第1話

文字数 1,999文字

「いつまで寝てるの? 昼までには起きなさいよ」
 そう言って母は部屋から出ていった。僕はそれに応えず、布団をかぶったまま体の向きを変えた。目は覚めているが、体を起こせない。平日の昼までベッドに横たわるなんて、健全な中学生のやることではない。そんなことは母に言われるまでもなく分かっていた。でも朝起きて学校へ行くという行為を、もう一度やってみようとは思えなかった。
 僕はベッドの上で考えた。前日も同じだった。何日経っても前には進まなかった。大樹へのいじめをやめさせようとした僕に非があるとは思えなかった。なのに次にいじめられたのは僕だった。しかも大樹は、僕へのいじめを黙殺した。担任も助けてくれなかった。サインの出し方が悪かったのかもしれない。気付いてくれるはずと期待しては駄目だったのだ。日々自己嫌悪に陥っていた。
 学校に行かなくなった頃、父は出勤前に布団をはぎ取って僕の身体を叩き、怒鳴った。一か月が過ぎ、父も諦めた。たまに部屋に声を掛けに来たが、僕は適当に返事をするだけになっていた。
 その頃、母も午後からは仕事に出ていた。それは僕の進学のためだった。だから余計に辛かった。どうしていいか分からず、ベッドの上で一人、考え続ける日々だった。
 そんなある日、昼に寝ていた僕は夢を見た。小学校四年生の頃、大樹や他の連中と一緒に遊んでいた竹藪が舞台だった。あの竹藪の奥にはトンネルの入口があった。夢の中で中学生の僕は一人、そのトンネルに入っていった。本物のトンネルは防空壕として掘られたもので、行き止まりになっていた。でも夢では、トンネルはどんどん奥まで続いていた。夢だからなのか、もう光が入らない深さになっても周りの様子はよく見えていた。
 しばらく進むと左右の壁に見覚えのある顔が浮かんでいることに気が付いた。小学生時代の大樹をはじめ、康介、晴太、蓮。そうだ、大樹や僕をいじめた蓮もあの頃は友達だった。でも蓮は中学になって変わってしまった。そう思った時、壁に浮かんでいた蓮の顔がどんどん歪んで溶けていった。そして再び顔らしくなった。それはしかし、トランプのジョーカーのような不気味な表情を作っていた。その横で晴太も同じような変化を見せた。晴太は直接僕を攻撃しなかったが、僕を避けていた。薄々気付いていたけれど、晴太が蓮を煽っていたのだと確信した。康介と大樹の顔は溶けなかった。この二人は僕を無視したりはしなかったが、蓮からのいじめについては全く触れてくれなかった。その瞬間、二人の表情は曇り大樹の目からは涙が流れ始めた。この二人は少なくとも僕のことを心配し、自分の行いを反省しているのだと思った。
 その先は僕の身体がギリギリ通れるくらいにトンネルの幅が狭くなっていた。引き返そうと思ったが、来た道は塞がってしまっていた。仕方なく僕は体をよじりながらトンネルの奥へと進んだ。大樹と康介が一緒に戦ってくれれば、僕は蓮に勝てるかもしれない。狭い道を上ったり下りたりしながら僕はそう思うようになっていった。このトンネルがどこにつながっているのかは分からないが、夢の中の僕はひたすらその先を追った。腹這いになってようやく進めるような穴を抜けると大きな空洞に出た。水の滴る音が響いていた。天井からうっすらと明かりが漏れ届いており、よく見るとそこは鍾乳洞だった。都会の竹藪にある防空壕が、こんなところと繋がっているはずがない。僕がくぐってきた横穴はやはり塞がってしまった。天井をこじ開けるしか出口はないようだ。僕はそう思ったが、ここは水と光とが絶妙に調和した美しい場所で、暑くも寒くもなかった。この快適な場に居続けたい。そんな思いも同時に持っていた。
 そこで夢は中断した。母が帰宅し、部屋に食事を持ってきてくれたのだった。僕はこの一か月、リビングで食事を摂っていなかった。一日のうちでまともな食事は夕食だけになっていた僕は、全ての料理を平らげた。そして夢を思い返した。
 次の日の皆がとっくに登校し終えた午前十一時頃、僕はあの竹藪に向かった。三年ぶりくらいだった。昨晩夢で見たように、小学生のころと変わらず防空壕の口は空いていた。僕の身長くらいに伸びた雑草を踏み分け、中に入ってみた。ちょっと入っただけで明かりは届かなくなった。やっぱり夢のようにはいかないよな、と僕は足を止め引き返そうとした。
 その時、入口を覆う草木が揺れ、誰かが入って来た。誰にも会いたくなかった僕は顔を背け、身を低く構えた。
「久しぶりだね」
 優しく話しかけて来た声の主は、蓮だった。後ろには大樹がいた。
「昨日、お前がこの穴で苦労している夢をみたんだ」
 そう言って蓮は頷き、僕に頭を下げた。
「ごめん。傷つけるつもりはなかったんだよ」
 蓮と握手をし、二人の上を大樹の手が覆った。
 
 そこでもう一度、僕は目を覚ました。母が僕を起こす声がしていた。【了】
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