第23話 使い魔との契約
文字数 2,948文字
玄関扉にしがみついていた時間は、果たしてどれほどだったのか。
「レーヴェン……」
荷物を手に取り、力尽きたように歩き始めた。初めて訪れた時、この屋敷はまるでお化け屋敷のように見えたが、今では立派に生まれ変わっていた。荒れ果てていた庭には、テレサが手がけた花壇が広がり、まもなく色とりどりの花々が咲き誇ることだろう。
「咲くところ、見れなかったな」
大天使レーヴェンの像を横目に、弱々しい足取りで鉄門をくぐり抜けた。最後に一度、レーヴェンの部屋の方を見上げた。カーテンはまだ閉まったままだった。
「……さようなら、レーヴェン」
涙がこぼれそうになるのを我慢しながら、俺は長い一本道を下り続けた。途中で何度か振り返ることがあった。もしかしたら、そんな燈のような期待があったのかもしれない。
しかし、自分勝手な期待が、後になって押し寄せる失望を何倍にも膨らませた。まるで大津波のように、俺を飲み込んでいく。
「お兄ちゃん先生、今日は問診の日?」
フラフラと村にたどり着くと、ルーナがいつものように無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。彼女に慕われていることはとても嬉しいが、今はうまく微笑み返すことができない。
「どうしたの? どこか痛いの?」
隣にくっついて、心配そうに顔を覗き込まれた。泣きそうな表情をしていたので、この小さな女の子にまで心配させてしまったのだろう。
「あんたどうしたんだい?」
「あっ、おばちゃん、先生元気ないの」
どこの村にもいるであろう、世話好きなおばさん(村人A)の大声が村に響き渡ると、村人たちが角砂糖に群がるアリのように集まってきた。
「先生、あんた顔色悪いよ」
「ちゃんと飯食ってんのかい?」
「人の世話ばっか焼いて、自分の世話するの忘れちゃいけねぇぜ」
「ちょっ、ちょっとあんた、本当にどうしたのさ!?」
村人たちの優しさに触れて、堪えていた感情があふれ出てきた。晴れた空にもかかわらず、俺のいる場所だけがぽつぽつと雨に見舞われるかのようだった。
「うわぁああああああああああああああ」
雨は瞬く間に嵐へと激化した。俺は人前で涙を流すことを気にせず、初めての失恋の痛みに打ちひしがれた。好きな人ができて、一生に一度の告白をし、そして振られた。この失恋の痛みは、心に刺さるナイフのようなものだった。
「少しは落ち着いたかい?」
「……グスン」
俺は鼻をすする音と小さなうなずきで答えた。村人Aは気遣って家に連れてきてくれた。
恥ずかしさと申し訳無さ、そして混乱した感情に包まれて、俺は部屋の隅に丸くなっていた。
「ほら、そんなところで小さくなってないで、こっちに来て猪鍋でも食べな。どうせその様子だと、朝もろくに食べてないんだろ?」
俺は受け取った猪汁を食べ始めた。それは温かくて美味しかった。濃厚な肉の脂が食欲を刺激し、疲れた心と体に染みわたっていった。
「で、皇女殿下に振られて屋敷を追い出されて泣いてたってかい? あんた、本当にうちらの村を救ってくれたあの凛々しい医者かい。情けない」
「そんなにはっきり言うことないだろ」
「皇女殿下にもなるとお立場ってもんがあるんだろ? 第一、あんたの話を聞く限り、直接ごめんなさいって言われたわけじゃないんだろ?」
「まあ……そりゃそうだけど」
「それにね、こりゃあたしの勘だけど。皇女殿下は少なくともあんたを嫌いじゃないよ」
「なんでそんなことおばさんに分かるんだよ」
「おばさんだろうとあたしだって女さね。あの時のあんたを見る皇女殿下の目は、頼れる男を見る目だったってことさ。女はね、頼れる男が好きなのよ」
猪汁を豪快に啜りながら、おばさんはそれを食べたら皇女殿下に謝りに行ってこいと勧めるが、そんなことはできない。おばさんには要点を端折って伝えたため、俺が屋敷から追い出された真の理由を知らない。そしてこれから、レーヴェンが危険にさらされることも。
しかし、涙を流したおかげで、何かが一つ吹っ切れたようで、「泣いている場合じゃないよな」と奮い立つことができた。
「ありがとう、おばさん」
「何かあったらいつでも帰ってきな。先生のことなら皆大歓迎するよ」
ポセル村の人々に別れを告げ、俺は森に入っていった。おばさんはそう言ってくれたが、屋敷には帰れない。しかし、レーヴェンのことを放っておくわけにはいかない。
クラーク公爵かシュナイゼルか、どちらにせよ、彼らは必ずレーヴェンに対して何らかの行動を起こすだろう。
「俺がレーヴェンを守るんだ!」
たとえレーヴェンに想いが届かなかったとしても、俺は彼女に生きていてほしい。彼女が幸せになることを願っている。
「この辺りにするか」
俺は一旦、人気のない森の中に荷物を置いた。
