書物は語りき

文字数 5,270文字

 魔法局を入って直進。受付を済ませた後に、スロープを登った先にいた文書官に声をかける。

「ここは大事な資料の保管庫もある。勝手にフラフラと出歩かない様に。何かあればこの魔道具で私を必ず呼ぶこと。いいな二人とも」

 冒険者風情に頼る羽目になるとは嘆かわしい。本来ならここもお前らの様な者が立ち入っていい場所ではないのだが、と明らかに表情に不満を表したまま、担当の職員は扉を開けて二人が入ったのを確認してから去っていった。

 魔法局で実入りのいい仕事があると、冒険者職業斡旋所の職員に言われてやって来たイナンナだったが、文官の担当者はあまり部外者……特に冒険者が立ち入る事は気に入らない様だ。
 イナンナと違って冒険者の中にはごろつきと区別がつかない様な荒くれ者もいるのは確かで、拠点としているこの街の住民全てが冒険者という存在を受け入れてくれている訳ではないのは理解はしている。しかし、イナンナも仕事で来ているし元より悪さなどするつもりは毛頭ない。
 エルフ族であり、女性としても比較的身長の高いイナンナよりもさらに二倍程の高さもある扉が後ろで重々しく閉ざされる。イナンナはこの拒絶する空気を振り払うかの様に、同じく依頼を受けた本日のパートナーであるエルフの男性を振り返ると改めて名乗るのだった。

「イナンナと申します。蔵書の点検は生家で慣れておりますので私が担当致しますね」
「俺も家が教会だったから、賛美歌の羊皮紙なんかはよく修理してたし、修繕は任せてくれ。ハルでいい」

 二人ともエルフであり長身。そして種族的に整った顔立ちではあるのだが表情は重かった。気持ちを振り払うように資料庫の奥に足を踏み入れるとそこは別世界であった。
 かなり高い位置に作られた天窓からは、資料に直に当たらない様に柔らかく陽の光が入り、二人がいる位置から少し下がった部分から見える範囲全てに、書物に魔道具とが所狭しと並んでいるのだ。横でハルがごくりと喉を鳴らすのが分かる。イナンナもそれを咎めたりなど出来ない。これは確かに宝の山だ。目線より上の位置の壁に一定間隔で設置されているガーゴイルの目線が動く。それに気付いたイナンナが、ハルの脇腹をつついて、二人はようやく動き出したのだった。



 換気は風の魔道具が行っているのか、倉庫特有の空気の悪さは無く二人の動く気配だけがあった。イナンナは足音がコツコツと鳴っているのだが、ハルはいわゆる職業的に盗賊(本人にはトレージャーハンターだと釘を刺された)らしく、足音はせずしなやかに動いていく。
 しばらく進んで行くと、机の上に明らかに乱雑に積まれた資料が山を成しており、わざわざ職業斡旋所から依頼があった理由も頷けた。床に落ちてしまった巻物(スクロール)に至っては、一部足跡まで付いている。ここの整理並びに痛みがあるものは修繕をするという依頼なのだが、実入りがいい理由が分かってしまった。

「繊細かつ、力仕事。そして手間……。これは外部の人間も雇いたくなりますね……」
「どれも無茶苦茶貴重な資料だろうに……。うわ、これ禁呪の巻物じゃねぇの!? あっぶねーな。つーか俺たちが悪用したらどうすんだ……」
「どうせ冒険者風情には理解出来ないと考えているのでしょう……。古代文字かつ、それ暗号も混ざってる様ですし、下手に結界無しで翻訳すると恐らく危ないと思いますよ。さ、またガーゴイルに睨まれる前に、片付けていきましょうか」

 イナンナの言葉に、近づけていた手を思わず離したハルであったが、気を取り直すと丁寧にそれを回収すると、机の隙間に乗せた、

 換気がきちんとなされている分、空気は非常に乾燥している。もしこの場に火の気があればすぐに羊皮紙や木製品で魔法の保護がなされていない杖にも燃え移ってしまう事だろう。資料には快適かもしれないが人間には酷である。
 二人で手分けして、まずは羊皮紙で出来た巻物を分類。修繕が必要な物は丁寧に分け、巻物や資料本、辞書等のそれぞれ専用の棚に分類毎に振り分けて行く。製本された物は背表紙を見て、巻数順やタイトル順に並べて本棚へ置くように、そしてくれぐれも丁重に。机の上にある程度の空間が出来ると、ハルがどこからか椅子を持ってきて本腰を入れて修繕に入る。

