文字数 2,989文字

(いいなぁ……ああ言う夫婦って……)
 丁寧に礼を言ってくれて、仲良さそうにショップを後にした客を見送ってそう思った。
 携帯の機種変更にやって来たご夫婦、そもそもの馴れ初めが「呼び出し電話」だったと言うんだ。
 俺は『呼び出し電話』の意味がわからなくて尋ねてみると、お二人の馴れ初めに関わる話になった、各々が携帯を持っている今では起こりっこないロマンティックな話、携帯ショップの店員をしている俺でも携帯がなかった時代ってのもいいものだな、なんて思ってしまったくらいさ。
 そして、奥さんが着信メロディを『メモリーズ・オブ・ユー』という曲にして欲しいと言うので探してあげることにした。
 最近のポップスならばすぐにいくらでも見つかるんだけど、その曲はかなり古いジャズナンバー、中々見つからなかったが、有料サイトを使っても構わないからというので、ちょっと頑張って探してみた、そしてその間に今度はその曲にまつわる思い出話を聞かせてもらったんだ。
 ご主人の方は照れくさそうに笑いながら聞いているだけだったけど、奥さんの方は少し恥ずかしそうにしながらも楽しそうに話してくれた、ご主人は50代半ばといったところ、奥さんも同じくらいに見えたが、話の内容からするとかなり年上らしい、でも時々ご主人のほうをちらちらと見ながら、懐かしそうに、そして夢見るように話す様子は初々しささえ感じられて、いい感じのご夫婦だなぁって思ったわけなんだ。

「これでいかがでしょう?」
 本来はクラリネットの曲だと言うのだけど、見つかったのはオルゴールのバージョンだけ、でも奥さんはとても嬉しそうにしてくれた。
「素敵、すごくいいわ、ありがとう、ずいぶんとお時間取らせちゃったわね」
「いいえ、そんなに喜んでいただけるならお安い御用です、他には何か?」
「俺のも同じ着信音にするのは大変かな?」
「いえ、すぐ出来ますよ、曲を探すのに時間がかかっただけですから」
「じゃ、悪いけどそうしてもらえるかな?」
「あなた、私と同じでいいの?」
「二人のが同時に鳴るってこともないだろう?」
「そうね、携帯電話は色違いでおそろい、着信音もおそろいね」
「今更おそろいを喜ぶか?」
「あら、私は嬉しいわよ」
 ご主人は笑っているだけだったが、わざわざおそろいの着信音にしたいと言い出したのはご主人の方だ、こんな楽しい用事なら本当にお安い御用だ。

 5~60代のご夫婦と言うのは「仲が良い」と言っても大抵はお互い空気のような存在になっているだけのように見える。
 だけど、このご夫婦に関して言えばまだ恋人同士だった頃の名残を留めているように感じたんだ。
 そして、そのお二人の思い出の曲が『メモリーズ・オブ・ユー』。
 骨董品と言うのは品物の良し悪しだけじゃなくてその品物にまつわる物語があると余計に価値が付くと聞いたことがあるけど、音楽も同じかもしれない。
 1930年に作曲されたと言うが、優しくてちょっと切ない感じの美しいメロディは平成生まれの俺のハートにもじんわりと沁みたんだ。


 付き合い始めたばかりの彼女とデートしている時に携帯が鳴った、電話は友人からのたあいのない用件ですぐ済んだんだけど、彼女は着信音に興味を持ったようだ。
「着信音変えたの?」
「うん、お客さんでこのメロディにしたいって人がいてね、俺も気に入ったんでこれに変えたんだ」
「なんて言う曲?」
「『メモリーズ・オブ・ユー』、1950年代にベニー・グッドマンって人の演奏でヒットしたんだけど、元々は1930年に出来た曲らしいよ」
 俺は改めて着信音を再生して彼女に聞かせてやった。
「なんか素敵な曲ね、ロマンチックな感じで」
「そのお客さん、ご夫婦お揃いでこのメロディにして行ったんだ、思い出の曲なんだって」
「へえ、どんな思い出なの?」
「それがさ、ロマンチックな良い話だったんだよ、古い曲だから見つけるのに手間取ってね、その間にあらかた聞かせてくれたんだ……呼び出し電話ってわかる?」
「何? それ」
「俺も知らなかったんだけどね……」
 俺は二人の間に起こった『呼び出し電話』の偶然や『メモリーズ・オブ・ユー』にまつわる思い出など、ショップで聞いた話をすっかり彼女に話してやった。
「素敵ねぇ……その話聞いたらそのメロディ、余計にロマンチックに聞こえる……ねぇ、私の着信音もその曲にしたいな」
「ああ、お安い御用だよ」
 そういうわけで俺と彼女の着信音もお揃いになった、なんだかその時から彼女との距離がぐっと縮まった気がした。


 それから三年、俺と彼女は携帯の機種は変えても着信音は変えずにずっと『メモリーズ・オブ・ユー』を使い続けた、俺はそれも彼女との絆のように感じてたんだ、多分彼女も同じように感じてくれてたんだと思う。
 それに50年代のジャズは二人の共通の趣味にもなったんだ。
 流行のJ-POPとかだったらいつでも身近にあるけど、ジャズ、それも50年代のとなるとそうは行かない、俺はこまめにコンサートを探し、ジャズクラブの出演者を調べては彼女を誘い、彼女も喜んで誘いに乗ってくれた。
 
 そして例のご夫婦の話にも出てきた大ベテランのクラリネット奏者が出演しているジャズクラブで俺は彼女に指輪を差し出した。
 あのご夫婦の話を思い出して、プロポーズする時はこういう演出にしようと決めていたんだ……もっとも俺の場合は一か八かじゃなくて、必ず受け取ってくれると確信していたんだけどね。
 彼女はびっくりしたみたいだったけど、そっと左手を差し出してくれて、俺はその薬指に指輪を嵌めた。
 クラリネット奏者はそれを目ざとく見つけると、俺たち二人の目の前に進み出てくれて俺たちのために心を込めて演奏してくれた、俺と彼女は『メモリーズ・オブ・ユー』のメロディと店中のお客さん達の祝福に包まれて将来を約束し合った……。


 結婚式の二次会、彼女の友人がクラリネットで、俺の友人がピアノで伴奏をつけて『メモリーズ・オブ・ユー』を演奏してくれた。
「あ、この曲って裕香の着信音……」
「そうだ、俊介の着信音もこれだ……二人で同じメロディ使ってたのか」
「よっぽど思い出の曲なのね……」
「随分としゃれた事をするもんだ」
「それに……凄くロマンチックな曲ね……」
 同じ着信音を使っていたと知った友人たちに囃し立てられ、俺と彼女はみんなの前でキスをさせられた、照れくさかったけどムードは最高に良かった。
 俺たちにとってもすっかり思い出の曲になっていたからね。
 
 30数年前の一本の電話と80年以上前の曲はこうして二組目の夫婦を生んだってわけ。


 あの時のご夫婦はそれからショップにみえてはいないが、ふとしたことから繋がった、 嫁さんが通い始めたキルティング教室の先生がその奥さんだったんだ。
 携帯の着信音が同じだったんでそれとわかって、ずいぶんと話が弾んだと言う。
 俺はまだお会いしていないが、次の休みにはお邪魔することになっていて楽しみにしているんだ。
 そうそう、その時はもう一組のカップルの話もしなきゃいけないな。
 俺の友人と彼女の友人……俺たちのために『メモリーズ・オブ・ユー』を演奏してくれた二人の話をね……。
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