渋滞

文字数 2,095文字

「いってらっしゃい」
 僕は新婚の妻の笑顔に見送られて、いつも通りに家を出た。スイスの豊かな自然の中にある我が家は、二人ともとても気に入っている。オフィスはニューヨークにあり、準光速船に乗ると渋滞がなければ数秒の距離だが、地球空間はいつも渋滞しているため三十分はかかってしまう……。

 一日の仕事をほぼ終えた頃、僕は上司から呼ばれた。
「転勤の辞令が出た。場所はゴロン星だ。赴任日は一年後だ」
 ゴロン星は、地球からだと準光速船で一年程度かかる距離にある。
「分かりました」
 僕は素直に返事をした。サラリーマンである以上、転勤を断ることはできない。僕の会社では地球勤務の社員は一割程度であり、他は太陽系内や太陽系外の星のオフィスで働いている。ゴロン星は太陽系の外だが、住環境も良いという。

 僕は夕方スイスの自宅に帰り、笑顔で迎えてくれた妻に言った。
「今日、転勤を命じられた」
「え? どこに?」
「ゴロン星だ」
「まあ、良かった。比較的近い所ね」

 出発の日が来た。移動手段は準光速船だが、一年間その中で生活をすることができる建物型だ。サッカーコートほどの広さがあり、その中に一軒家とテニスコートとプールと散歩ができる林がある。林の中にはロボットの小鳥がいてさえずりを聞くこともできる。準光速船の天井は高さ二十メートルほどあり、人工太陽光で昼夜の区別が自動的に行なわれ、時々雨を降らすことも可能だ。
 また、僕らの世話をしてくれる人工知能ロボットが三台同乗しており、移動にかかる一年間はゆっくりとくつろぐことができる。

 地球を飛び立つとあっという間に真っ暗な宇宙空間になった。
「今日の夕食のメニューはこちらです」
 執事の恰好をしたロボットが僕らに声をかけた。
 妻はメニューを見ながら言った。
「まあ、豪華なメニューね」
「はい、今日は出発の日ですから、特別メニューをご用意してあります」

 地球を出発して三か月ほど経った頃、ロボットが僕らに言った。
「宇宙ハイウエーで事故が発生し、ここから先は渋滞しているようです」
「そうか……それはアンラッキーだな」
 宇宙空間は無限に広いため、迷子にならないように目には見えない宇宙ハイウエーという通り道が整備されており、そこで事故が起きると渋滞が生じることになる。
「ゴロン星への到着が一年ほど遅れるかもしれません」
「そうか、しょうがないな」
 食料は船内で自動生産されるので、渋滞が生じて到着の時間が遅れても何の問題もない。
 僕らは焦らずに渋滞の中での暮らしを続けた。

 半年後、ロボットが告げた。
「事故処理は終わったようですが、宇宙ハイウエーの補修工事が始まり、さらに渋滞が長引くようです」
「どれくらい?」
「到着はさらに二年ほど遅れそうです」
「仕方がないな」
 僕らは焦らずに渋滞の中での暮らしを続けた。

 地球を出発して一年後。可愛い男の子が誕生した。子どもができるとまた楽しみも増えるが、苦労も時にはある。子どもが夜間に急に熱を出し、ロボットの医者に診てもらうこともある。

 ある日、ロボットが僕らに告げた。
「電磁波嵐が発生して、宇宙ハイウエーが通行止めになりました。嵐が収まった後で異常がないか点検を行うため、大渋滞となり到着がさらに遅れることになります」
「分かった。どれくらい?」
「おそらく、早くて五年、もしかするとそれ以上かもしれません」
「分かった……」

 子どもは三歳になり幼稚園に入園した。幼稚園と言っても、先生役のロボットが一台いるだけだが、そのロボットは様々な能力を持っているので、子どもを飽きさせることなく、体と心の成長に最適の指導と教育をしてくれるので、僕らは安心だ。
 僕らも、テニスやプールや散歩や読書や映画鑑賞だけでは飽きてしまっていたので、ロボットを相手に様々なことをやっている。
 僕は時々、ゴロン星での仕事を想定して、ビジネスプランをロボットを相手に議論している。妻は日本画に興味を持ち、先生役のロボットの指導を受けながら日本画を描いている。


「ゴロン星に到着しました。お疲れさまでした」
「いろいろと世話になったね、ありがとう」
 僕ら三人は、ロボットたちに礼を言って準光速船を降りた。
「お父さん、良さそうなところですね」
 二十歳で大学生の息子はしっかりとした口調で言った。
 出迎えの者が僕らに声をかけてきた。
「部長、長旅お疲れさまでした」
「出迎えありがとう」
 僕は主任の肩書で地球を出発したが、今は部長だ。僕が準光速船の中で立てたビジネスプランは光速通信でゴロン星のオフィスに送られて、すでに実行に移され成功していたのだ。

 到着した日の翌日出社すると、地球本社から連絡が入った。
「地球本社の企画部に転勤になったので、戻ってきてほしい」
「はい、分かりました」
 僕は素直に返事をした。サラリーマンである以上、転勤を断ることはできない。それに、地球本社に戻れるのは栄転ということだろう。
 帰り道は渋滞がなければいいのだが……。


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