「うわ、こっちは喉割れ、こっちは頁破れ……。そんなのをどちゃっと混ぜとくなよな。本が可哀相じゃないか」
「本がお好きなのですね」

 思わず出たハルの言葉にイナンナがそう返すと、ハルは作業の手を休めると顔を上げて答える。

「俺は家が教会だったってさっき伝えたけどさ、主に聖書だったりを直してたんだよ。失敗してその度に親父からどやされてさ。それでも少しだけ置いてあった冒険物語なんかが大好きでさ。本当にボロボロになるまで読みふけって……」

 イナンナも同じ様に書物から外界の情報を手に入れて、今冒険者としてやっている。あの憧れ、焦燥。物語の人物と自分が一体化したかの様な高揚感。それと同じ様な事が出来ないかと、閉鎖的な森の中から飛び出して今ここにいる事を後悔はしていない。きっと今、二人は同じ表情をしていたのだろう。どちらからともなく笑顔になると、また作業に戻って行った。



 元々、本という物が好きなイナンナにはこういった仕事は苦ではなかったが長時間の作業で流石にそろそろ腰にきていた。

「最近は走り回って、ばかりでしたし……ね、っと」

 自らを紐解いてくれるのを待っているかの様に静かに佇む物語や知識の群れ。少しずつハルの横にある資料の山が消えて行く中、資料庫の一番奥側の随分と暗い本棚の裏側に、並べる際に一冊落としてしまった。しゃがみこんで、思い切り手を伸ばすと落ちた一冊とは別に、もう一冊古ぼけた巻物が出て来た。そのままにしておくのも気にので、両方とも取り出すと盛大に埃が舞い上がる。ここは随分と掃除もなされていなかったらしい。

「ガーゴイルにお掃除機能とか付ければ貴族にでも売れるんじゃないでしょうかね……」

 そんな事を呟きつつ、遠くの方でハルが「あ、やべ糊が多かった」等と独り言を呟いているのが聞こえてくる。手元の本の埃を払って所定の位置へ。そしてもう一冊の本をと見てみると、表紙も裏も何も記載は無い。頁を一枚めくってみても作者名なども書かれていない。分類の為にと言い訳してまた一枚めくったところで、そこに書かれている文章に目が留まった。

――我が宝は、二つのアスタリスクの間に 我が心は、無き玉座の底へ置き去りし――

 何やらその一文に奇妙に惹き付けられるものを感じたイナンナは、吸い寄せられる様に頁をめくり、そこに綴られた物語に飲めりこんでいった。

◆◆◆

 かつて……この地には邪悪なる王と邪なる魔法使いがいた。二人は結託して自分たちの覇権が続く事を願い、近隣の国々と激しい戦いを繰り広げていた。そんなある日のこと、敵国から送り込まれてきた魔神を倒した際に、異能の魔法の道具の存在を知ったのだった。

 【輝きの宝珠】

 この宝珠を所定の方法で奉り、願いを唱えればそれはどんなものでも一人につき、たった一つだけ現実になるというものである。

 二人はこの宝珠をあらゆる手を尽くして手に入れ、早速互いの願いを唱えた。だが二人は気付いていなかったのだが、この宝珠は願い事を具体的かつ正確に、拡大解釈も一切出来ない様に伝えなくてはならなかったのだ。
 『永い生』を願った王は、文字通りの不老の王――アンデットの王となり、陽の光の下で歩く事が出来なくなった。『この世の知恵を収められる頭脳』を求めた魔法使いは、人間ではあり得ない容量――すなわち城そのものの身体となってしまった。

 二人は願いが捻じ曲がった事に激怒しお互いに責任をなすりつけ、妬み合う様になり……ついには二人の間で激しい戦いが始まった。その最中に近隣の諸国から攻め込まれ、一粒種であり諸国を回っていた王子がはそれに乗じて王と魔法使いを封印。宝珠の行方はどうなったのか、そして手に入れたと思しき王子はどうなったのかは誰も知らぬままその歴史は無きものとされた。ただ、残されたその地は、今も誰も住むことが出来ない程に荒れ果てた城と土地。そしてかつての王国の名前だけが地名として残されたのだという。

