に転校して来て馴染むのは早かったな。僕も配慮して親御さんの職業は伏せといた」
「親がプロ作家で有名だと、嫌われる懸念があるからですか」
「少し違う。――ここじゃ子供が出入りするし、女性もいるから言いづらいな。筆名を教えるんで自分で調べてよ」
児童や女性がいると言えない理由? 言われた通り、自宅で検索してみて理解した。
和久原英治はポルノ作家だった。推理小説の賞でデビューしたのも嘘ではないが三作目から人気が落ち始め、忘れられた存在に。何年か経てポルノ作家として復活を遂げていた。
「遅くなりました、和久原果耶の父、英治です」
時刻を再確認すると一分ほど約束を過ぎていた。どうぞと促す。
「失礼します」
教室に入ってきたのは若くて長髪の二枚目。旧いアイドルの趣がある。本当に三十?と疑りたくなる童顔で、下手すると高校生だ。
お子さんは成績優秀で他の子達とも広く付き合っている。だから学校生活の面で心配はない。そう伝えた後、言いづらい点を切り出した。
「ご家庭での夏弥さんについて、教えてください。その、お父さんのご職業のことで、娘さんが気にしているとか不満を言うとか」
「なるほど」
ぽり、と頬をかき、唇の端を上向きにする英治。
「心当たりはないな。学校で夏弥が言ってました?」
「いえ。でも口に出して言えないのかも」
「それはないと思います。僕が鈍感なんじゃなく、娘から言って来たんですよ。私達のために頑張ってくれてありがとうと」
「うーん……夏弥さんは知っているんですよね?」
「ポルノ作家だってことを知っているし、どんな仕事かも知っています」
「先ほど私達と言われましたが、独り身では……」
「もう一人、娘が。中二の」
「そうでしたか。え、中二?」
計算が合わない。今三十で中二の長女がいるなら、その子が生まれたとき英治は十七辺り? そりゃあ子供を作れない年齢ではないが。
「伝わってないのかな」
英治は淡々と言った。
「娘達は死別した妻の連れ子です」
再婚だったのか。そして死別? 子供の家庭環境を知る上で重要事項なのに、抜け落ちているとは。
「経緯を聞かせてください。僕の準備不足でした」
両手を太ももに置き、頭を垂れる。「こんなことで頭を下げるなんて勿体ない」と苦笑交じりの相手の声がした。
「大学卒業の年に賞を取り、運よくプロになれました。その直後に編集者に連れて行かれたクラブで
「立派な心掛けですが大変でしょう? 男の子ならまだしも」
「大変でした」
楽しそうに答える英治に面食らう。
「大変な中に時々、少しは父親になれたかなという瞬間が来る。料理を一緒に作ったり、三人で流れ星を数えたり。髪をポニーテールにしてやること一つ取っても、できるようになったときの嬉しさと来たら!」
「そこまでお子さんに寄り添われるのなら、お仕事の方も。せめて、推理小説で糧を得るのは難しいのでしょうか?」
「お言葉を返すと、ミステリを書いたら書いたで、犯罪や人が死ぬ話で子供を養うなんて縁起でもない、なんて言われるかもしれない」
「それは……」
「あと、僕は当分、ミステリは書けそうにない。麻純さんが死んでから、少なくとも殺人が起こるミステリは書けなくなった」
「あ」
そういうことだったのか。
「だからって何故ポルノに?の説明はできないんですが。先生は僕の小説、読まれました?」
「デビュー作だけですが」
「じゃ、最近のを買って目を通して欲しいな。僕としてはエロ成分多めの恋愛物、もしくは社会派のつもりで書いてるから」
「分かりました。読みます。買いにくいけど、学校から遠い書店で」
「ネットでも買えますよ」
忘れていた。でも電子的に記録が残るのも嫌だな。
そんな僕の教師心理を読み取ったか、笑って付け足す和久原英治。
「買ってくれというのは冗談です。差し上げますよ」
後日、僕は校内で和久原夏弥に謝った。
「先生どうしたの?」
「勝手に気持ちを推し量って悪かったなあと思って。それとお父さんに伝えてよ。面白かったですと」
「当然よ。父さんは世界一のポルノ作家なんだから!」