暎蓮の稽古

エピソード文字数 4,277文字

 暎蓮は、扇賢に、『破邪の懐剣』を持って、闘技場に来るように言われ、借り受けた客室から、女官に案内されて、以前も滞在したことのある、『月沃国』の来賓用王宮である『華道宮(かどうきゅう)』内を歩いていた。
 彼女の格好は、国を出た時のままの、長い巻き毛が腰までを覆う、独特に結い上げられた髪と、ベージュ色の、丈の長い『斎姫』専用の衣装だった。両手は胸の前で、『破邪の懐剣』一本を握りしめていた。
 ……どう考えても、それは、戦いにふさわしくない格好だった。黒い巻き毛が耳の後ろで揺れ、衣装の足元は、下手をすれば裾を踏んで転びかねない。
 暎蓮は、不安でいっぱいだった。
 『華道宮』から出て、別の王宮に入るための通路を歩き、しばらくすると、鉄筋の作りの宮殿についた。門を入り、また歩く。少しすると、女官は、廊下の途中、まるで桃を横から見たような形の、大きな入口のある部屋の前で足を止めた。
「……姫様、こちらが、この『錬道宮(れんどうきゅう)』の闘技場でございます」
 女官はそう言うと、その入り口前で、暎蓮に一礼して、下がっていった。
 暎蓮は、入り口わきで、入ってもいいものかと迷っていたが、中から、先に来ていたらしい扇賢が、彼女を見つけ、声をかけてきた。
「来たな、暎蓮。……こっちへ来い」
「はい……」
 暎蓮は、緊張しながら、ゆっくりと闘技場の中に入った。中を見回す。
 闘技場は、天井が高く、たくさんの武具が並んだ棚などが置いてあり、『玉雲国』の王宮の、扇賢の稽古場に似た感じではあったが、別の国ということもあり、細部はやはり違っている。扇賢の稽古場は、地面が土だが、この闘技場は、石造りの床だ。それが、きれいに磨き上げられて、光っている。
 扇賢は、自分の客室で着替えてきたらしく、いつもの、煮しめたようなグレイの稽古着姿で、稽古の場だからでもあるのだろう、相変わらず沓も脱ぎ、はだしだった。手には、一の太刀、『丹水』を握っている。
 暎蓮は、恐る恐る扇賢に声をかけた。
「あのう、扇賢様」
「なんだ?」
 首の後ろで、『丹水』の鞘を横にして、それに両手をひっかけながら、扇賢はいつものように、軽い調子で答えた。
 暎蓮は、その、ちっとも気負っていない彼の姿に、ますます不安が募り、尋ねてみた。
「私に、武術を教えるというのは、本当なのですか?」
「もちろん、本当だ。しかも、たった一日でな」
 扇賢は、当たり前のように言った。
 暎蓮は、逃げ出す言い訳をするような調子で、小さい声で、わずかに抵抗を試みた。
「私には、全く、その素養はないと思うのですが……」
「暎蓮」
 それを聞いた扇賢は、首の後ろから『丹水』をはずし、その鞘を腰に差した。
 彼は、刀の切っ先が彼女に届かないよう、暎蓮から少し離れた。
 そのまま、緩やかな動きで、刀身を抜きながら、言う。
「……武術とは、ただ格闘するだけのものではない。本質は、『気』と『気』とのぶつかりあいだ。肉体面での技術も必要かもしれないが、より大いなる『気』を持つ者のほうが、勝てる確率は高い」
 扇賢は、彼女の前で、『丹水』を両手で握って、腰を落とし、正眼に構えた。
 そして、その太刀筋を確かめるように、ゆっくりと『型』を演じてみせた。
「ましてやお前には……」 
 自身の頭の上で、ゆっくりと刀身を回して、引きつづき演武を先へ進めながら、扇賢は言う。
「……『斎姫』という職業柄、人より大いなる『気』、しかも『神気』を持つという強みがある。そして、それを、その『破邪の懐剣』に込められれば……」
 暎蓮は、扇賢の、まるで舞うかのような美しい演武に見とれて、彼の言葉が耳に入らなかった。
 そこへ、突然、扇賢の身に向かって、鋭い小刀が数本飛んできた。扇賢は、素早く腰から『丹水』の鞘を外して、それを大きく振り、小刀すべてを地面に叩き落とした。
