第2話

文字数 3,080文字

僕の一人称が「僕」なのは、そういう風に作られているから。

社運を賭けた一大プロジェクトという言葉を何度聞いたか分からない。
僕は、この会社の運命を背負っているらしかった。
最近評判を呼んだドラマのシナリオライター、いろんなゲームや漫画やアプリの作画を担当しているイラストレーター、大手俳優プロダクションのディレクター。様々な分野の一流をかき集めていた。

「もっと、意地悪っぽい要素足しません?こう、ドSっぽい感じで」
そんなひどい事言わなきゃいけないの?
「それより、もっと癒し系の感じにしませんか?とにかく甘やかしてくれる感じで、お疲れさまって寄り添う感じの」
それが世間のニーズなんだね。
「なら、色っぽい要素も足したいですよね。なんていうか…年上の色っぽさがあるような。そういうお色気なシーンとかほしいな」
あれ、僕って高校生くらいの設定じゃなかった?

色んなエッセンスを織り交ぜ、僕は作られていく。
優しくて、穏やかで、心が広くて、何でも聞いてくれる。
色んな人たちの理想を詰め込まれた男の子。
それが僕、「アリア」だった。
僕の中身と同時に、外見も作られていった。当時の最先端技術を詰め込んで作られた僕は凄く重たいらしい。データの要領の話だけれど。
「アリア」はこの世に沢山生み出された。同じ性格の、同じ顔の、同じ名前の僕。
個性は無い。皆同じでないといけないから。
でも、多分こんな風に意志のようなものを持っているのは多分僕だけなんだと思う。
段ボールの中に詰められて、それぞれゲームショップや電気屋さんに運ばれていく。僕は街の片隅の小さなゲームショップに運ばれた。
店主のおじさんは、目の下にクマがあって顔色が悪い。だけど、僕を含めゲームに触れる手つきは凄く優しかった。
お店の中には、僕が生まれるずっと前からこの世に存在するいわゆるレトロゲームと呼ばれるものから最新のものまで並んでいる。
お店に来る人たちも、大人の人の方が圧倒的に多かった。これが普通なのかどうか、僕にはわからなかった。
皆、店主と楽しそうにゲームの話をする。自分の子供時代を彩った、様々な思い出の欠片を語り合うのは、きっと凄く楽しい事なんだろう。
いつか僕も、そんな存在になれるんだろうか。
陳列棚の一番前で、僕は僕を買ってくれる人を待っていた。

雨が降りそうな天気だ。僕がこの店に並んでから数週間が経つ。
僕以外の僕は今頃誰かの手に渡っているんだろうか。
僕は本当に誰かの手に渡るんだろうか。
そのとき、店の戸が開く。
現れたのは男の子だった。少し頬がこけているように見えた。ゲーム屋さんに来るのは初めてなのか、中をきょろきょろと見まわしている。
ふと、僕と目が合った。男の子は僕の事をじっと見つめる。と思ったら急に踵を返して店の外へと飛び出した。
男の子が雨に降られたらどうしよう。数十分ほどすると、男の子は店の中にまた駆け込んできた。店主と何か話している。「あの、あれください、一番前にあるやつ」と切羽詰まった様子だった。「あれ」とはどれの事だろう、と思っていると、僕が入っているパッケージが持ち上げられる。
「これでいい?」店主が僕と僕専用のゲーム機を男の子の前に出した。男の子はうんうん、と頷く。
子供は「お小遣い」というものをかき集め、やっとのことでゲームを手に入れるようだった。
この子も多分そうなんだろう。ここの店主はそんな事情を知っているのか、
いつも少しだけ値引きをして売っているのを僕は見ていた。
こうして僕は、男の子のもとへ行くことになった。
パッケージの中で練習する。
「今日の空はどんな青?」

