第1話 一話完結

文字数 3,592文字

 どうぞ一席、お付き合いのほどをお願い申し上げます。
 いつの世も、自分の子供を非常に可愛がる親はいます。子煩悩と言われているうちはいいですが、親バカと呼ばれるようになるといけません。我が子を溺愛するあまり、馬鹿な行動をしてしまったりします。
 江戸時代にもそんな親がいたようです。
 大工の熊五郎には年頃の一人娘がいました。名前はお花、年は十八歳。お花は女房の連れ子でしたが、熊五郎は我が子のように可愛がり、お花もよくなついていました。ところが近頃、お花は熊五郎によそよそしい態度を取るようになったのです。どうやら、お花に男ができたらしい。熊五郎は困惑し、大工の棟梁の竹蔵を居酒屋に誘ったのでした。

 座敷に座った熊五郎は徳利を持ち上げ、竹蔵のお猪口に酒を注ぎます。
「棟梁、わざわざ付き合ってもらって、すいやせん」
「なあに、構わんさ。こうして熊五郎と飲むのはと久しぶりだな。最後に一緒に飲んだのはいつだったかな?」
「アッシが二十五の時ですから、十五年前になりますかね」
「もう、そんなになるか。ということは、お前がお里さんと一緒になってもう十五年になるんだな。しかしなんだ、お前には驚かされたな。飲む、打つ、買うの三拍子が揃ったお前が、嫁を貰った途端ピタリと全部止めたんだからな。今だから言うが、お前はいくつになっても遊びを止められないと思っていたんだ。まさか、嫁を貰った途端こんなに変わるとは思わなかった」
「アッシも、自分がこんなに変わっちまうとは思っちゃいやせんでした。若い時は、遊び回るのが面白くて仕方なくて、嫁取りなんて考えてもいなかったんですから。お里との縁談を聞かされた時も、実は乗り気じゃなかったんでさ。二十六の年増のうえに、三歳の娘までいるってんですから。断ろうと思ったんですが、『この江戸には女より男の方がずっと多いんだよ。嫁を欲しくても貰えない男が大勢いるんだ。これを逃したら、お前さんも一生独り身かもしれなよ』って、世話焼き婆さんに半分脅されて決心した次第なんでさ」
「もしかして、お里さんと夫婦になったことを後悔してるのか?」
「お里はよくやってくれるし、夫婦になって良かったって思ってまさあ。まあ、夫婦になって何より良かったのは、お花が娘になったってことですかね。ガキなんか面倒なだけだと思っていたんですが、幼いお花が『父ちゃん、父ちゃん』って甘えてきて膝の上に座ったりするもんだから、可愛いのなんのって。こんな可愛い生き物がこの世にいたのかと驚きやしたね。そうそう、朝なんか出掛けに『父ちゃん、早く帰って来てね』って言うもんだから、仕事が終わると一目散で帰ったりしてね。仲間には付き合いが悪くなったって言われやしたが、馬鹿話しながら酒を飲んだり、女郎と遊んだりするより、お花の喜ぶ顔を見てる方がずっと楽しかったなあ」
 熊五郎はそう言うと、こうそうを崩します。
「お前が遊びを止めたのは、お花ちゃんが原因だったとはな。お里さんはなかなかやるもんだ」
「えっ、お里がどうしたんで?」
 竹蔵は、お里がお花を使って熊五郎の遊び癖を止めさせたと思いましたが、そんなことは口に出せません。慌てて誤魔化します。
「いやな、お里さんとは長い間会っていないから、どうしてるかと思ってな。元気にしてるか?」
「アッシより元気でさ。一緒になった時はしおらしかったのによ」
「まあ、女ってもんは所帯を持つと変わるもんだ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだ。そういえば、お花ちゃんとも随分と会ってないが、大きくなっただろう。お花ちゃんは幾つになった?」
「十八になりやした」
「十八か、嫁に行くにはいい年頃だ」
 竹蔵はそう言って、膝を打ちます。
「ははあん、そういうことか。酒に誘ったのは、お花ちゃんにいい縁談を持ってきてくれと頼むためだな。熊五郎、そうだろう」
「違うんでさ。どっちかというと、その反対なんで」
「どういうことだ?」
「近頃、お花がアッシを避けてるような気がしやして、それとなくお里に訊いてみたんですが……」
 熊五郎はそこまで言うと、ガクッと頭を下げて口を開かない。
「途中まで話して止めるんじゃないよ。お里さんは何と言ったんだい?」
「いずれ夫婦になるって誓った男ができたみたいだって言ってやした」
「その男は誰かわかってるのか?」
「左官の伊三郎……」
「伊三郎か。仕事一筋の真面目な奴だし、性格は穏和だ。それに、年もお花ちゃんより二つ三つ上だ。伊三郎なら、お花ちゃんの相手として不足はないと思うがね。気に入らないのか?」
「お花はどこにもやらねえ」
 熊五郎は袖で涙を拭います。
「泣くことはないだろう。男親は娘を嫁に出したくないと思うもんだがな、婚期を逃すと、いい貰い手がなくなるぞ」
「お花の婿なら、アッシがなりやす」
「何を馬鹿な。お花ちゃんは娘じゃないか」
「娘だけどよ、血がつながってねんだからいいじゃねえですかい。お花だって『大きくなったら、父ちゃんのお嫁さんになる』って言ってたんだからよ」
「それ、いつ頃言ってたんだ?」
「お花が五歳頃だったかな」
「子供の戯言を真に受けるなんて、呆れてものも言えないね。子供はいずれ親の元を離れるんだ。その時、気持ち良く送り出してやる。それが親の愛情というものだろう。いい加減、子離れしないといけないよ。お花ちゃんのためにスパっと踏ん切りをつけるんだな」
「棟梁は簡単に言いやすがね、スパッとなんかできる訳ねえ」
「だったら、伊三郎と勝負したらどうだ。負ければ諦めもつくだろう。そうしろ」
「勝負ねえ……」