 暎蓮は、一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、地面に転がる小刀を見て、ぎょっとした。
 扇賢の、相変わらずのさすがの反射神経に驚いたが、扇賢はそれには構わず、片手に鞘を持ったまま、暎蓮に向かって話をつづけた。
「……人にも魔物にも、充分に勝てる要因はある。……おい、会話中だぞ」
 彼の最後の言葉は、暎蓮に向けられたものではなかった。暎蓮が、そこで初めて、はっとして、振り返る。
 扇賢は話を中断させられたことに、ため息をつきつつ、小刀を投げてきた王音を軽く睨んだ。
「いついかなる時も、『武術家』は、油断せぬものです」
 闘技場の入り口に立つ王音は、艶のある黒くて長い髪は、頭の上にまとめあげ、珥も瓔珞も、扇情的な衣服も外し、扇賢と同じ稽古着姿で、男装していた。しかし、その姿に対して、化粧をしているわけでもないのに艶やかな唇が、却って、彼女の魅力を増していた。
 左手には、扇賢から奪った『散華』を握っている。右手には、まだ小刀も数本握っていた。
 いかに稽古とはいえ、『不意打ち』が好きな女だった。扇賢の、小刀の技も、この女から学んだものなのだろう。
 王音の影に隠れるようにしながら、彪も立っていた。……彼らも、闘技場に足を踏み入れてくる。
「……私は、この格好のままでよろしいのでしょうか?」
 暎蓮は、扇賢と、王音の姿も見て、この場にそぐわない自分の格好が気になって、尋ねてみた。
 扇賢は、言った。
「暎蓮。お前の強みは、『斎姫』である『聖なる気』と、『天帝』からの加護を強く受けている『神気』の持ち主でもあるということだ。わかるか?……つまり、この格好が、お前自身の『鎧』であり、……『武闘着』なんだ」
「…………」
 戸惑う暎蓮の瞳を覗き込んで、扇賢は言った。
「大丈夫だ、暎蓮。『斎姫』であるお前の力は強大だ。しかも、甦家は代々『神気』を持つ『巫覡』を輩出する家柄。その中での最高位に立つお前なら、必ずできる」
 扇賢は、話を改めた。
「まず、実践だ。『気』の込め方は、体で覚えるのが一番だ。……お前、子供の頃、『斎姫』としての修行で、『結界の術』を学んできただろう」
「は、はい」
「基本は、あれだ。……懐剣を抜け、暎蓮」
 暎蓮は、剣を抜くと、しゃがみ、鞘を足元の床に置いた。それを見た扇賢が、
「暎蓮。鞘は、いつでも手が届くところに置いておけ。鞘で勝つ技も、ないとは言えない」
 と言った。……これは、彼の実体験でもあった。
 暎蓮は、あわてて鞘を拾い上げ、……迷った末、鞘を懐にしまった。
「はい……」
「うん」
 扇賢は、うなずくと、
「じゃあ、『結界』を張ってみろ」
 暎蓮は、懐剣の柄を両手で握り、目を閉じた。
 言われたとおりに、『結界の術』を使う。一瞬の後に、自身の周りに、見えない壁ができて、この清浄な月沃城の『気』でも、人間がいる限り完全には払拭できない、『邪気』や『邪念』のかけらが、身の回りから途絶え、澄み切った空気だけに身を包まれる。
 彪は、少し離れたところにいたが、その彼女から発せられる清浄な『気』に、同じ『巫覡』である自分の身の回りも心地よくなるのを、敏感に感じた。
(すごく、気持ちがいい。まるで、こっちにも『力』が流れ込んでくるみたいだ。……『神気』の威力って、やっぱりすごいや)
 彼は、そんなことを考えた。
 しかし、扇賢は、自らの『神気』を使って、あっさり暎蓮の張った『結界術』に手を突っ込み、彼女の片手首をつかんで、自分の近くに彼女を体ごと引き寄せた。
 その行為に、暎蓮は目を開け、甲高い悲鳴を上げた。……彼女の『結界術』が一気に途絶える。
「……久々に聞いたな、その、俺をあからさまに怖がる悲鳴……」
 扇賢が苦笑して、暎蓮の手を放す。暎蓮が飛び退くようにして、素早く後ろに下がり、彼から離れた。