――呪われし土地 アィソーラと――

◆◆◆

 そこまで読んでイナンナはびくりと身体を震わせた。何故なら彼女はその土地の名前を知っていたからだ。恐らくこの街でも、そして人間では知る者は少ないだろう。
 この街からの距離は徒歩で数日程なのだが、エルフの結界の一つでもある森に囲まれたそこは、そこへと至る道を知る者か結果を無効化出来るエルフで無いと辿り着くことはまず出来ない。かつて生まれ育った集落にいた時にも聞いた事がある。そこは荒れ果てた土地と、どれだけ年月が経っても崩れ落ちない堅牢な城があると。そして今でもそこには当時の驕り高ぶった人間の王が、不老を願ったが為に、死ぬ事も許されずに留まり続けていると。
 いわゆる寝ない子を脅かす為のおとぎ話の類だと思っていたが、この手元の書物に記された情報を集めていけば、間違いなくそこを指していると思われる。

 思わずハルの所へ駆け寄り、それを見せると難しい顔で書物を睨む。

「親父に似た話を聞いた事があるよ。俺らはいわゆる森から出ての生活が長い【町エルフ】だけどさ、うっすらと似た話でさ」

 俺もやっぱり近寄るなって言われたけどなと、苦い顔をする。やはり禁忌の場所であるのは間違いない様だ。冒険者としての心も騒ぐが、何があるか分からないしまだまだ新米から抜けたばかりなのだ。無理はしない方がいい。そう思って納得した二人の前で、書物はまるで氷が解ける様に消えていった。

「さて、そろそろ時間だが……、進捗はどうか?」

 呆気に取られている二人を驚かす様に扉が音を立てて開き、担当の文官が資料室に入ってきた。呆然としている二人には目もくれず、机の上がほとんど片付いているのを見ると満足した様に頷くと、用は済んだと二人を部屋から閉め出した。

 持ち出しがないか調べさせてもらうと、あちこち服の上から身体を触られたが、そんな事も気が付かない程に二人は動揺していた。また頼むぞと、依頼終了の書類に判を押して、文官に魔法局からも追い出されてようやく二人は我に返ったのだった。

「あれ……本物ですよね」
「ああ、マジモンのお宝情報じゃないのか……」

 そのまま職業斡旋所で書類を渡すと、受付の女性は笑顔で給金を渡してくれる。

「素晴らしいですね。あの担当職員、相当気難しい方なんですが、書類の方にわざわざ一筆書いてある位です。よっぽどお二人の仕事が良かったんですね」

 嬉しそうな受付と温かくなった懐に、先ほどまでの不思議な出来事も薄れ、同じく笑顔になる二人。

「先日は大変だったんですよ。ドワーフの人が武具の整頓に行ったんですけど、勝手に貴重な研磨剤を使用したとかで喧嘩になった挙句【四大元素の同時起動すら出来ない若造が】とか【俺の故郷のイソーラなら成人していれば出来てるぞ】って何か捨て台詞吐いて担当さんを激怒させたらしいんですよ……」

 二人は驚いて顔を見合わせる。まさか【アィソーラ】かと尋ねれば、確かそんな名前だったと得心した顔の受付嬢。

「おかげで、二度とそいつは呼ぶなってなっちゃいまして、お二人が引き受けてくれて助かりました。また依頼がありましたらお願いしますね。全くアッシュさん、刑期が明けたからとかいって久々にお仕事回したのに、私まで小言を……」
「今、なんと!?」

 イナンナの食い付きに、目を白黒させながら受付嬢がしまっという顔で答える。

「あ、すいません。愚痴を……」
「そうじゃなくて、お名前です!? アッシュさんと、ドワーフの!」

 激しい剣幕に、他の冒険者も足を止める中、頷いた受付嬢を確認するとイナンナは外へ飛び出す。

「おいおいどうしたんだよイナンナさん!?」

 当然の様に、同じ速度で併走するハルは流石の盗賊。そちらを見ずにイナンナは答える。

「私の恩人の方なんです。きっと、あそこに。アィソーラへ行ったはずです。だから私も向かうんです」

 結界には必ず綻びが生じる。あの悪運の強いドワーフの事だ、きっとそこに向かったはず。お宝やあの伝説にも興味はあるが、あのアッシュに会いたいという一心でイナンナは駆ける。

「OK分かった。俺もついてくよ。お宝は山分け。そしてそんな危ない城には罠がたくさんあるはずだ。任せときなって」

 信用してもいいだろう。横目でチラリと見たハルの顔に邪気は無い。イナンナは旅に必要な物は何かと算段しながら、宿へと走って行った。――自分にも風が吹いてきていると信じながら。
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