 翌日、熊五郎は伊三郎を訪ねました。
「伊三郎、本気でお花と一緒になりたいと思ってやがるのか?」
「本気です。今すぐという訳にはいきませんが、いずれ必ずお花ちゃんを女房にしたいと思っています」
「なら、俺と勝負しろ。俺に負けるような奴はお花の婿には認められねえ」
「勝てば認めてくれるんですか?」
「ああ、認めてやる。だがな、負ければ諦めろ。酒の飲み比べで、多く飲んだ方が勝ちだ。」
「勝負を受けなかったら、どうなるんですか?」
「お花との仲は認めねえ。腰抜けにお花をやる訳にはいかねえからな」
「酒は得意ではありませんが、仕方がありません。この勝負受けます」
「勝負は十日後、居酒屋でだ」
 熊五郎は意気揚々と帰って行きました。

 熊五郎と伊三郎の勝負の話は、お里とお花はもちろんのこと、大工や左官の職人たちにも広まりました。物見高い者たちが居酒屋に押し寄せます。
「お花ちゃんを懸けた勝負だっていうじゃねえか。どっちが勝つかな?」
「伊三郎じゃねえか。若いしよ」
「おめえ、知らねえのか。熊五郎が若い時はうわばみって言われていたんだぜ。熊五郎が勝に決まってらあ」
「だけどよ、熊五郎の奴は酒を止めたじゃねえか」
「まあ、どっちが勝つにしろ、こんな面白い見世物はねえやな」
 野次馬たちは好き勝手なことを言いますが、お花は気が気ではありません。居酒屋の真ん中で向かい合う熊五郎と伊三郎を心配そうに見つめながら、お里に訊きます。
「伊三郎さんは勝てるかな?」
「大丈夫さ。きっと伊三郎さんが勝つよ。棟梁から聞いたんだけどね、父ちゃんは子離れするために勝負することにしたみたいだよ」
「えっ、どうゆうこと?」
「父ちゃんはお花にべったりだろう。だから、離れるのは辛いのさ。だけど、子離れしなきゃならない。勝負に負けて、気持ちに踏ん切りをつけるらしいよ」
「じゃ、父ちゃんはわざと負けるつもりなんだ」
「だから、安心して見てなさい」
 お里とお花は、熊五郎が負けるつもりでいると思っていましたが、熊五郎は勝つつもりでいました。勝って、伊三郎にお花を諦めさせる腹積もりでいたのです。
「一枡目」
 行司役が開始を告げると、熊五郎と伊三郎は一合枡に満たされた酒を一気に飲み込みます。
 二枡目、三枡目と進み、九枡目になると、伊三郎が枡を持ってフラフラと上体を揺らし始めます。
「伊三郎、無理することはねえ。止めてもいいんだぜ」
「止めません。勝たなければならないんだ」
 伊三郎はゆっくりと酒を飲み干しました。
「しぶとい野郎だぜ。次を注げ」
 熊五郎に促され、酒が二人の枡に注がれます。
 伊三郎がチビチビと酒を口に流し込んでいると、熊五郎は酒はこう飲むんだというように一気に喉に流し込みました。
「ゴホッ、ゴホッ」
 酒が間欠泉のように熊五郎の口から吹き出します。
「熊五郎の負け」
 行事役が勝敗を告げた途端、お花が伊三郎の元に駆け寄った。伊三郎はまだ酒を飲み続けている
「伊三郎さん、勝ったのよ。もう苦手な酒を無理して飲むことはないのよ」
「無理しても飲まないとならないんだ」
「どうしてよ」
「酒に強くならないと、将来娘が生まれたら困るだろう」
「何で困るの?」
「飲み比べに負けたら、娘を取られてしまう」
 世に親バカの種は尽きないようで。

<終わり>
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