 ……たとえ、相手が、結婚した扇賢であったとしても、男とのいきなりの接触は、まだだめなようだった。
 その彼女の反応に、少なからずショックを受けている扇賢の後ろで、王音がふふ、と、おかしそうに笑っているのが聞こえる。
「天下の扇賢様も、愛らしいお妃様の前では、形無しですわね」
 扇賢は、恥ずかしさで、顔を真っ赤にして、言った。
「うるさいな。俺のことは、放っておけ」
 王音は、なおも笑うのをやめない。笑い過ぎで涙がこぼれるのだろう、美しい指で、切れ長の瞳の目尻をぬぐっている。彪は、夫婦であるはずの二人の、今のやり取りに、思わずぽかんとしていた。
 扇賢はそれらを見て、仏頂面になったが、今はそれどころではないと思い直し、顔を赤くしたまま、改めて暎蓮に向き直って、言った。
「この、『邪気』を避けるためだけの『結界術』のままじゃ、相手が『邪気』を消して、肉弾戦に持ち込もうとしてきたら、今のように、勝ち目はないだろう?……魔物というのは、『邪気』を消す手段も持ちうる場合があるようだからな。……暎蓮、懐剣に『神気』を込めて、もう一度『結界術』を張ってみろ。全身から、『神気』を集めて、懐剣に集中させろ。そうすれば、物理的な攻撃も防ぐことができるようになるはずだ。……いいか、想像だ。全身を巡る『気』の流れを想像するんだ。その流れさえつかめれば、お前にも勝機は必ずある」
 暎蓮は、言われたとおりに、想像した。もう一度、両手で懐剣を握り、目を閉じる。
「心を澄ませろ。『神気』だけを懐剣に通すんだ。一切のものに自分を触れさせるな」
 扇賢の声が聞こえる。
 暎蓮は、集中した。体の周りに、今までとは違う力の動きが感じられる。頭やつま先から、『気』が巡ってくるのがわかる。 
 ……これを、『破邪の懐剣』に、乗せる……!
「王音!」
 扇賢の声で、暎蓮は目を開けた。王音が、自分に向けて、小刀を投げたのがわかった。暎蓮は、もう一度、とっさに目をつぶりながら、懐剣に『気』を集中させた。
「…………!」
 キン、と音をさせて、小刀が数本地面に落ちた。暎蓮はその音で目を開けた。
 扇賢が、『丹水』で、小刀を払い落とした音だった。……彼女の『結界』は、強化されていなかったようだった。
「……暎蓮。込めるのは『力』ではなくて『気』だ。まだ『神気』が弱い。もう一度だ。小刀をはじけるようになるまで。剣を構えるだけで意識せずに、条件反射で『気』を込められるようになるまで、つづけるぞ。……次!」
 暎蓮は、再び、目を閉じた。『気』が体を巡る。
 王音が小刀を投げる気配を感じた。
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登場人物紹介

桐 扇賢(とう せんけん)

十七歳。『玉雲国』国王にして、『天帝の御使い』、『五彩の虎』の性を持つ。

普段はがさつだが、武術と芸術には強い。単純な性格だが、恨みをあとに引きずらない。生涯の女性は暎蓮ただ一人と決めている。愛刀は『丹水(たんすい)』。

甦 暎蓮(そ えいれん)

二十四歳。扇賢の年上の妃で、『玉雲国』の『斎姫』も務める。扇賢に一途な愛を注ぐ。『傾国の斎姫』と呼ばれるほどの美貌で、狙われやすい存在。使う武器は、『破邪の懐剣』。

白点 彪(はくてん ひゅう)

十三歳。

街の『巫覡』であり、また『術者』。扇賢の街での弟分。温和な性格だが、戦いでは後には退かない。

暎蓮に生まれて初めての恋をする。

関 王音(せき おういん)

二十代後半。

扇賢のもと・武術の師で、『天地界』中に名を知られた武術家でもある。普段は扇情的な美貌とプロポーションを持った妖艶な女。だが、さっぱりした性格なので、過剰な色気はない。

扇賢から奪った愛刀、『散華(さんげ)』を持つ。夫、子供有。


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