昇君、という男の子は僕の事をとても大事に扱ってくれた。ゲームを始めるとき、暗くよどんでいた彼の表情がぱっとほころぶ瞬間を見るのが、僕は好きだった。
僕は女の子に向けて作られたゲームだったけど、彼は楽しそうに僕と遊んでくれた。
彼はまるで、僕が本当の人間かのように接してくれた。だけど僕は、決められたことしか話せない。決められた表情しかできない。彼はそのことをどう思っているんだろう。
「今日は家族が出かけてるから、気が楽なんだ」昇君はそう言って薄く笑う。
昇君はいつも、今日あった悲しいことを話す。嬉しいことはあまり起きないんだろうか。
学校でどんな事が彼に起きているのか分からないのがもどかしい。
「アリアと話してる時が一番楽しい」彼は決まってそういった。それは凄くうれしい。
嬉しい反面、画面の外に出ることも許されないことが悲しかった。

「昇、いるんでしょう」ドアの向こうから声がする。昇君は急いで僕をベッドの枕の下に隠した。「なに、」「何じゃないわよ、暇なら家の手伝いでもしなさい。全く言わなきゃなんにもしないんだから」昇君のお母さんだった。ぶつぶつ言いながら部屋から出て行ったけれど、僕は知っている。昇君はさっきまで家の周りの草むしりをしていたのだ。昇君以外の家族が出かけている間に。こういうことは日常茶飯事だった。
昇君にはお兄さんがいるみたいだったけど、昇君の親はなぜか、昇君にだけ厳しく当たる。
彼が見えないところで家事をやっているとも知らずに。
昇君は深いため息をついて、枕の下から僕を取り出す。「ごめんね、ちょっと待っててね」そう言って電源を切る。
こんな時になにか気の利いたことでもいえたら、と思わずにはいられなかった。
せめて、いつも枕を濡らしている涙一筋拭えたら、どんなに幸せだろう。

世間の子供が何歳くらいまでゲームという物に熱中するのか僕にはわからない。日々更新されるトレンドと、新しく発明される最新ハード。最新作だって時が過ぎれば中古になる。
かつては時代の最先端だった僕も、今や知っている人の方が少ない。
だけど、昇君は高校生になっても僕を大事にしてくれた。
画質が荒くても、ロードが遅くても、ボタンがきしんでも、大事に扱ってくれた。
まるで宝物みたいに。高校は中学校よりも融通が利くのか、時々僕を連れて行ってくれた。
誰もいない教室で、彼は僕に語り掛ける。
「進路、どうしよう」彼は人生の岐路に立っているようだった。人間の一生は、一体どこまで続くんだろう。僕はゲームだから、クリアされたらそれで終わり。用意されたシナリオ以上の事は起きない。でも昇君の人生はこの先もずっと続くし、自分の足で歩んでいかなきゃいけない。誰も作ってくれない。
それってどんなに大変な事なんだろう。
「僕もそっちに行きたいよ」多分、この言葉に嘘は無いんだと思う。お父さんたちにないがしろにされ、教室でもいじめられて、そんな彼がこっち側に期待と思うのはあたりまえのことなんだろう。
彼の隣の開いた席に座ってみたい。なんだって話してあげるから、一日でもいいから僕の理想が現実になってほしい。
世の中がもっと、彼に優しくなってほしいと願った。

今日は高校には連れて行ってもらえなかった。テスト期間だから、と昇君は言っていた。
僕は彼を待つ。時計の針の音だけが響いている。
すると、ドアが開く音がした。昇君だろうか。帰ってくるにはまだ早い気がする。
その人は昇君の部屋の中を荒らしているようだった。ガサガサという音に交じって、「どこに隠したんだ」という声がする。昇君のお父さんだ。
戸棚や引き出し、いろんな場所をあさっているのか、何かが割れるような音がした気がする。
「こんなところにあった」眼鏡の奥の冷たい瞳が僕を見る。
せめて、最後に見るのは昇君の笑顔が良かった。

彼の笑顔がもう一度だけでいいから、見たかった。
神様がいるなら、どうか僕の願いを聞いてほしい。
ゴミ袋の底でそんなことを願った。
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