「今日からしばらくの間、ここが俺の拠点だ」
敵がいつレーヴェンたちに襲撃してくるかわからないため、屋敷からあまり遠くに離れるわけにはいかない。村に留まることも考えたが、男としてのプライドが許さない。未練がましくポセル村に滞在している。そんな事がロレッタに知られたら、何を言われるか分かったものではない。
「森での籠城か。この感じ、久しぶりだな」
まずは籠城のための住居を作ることに決めた。土魔法を使って地面に大穴を掘り、横穴を掘って地下空間を作った。雨風が凌げればそれでいいだろう。次に木を切り、錬金術で棚やベッドを作って住居に運び込んだ。陶磁器で食器も作っておくことにした。
「これだけあれば、少しは人間らしい生活ができるだろ」
次に千里眼を発動させ、とある動物を二匹探し出す。
「いた!」
一匹目はレーヴェンと同じく美しい黒い毛並みの山猫だ。他にも三毛などの種類の猫がいたが、やはり美しい夜のような毛並みの山猫に惹かれた。
「にゃー」
「お前にするぞ」
俺は黒猫と使い魔の契約を結ぶことに決めた。
「我は汝、汝は我……己が信じた正義のため、あまねく冒涜を省みぬ者。魂 をもって汝を我がものとする!」
俺の魔力を少しだけ分け与えると、黒猫はカッと目を見開いて毛が逆立った。普段は何気ない黒猫が、魔力の波動を放っているかのようだった。猫の魔力とは思えないほどの魔力が、その体から噴き出ている。
「にぁを目覚めさせたのは御主人様だにゃ?」
「そうだ。お前は今日からブランキー」
「了解だにゃ」
「お前にはこれより重要な任務を与える」
俺はブランキーに魔力を抑え、普通の猫のふりをしてレーヴェンに近づくよう指示を出す。万が一の状況に備えて、彼女の近くには俺の使い魔、ブランキーを配置することにした。
ブランキーを送り出した後、俺は飛空魔法を使って空を飛ぶ。大空で旋回している立派な鷹を捕まえようとしたが、ふと大木に留まっている黒い鴉に目が引かれた。
「レーヴェンの色だ」
俺はどうしても、彼女を思い出させる黒に引かれてしまうようだ。俺はブランキー同様、鴉のクローとも使い魔契約を結ぶことに決めた。
「……」
「まずはセドリックという人間を探せ。そいつの動向を探るのだ」
「御意」
クローは無口な性格のようで、コクコクと頷いて飛び立ってしまった。使い魔とは魂で繋がっているため、脳内ビジョンの共有や肉体へのアクセスも可能だ。
「ここからレーヴェンを守ってみせるぞ!」
長い籠城のような戦いが始まる。
「レーヴェン……」
荷物を手に取り、力尽きたように歩き始めた。初めて訪れた時、この屋敷はまるでお化け屋敷のように見えたが、今では立派に生まれ変わっていた。荒れ果てていた庭には、テレサが手がけた花壇が広がり、まもなく色とりどりの花々が咲き誇ることだろう。
「咲くところ、見れなかったな」
大天使レーヴェンの像を横目に、弱々しい足取りで鉄門をくぐり抜けた。最後に一度、レーヴェンの部屋の方を見上げた。カーテンはまだ閉まったままだった。
「……さようなら、レーヴェン」
涙がこぼれそうになるのを我慢しながら、俺は長い一本道を下り続けた。途中で何度か振り返ることがあった。もしかしたら、そんな燈のような期待があったのかもしれない。
しかし、自分勝手な期待が、後になって押し寄せる失望を何倍にも膨らませた。まるで大津波のように、俺を飲み込んでいく。
「お兄ちゃん先生、今日は問診の日?」
フラフラと村にたどり着くと、ルーナがいつものように無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。彼女に慕われていることはとても嬉しいが、今はうまく微笑み返すことができない。
「どうしたの? どこか痛いの?」
隣にくっついて、心配そうに顔を覗き込まれた。泣きそうな表情をしていたので、この小さな女の子にまで心配させてしまったのだろう。
「あんたどうしたんだい?」
「あっ、おばちゃん、先生元気ないの」
どこの村にもいるであろう、世話好きなおばさん(村人A)の大声が村に響き渡ると、村人たちが角砂糖に群がるアリのように集まってきた。
「先生、あんた顔色悪いよ」
「ちゃんと飯食ってんのかい?」
「人の世話ばっか焼いて、自分の世話するの忘れちゃいけねぇぜ」
「ちょっ、ちょっとあんた、本当にどうしたのさ!?」
村人たちの優しさに触れて、堪えていた感情があふれ出てきた。晴れた空にもかかわらず、俺のいる場所だけがぽつぽつと雨に見舞われるかのようだった。
「うわぁああああああああああああああ」
雨は瞬く間に嵐へと激化した。俺は人前で涙を流すことを気にせず、初めての失恋の痛みに打ちひしがれた。好きな人ができて、一生に一度の告白をし、そして振られた。この失恋の痛みは、心に刺さるナイフのようなものだった。
