第1話

文字数 1,984文字

「おい、聞いたか?」
「ああ、聞いたよ。営業時間延長の件だろ? 全く、俺たちのことを何だと思っているんだろうな」
「お前、それにしては冷静だな。受け入れるのか? 吾輩は嫌だぞ」
 吾輩と名乗るオスが左右のフリッパーを動かして怒りを露わにした。しかしこのような場合、落ち着いて考えた上で行動をとらなければ負けだ。俺は彼を煽らぬよう細心の注意を払いながら話を繋いだ。
「もちろん俺もやりたくない。しかしお客様を増やさないと、俺たちの生活も危ない。そうすると残業も仕方ない」
「何だお前、人間の味方をするのか? これだから水族館生まれは……」
 冷静を装ってきた俺だが、この言葉にはカチンと来てしまった。
「何だよ、それは関係ない。ただ、水族館で生きていくしかないのは、お前も同じだろう」
 それを聞いたオウサマペンギンのオスは黄色い首筋をプルッと震わせ、悔しそうに足を踏み鳴らした。今では日本の水族館で生まれ育つ仲間が多いが、このオウサマペンギンは日本の船に南極で紛れ込んでしまった。その後この水族館に贈られて来た。プライドは高いが、ショータイムなどでは足手まといになることがあるのも事実だ。正直なところウマが合わないのだが、このような状況ではこいつとも協力せねばならない。
「だから俺は、今回の残業は受け入れる。でも、水族館側に要求をするんだ」
「どんな?」
「いいか、まずパレードだが、そもそも何でやらなきゃならない?」
「展示室からショー会場への移動だよな?」
「この水族館ではそうなっている。戻るときも含め、午前午後の二回だ。でもそもそも、北の方にある動物園では冬の間だけ、運動不足解消のため一日一回だった」
「ええっ?」
「つまり俺たちは、よそに比べて既に仕事量が多いんだ。だいたい哺乳類と一緒にショーに出るのだって、結構キツイだろう」
 芸が得意ではなく餌を減らされることがしばしばあるオウサマペンギンにはやや刺激的な言葉かと思ったが、そこはスルーされたようだ。
「うちの発想で行くと、もう一回パレードをやるとなればやはり往復。あるいはコースを替えての周回。さすがに一回十分の枠が長くなることはないだろうけども、これはやっぱりひどい。人間には労働時間に上限があるという。それで仕事帰りに水族館を見て回る暇ができてしまうんだろう。で、こっちにとばっちりさ」
 このオウサマペンギンも、黙って考え始めた。俺はその思考を邪魔しないよう間を取りながらゆっくりと話を続けた。
「だから人間みたいに、勤務を分けさせろと要求するんだ。パレードはお前らオウサマ、俺たちケープ、そして冠羽がきれいなミナミイワトビの三種、ヒナを除いた十九羽全員でやっているけど、これを分けて交替勤務にしてもらう」
「交替勤務? ああ、そういえば飼育員も毎日同じじゃないもんな。吾輩はミホさんに毎日会いたいのに」
 そういえばこいつは、ミホさんが入ってくるとすぐに近寄っていく。そして変な鳴き声を出すのだった。
「なるほど、それはいいな。ショーに全員が出る訳でもないのに、パレードを全員でやらされるのは不満だったし。完全オフの日も欲しいよな」
 オウサマペンギンは、そう言って大きく頷いた。俺たちが展示室であまり体を動かさないのは事実だ。なのでパレードは我々の運動という点ではやはり意味がある。完全オフは止めたほうがいいと思ったが、これは黙っておいた。
「で、ケープペンギンの旦那よ。どうやって人間様にそれを訴えるんだ?」
 もちろん俺もそれをずっと考えていた。言葉が通じない以上、何らかの態度で示す他はないだろう。過重労働の分かりやすい帰結は、体を壊すことだ。幸いどのペンギンもここまで元気で過ごしていた。ということは、仮病を使うことになるのだろうか。いや、全員で騒いだり、仕事を放棄してもいいのかもしれない。より良い環境を求めて脱走することも有りだろう。オウサマペンギンには、正直に話をした。むしろ知恵を出して欲しかった。
「そうだな。その中なら吾輩は脱走して南極に帰りたい」
 遠くを見つめて静かに呟いた。だが船にも乗らずに帰れるなんて、彼も思ってはいないだろう。
「それは無いだろうから、仮病が手っ取り早いかな。全員がダラダラと過ごすんだ」
 俺がそう言うと、オウサマペンギンは急に胸板を反り返らせ叫び出した。
「いや、それはプライドが許さん。お前らのような小型ペンギンはこれだから……」
 体長九十センチはあるオウサマペンギンに威嚇されると、七十センチに満たない俺たちは黙る他ない。俺たちケープペンギンは中型だが、これも黙っておこう。まずは俺たちの団結が必要なのだった。そういえば、言葉が通じない相手には念力を用いるのだと人間が言っていた。であれば……俺はふと思った。であれば、オウサマペンギンの協力がなくても、直接人間に念ずればいいのかもしれない。
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