第三四話 岡崎の一刻攻め

エピソード文字数 3,207文字

 ◆天文十五年(一五四六年)一月十日 三河国(みかわのくに) 岡崎城付近

 昨年十一月の安城合戦で、弱体した三河岡崎(愛知県岡崎市)に、織田シンパの松平(まつだいら)家次(いえつぐ)を擁立するための出陣だ。今回は、我が那古野勢五〇〇〇と信パパの清洲勢七〇〇〇が主力部隊。
 信広(のぶひろ)兄の三河安祥(あんじょう)勢二〇〇、三河刈谷(かりや)城の水野下野守(しもつけのかみ)信元(のぶもと)勢一五〇〇、品野城の松平監物丞(けんもつのじょう)家次(いえつぐ)勢一〇〇〇を従えて、合計一四七〇〇の堂々とした大軍勢となった。
 連合軍は岡崎城から三町(三三〇メートル)ほど離れて、緩く包囲体制をとり布陣している。

 岡崎城は昨年の安祥城の戦いで、おれが討ち取った松平広忠(ひろただ)の居城だった。現在は広忠の嫡子の松平竹千代(徳川家康)が城主となっている。数え四歳の家康が当然ながら、まともな統治ができるはずがない。
 おそらく、重臣が後見しているのだろう。

 諜報衆の忍びの報告によれば、岡崎城内にはわずか五〇〇ないし七〇〇の将兵が残っているに過ぎない、という。
 駿河(するが)(静岡県)の今川義元は、関東の対応に忙しく、援軍をする余裕はないはずだ。実際に、駿河を担当している忍びの報告でも、出陣の気配はない様子。普通に力攻めしても、早々に陥せるほど戦力差ともあって、負ける戦ではない。

 連合軍の大将は、我らが信長ちゃん。白い鎧に、赤地に白縁取りの陣羽織。髪を下ろして、白い鉢金(はちかね)鉢巻(はちまき)が額に冴える。
 久しぶりに見る姫武将スタイルは新鮮だな。兜を被っていないのは、本格的な攻城戦をしない、という意思表示だ。

 おれは数日前から、岡崎周辺に諜報衆を使って『織田勢二万が岡崎城を攻める』との風評を流させている。圧倒的な戦力差だから、怖気づいた兵の脱走を誘発するわけ。少しでも兵が減れば、それだけ合戦も楽になるだろう。

 本陣に来た初対面の松平家次は、信長ちゃんの姫武将姿に驚愕の表情だ。女の子だという情報が伝わっていなかったようだな。
「ワシに策があるゆえ、一刻(二時間)余り待ってほしいのじゃ。それから、皆に弓衆を借りたいのじゃ」

 信長ちゃんは本陣に集まった諸将に伝える。次に太田牛一を筆頭とする那古野勢を含め、それぞれの軍勢から弓衆を集め、大量の矢文を用意させた。
 もちろん、水野信元や松平家次には否はない。力関係もあるし、信長ちゃんの意向は、織田家そのものの意向になるからだ。

「左様に矢文を用意をするとはな。何を意味するかは知らぬが、自信はあるようだな」と信パパもニヤニヤしている。
又助(またすけ)頼むぞぉおおおお!」
 矢文の用意ができた弓衆の牛一に、指示した信長ちゃん。
「この文を千枚ほど城に打ち込ませているのじゃ」と、本陣に集まっている諸将に文を見せる。
 千枚の文を書くのはかなりの労力だから、木版を作って印刷したのだ。

 矢文の内容は次のとおり。
『岡崎城全将兵に告ぐ。
 息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう))の加護を受けて、この織田三郎は三河の安定を求めて来ている。決して城を攻めにきたわけではない。
 三河や尾張の新しい場所で活躍したい者は、全員助命し機会を与えよう。厚遇を保障するぞ。那古野の繁栄を知っているだろう?
 一刻(二時間)のうちに開城し恭順せよ。

 ただし、新しい場所で活躍したい、と思わぬ者が一人でもいたら連帯責任である。
 三河の安寧(あんねい)を望まぬとみなし、息長足姫尊の名において全員根切りにする。
 安祥城の戦いで、信長は五〇〇の兵で戦ったのだ。何人が岡崎に戻ったか、覚えているか?
 今回は五〇〇〇の兵で戦うぞ。

 さらに織田備後(びんご)(信秀)、織田三郎(さぶろう)五郎(ごろう)(信広)、水野下野(しもつけ)(信元)、松平監物(けんもつ)(家次)の一五〇〇〇の兵もいる。
 死神左近もいるぞ。勝てるわけがない。

 天罰が落ちないように願う』

 ここでもやはり『死神左近』が登場していて、おれとしては微妙な心境だ。
 だが、文の意味がわかった者は感心しきりの様子。通常の降伏勧告とは意味が違うからだ。
「ワハハ。監物殿も下野殿も兄者もよき侍が見つかると良いのじゃ。もちろんワシもじゃ」
 ニヤニヤしている信長ちゃん。