「少しは落ち着いたかい?」
「……グスン」
俺は鼻をすする音と小さなうなずきで答えた。村人Aは気遣って家に連れてきてくれた。
恥ずかしさと申し訳無さ、そして混乱した感情に包まれて、俺は部屋の隅に丸くなっていた。
「ほら、そんなところで小さくなってないで、こっちに来て猪鍋でも食べな。どうせその様子だと、朝もろくに食べてないんだろ?」
俺は受け取った猪汁を食べ始めた。それは温かくて美味しかった。濃厚な肉の脂が食欲を刺激し、疲れた心と体に染みわたっていった。
「で、皇女殿下に振られて屋敷を追い出されて泣いてたってかい? あんた、本当にうちらの村を救ってくれたあの凛々しい医者かい。情けない」
「そんなにはっきり言うことないだろ」
「皇女殿下にもなるとお立場ってもんがあるんだろ? 第一、あんたの話を聞く限り、直接ごめんなさいって言われたわけじゃないんだろ?」
「まあ……そりゃそうだけど」
「それにね、こりゃあたしの勘だけど。皇女殿下は少なくともあんたを嫌いじゃないよ」
「なんでそんなことおばさんに分かるんだよ」
「おばさんだろうとあたしだって女さね。あの時のあんたを見る皇女殿下の目は、頼れる男を見る目だったってことさ。女はね、頼れる男が好きなのよ」
猪汁を豪快に啜りながら、おばさんはそれを食べたら皇女殿下に謝りに行ってこいと勧めるが、そんなことはできない。おばさんには要点を端折って伝えたため、俺が屋敷から追い出された真の理由を知らない。そしてこれから、レーヴェンが危険にさらされることも。
しかし、涙を流したおかげで、何かが一つ吹っ切れたようで、「泣いている場合じゃないよな」と奮い立つことができた。
「ありがとう、おばさん」
「何かあったらいつでも帰ってきな。先生のことなら皆大歓迎するよ」
ポセル村の人々に別れを告げ、俺は森に入っていった。おばさんはそう言ってくれたが、屋敷には帰れない。しかし、レーヴェンのことを放っておくわけにはいかない。
クラーク公爵かシュナイゼルか、どちらにせよ、彼らは必ずレーヴェンに対して何らかの行動を起こすだろう。
「俺がレーヴェンを守るんだ!」
たとえレーヴェンに想いが届かなかったとしても、俺は彼女に生きていてほしい。彼女が幸せになることを願っている。
「この辺りにするか」
俺は一旦、人気のない森の中に荷物を置いた。
「今日からしばらくの間、ここが俺の拠点だ」
敵がいつレーヴェンたちに襲撃してくるかわからないため、屋敷からあまり遠くに離れるわけにはいかない。村に留まることも考えたが、男としてのプライドが許さない。未練がましくポセル村に滞在している。そんな事がロレッタに知られたら、何を言われるか分かったものではない。
「森での籠城か。この感じ、久しぶりだな」
まずは籠城のための住居を作ることに決めた。土魔法を使って地面に大穴を掘り、横穴を掘って地下空間を作った。雨風が凌げればそれでいいだろう。次に木を切り、錬金術で棚やベッドを作って住居に運び込んだ。陶磁器で食器も作っておくことにした。
「これだけあれば、少しは人間らしい生活ができるだろ」
次に千里眼を発動させ、とある動物を二匹探し出す。
「いた!」
一匹目はレーヴェンと同じく美しい黒い毛並みの山猫だ。他にも三毛などの種類の猫がいたが、やはり美しい夜のような毛並みの山猫に惹かれた。
「にゃー」
「お前にするぞ」
俺は黒猫と使い魔の契約を結ぶことに決めた。
「我は汝、汝は我……己が信じた正義のため、あまねく冒涜を省みぬ者。
俺の魔力を少しだけ分け与えると、黒猫はカッと目を見開いて毛が逆立った。普段は何気ない黒猫が、魔力の波動を放っているかのようだった。猫の魔力とは思えないほどの魔力が、その体から噴き出ている。
「にぁを目覚めさせたのは御主人様だにゃ?」
「そうだ。お前は今日からブランキー」
「了解だにゃ」
「お前にはこれより重要な任務を与える」
俺はブランキーに魔力を抑え、普通の猫のふりをしてレーヴェンに近づくよう指示を出す。万が一の状況に備えて、彼女の近くには俺の使い魔、ブランキーを配置することにした。
ブランキーを送り出した後、俺は飛空魔法を使って空を飛ぶ。大空で旋回している立派な鷹を捕まえようとしたが、ふと大木に留まっている黒い鴉に目が引かれた。
「レーヴェンの色だ」
俺はどうしても、彼女を思い出させる黒に引かれてしまうようだ。俺はブランキー同様、鴉のクローとも使い魔契約を結ぶことに決めた。
「……」
「まずはセドリックという人間を探せ。そいつの動向を探るのだ」
「御意」
クローは無口な性格のようで、コクコクと頷いて飛び立ってしまった。使い魔とは魂で繋がっているため、脳内ビジョンの共有や肉体へのアクセスも可能だ。
「ここからレーヴェンを守ってみせるぞ!」
長い籠城のような戦いが始まる。