 この文を多数の人が同時に見た場合、新天地でも構わず素直で頑張るつもりの人だけが残り、強硬に抵抗する者はいなくなる。
 いなくなるとは、もちろん殺され処分されるということ。
 強硬派は恭順派を殺したら守備兵が減る、というジレンマがあるため、最初から分が悪い争いになる。
 さらに直接手を下さない分、恨みを持たれにくい利点もある。

 もちろん、策はおれが立案したもの。本来の狙いは後の徳川家康――松平竹千代の抹殺だ。数え四才の幼児にまったく恨みはないが、松平宗家を断絶させるのが、三河を安全地帯にできて、今後の織田家にとっては最良の選択。しかも家康にとって、おれは父親の仇だ。
 戦国時代の最終勝者に仇敵と付け狙われるなど、枕を高くして眠れない。確実に歴史の彼方に消え去ってもらいたい。

 史実の家康は織田家に人質になっていた時代があり、その際に信長と知己(ちき)を得たため、後の清州同盟につながったという説がある。
 この世界では家康が人質に来る前に、おれが父親の松平広忠を撃ち殺してしまっているし、大幅に歴史がずれてきているんだ。だから家康が生き残ったとしても、同盟が成立するとは限らない。
 ならば、将来の禍根は全て取り除くに限る。しかも信長ちゃんや織田の手を汚さないように。

 そんな思惑を秘めて待つこと一刻(二時間)。白旗を掲げてあっさりと岡崎城は開城した。
 神妙な面持ちで降伏してきた将兵を待っていたのは、熱烈なスカウト合戦。
「慣れた岡崎で働かんか?」
「安祥はどうだ、安祥では出世できるぞ!?」
「刈谷で事務方やるものおらぬか?」
「那古野ではなんでも揃うし、給料がいいぞ」

 今後の守備があるので岡崎を含め三河に多く人材を配置するのは仕方がない。
 けれど那古野には優先権があるので、酒井忠次くん、石川数正くんを含め多くの有望な人材が来てくれる事になった。一気に十万石の大名となった信長ちゃんの那古野は、人手不足だからとても助かります。みんな頑張ってほしい。

 歴史に残る酒井忠次くんの『海老すくい』という踊りはどんなんだろう。仲良くなったらぜひ見せてほしいぞ。
 あ。そうそう、家康くん(四歳)はね。後から太田牛一に聞いた話だけれど、矢文が打ち込まれたら早々に、強硬派の重臣数名とともに惨殺されたらしい。

 やっぱり現代に伝わっていた三河武士の一枚岩や、鉄の忠義だとかは大嘘だったんだな。もしも恭順してきたら、移動中に不慮の事故で亡くなってもらおうとしてたけど、多羅尾光俊の手を煩わせずに助かったよ。
 バイバイ。家康くん。江戸の夢見て成仏してね。
 歴史は勝者の手によって作られる。現代日本での徳川家康は、二六〇年以上続いた江戸時代の基礎を築いた英雄だ。だがこの世界では、全国統一した織田家に反抗し滅んだ武将――松平広忠の不幸な息子という扱いになるだろう。

 松平家次と話していた信長ちゃんは、話が終わると即座に駆け寄ってきた。満面の笑みで、右手はVサインだ。
「さこん、戦わずしてぶいじゃなあ!」
「姫、うまくいきましたなっ!」

  手柄がなくて物足りない人もいるかもしれないけれど、やっぱり城攻めは下策だと思うな。
 おれも精一杯の笑顔で、Vサインを作った。
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登場人物紹介

織田吉(三郎信長


 那古野城城主で周辺一〇万石の領主。織田信秀の嫡子。

 織田信秀の次男に生まれるはずが、どこで間違ったのか女性に生まれてしまった。見た目は現代風美少女だが男装を好む。最近はアクセサリーを頻繁に変える、鎧を着替えるなどオシャレに気を遣うようになっている。

 奥手で、『つるでぺた』を気にしているが実態は不明。


 戦場では鉄砲を使う。

 初陣で敵大将を討ち取るという大殊勲を挙げた。

 美濃の斎藤義龍との結婚計画があったが流れた。

 口癖は、一人称「ワシ」、二人称「ヌシ」、語尾は「のじゃ」、肯定は「で、あるか!」。「素っ首貰い受ける」もお気に入りのようだ。

 自分に理解を示した左近のことを、とても気に入ってやがて好意を示す。左近の部屋に入り浸っている。

 政治・外交・経済のセンスは抜群で、左近をはじめ周囲をしばしば驚かせる。

 頭に血がのぼると一直線な行動をとることも多い。

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