Chapter1. Good Morning, Mr. My-Dear.

文字数 1,813文字

「藤井さん、輝台(きだい)さんから内線二番です」

美良(みよし)、目の前にいる俺が輝台だ。藤井さんから俺に二番だな?」

「あ、はい!すみません!」

強めに「しっかり頼む」と注意を加え、受話器に耳を当てる。彼、美良環(みよしたまき)は俺の部下なのだが、たまにこうして軽いミスを繰り出し職場の緊張感を強制弛緩させる。微笑む同僚たちの視線を避けるように、彼は背中を丸めパソコン画面で顔を隠した。

ああ、今日も好調な滑り出し。彼のおかげで頑張れそうだ。


***


あれは半年前。新年度初日の部内朝礼で、事件は起きた。

「ということで今日から我々の仲間になった美良君だが、輝台君、責任を持ってしっかり教育してあげてくれよ」

「はい?」

「美良君、輝台先輩は入社五年目の万能な方だから、大いに頼って力を付けるんだよ」

「はい!よろしくお願いします!」

突如任命されたことに面食らい反論が叶わず、いつの間にかよろしくお願いされていた。そこで朝礼解散となり、同僚達には同情の視線を送られ、挨拶をしにきた美良には期待の視線を浴びせられ、余計に頭が混乱した。事前相談もなく目が合った部下に仕事を投げるのは、部長の悪い癖だ。運悪く被弾した俺は鮮やかに営業スマイルを作り上げ、美良を歓迎した。

「川上商事、第二営業部へようこそ」



任命されたからにはきっちり仕上げて行こうと決め、まず基礎編として名刺の扱い方から指導することにした。手順を説明すると、ぎこちないながらも堂々とこなして一発合格。これは見込みのある人材だと思った。微笑ましく思っていると、彼は笑顔でこう言った。

「珍しいお名前ですね。コウダイ・セイさん、スケールが大きい響きがします!」

「美良君、それは輝台誠(きだいまこと)と読んでくれると嬉しい。それとローマ字が併記してあるだろう。お客様からもらう場合は、なるべくそちらを読むと間違いないぞ」

「す、すみません!」

「いいって。ここで失敗しておけば、本番で間違えなくなるからな」

入社初日ともあれば緊張もあるだろうし、そのうち慣れて実力が出てくるだろうと期待した。そして教育を重ねるにつれ、爽やかなやる気と隠しきれない天然を持ち合わせた人だと判明した。仕事ができないわけではなく、飲み込みも早いので当初の期待値は下がらずにいるが、いまだに電話の取次が苦手な点だけは改善を待ち望んでいる。


そして教育係任命から二ヶ月ののち、アパートのエントランスで偶然鉢合わせた。まさか会うとは思っておらず驚きはしたが、休日だったし、牛丼四食分を手にしていたので知人を訪ねてきたのだろうと思った。

「休日なのに会社の人間に会ってイヤだろう、ごめんな。俺階段で行くから、美良君エレベーター使いなよ。じゃあ・・・」
「いやいや、輝台さんも一緒にエレベーターで行きましょうよ!でもまさか同じアパートに住んでるとはびっくりです」

「え、ここ住んでるの?」

「はいっ202号室です」

「へえ……え、じゃあまさか、その牛丼一人で食べるの?」

「はい、今日の夕食と明日の三食です。料理があまり得意じゃなくて」

「なるほど。お節介かもしれないけど、腹壊さないようになるべく食べる日に買えな」

定刻通りに出退勤する彼と違い、俺は早めの出勤と残業が当たり前だったためこれまで会わずに済んでいたのだろう。けれどこうして居住地がバレた今、申し訳ない気持ちが胸に押し寄せ占拠した。ここは郊外の単身者向けアパート。そう広くはない物件なのだが賃料が程よく、さほど物を持たない俺にはちょうど良い場所だ。しかし美良からすれば、五年勤続したところでここ止まりの上司から教えを受けているなんて、なんとも未来のない話だろう。エレベーターを待つ間、溜息を堪えるのに必死だった。

「輝台さん、何階ですか?」

「五階でよろしく」

到着したエレベーターに乗り込むと、瞬時に充満する牛丼の香りに食欲を刺激された。二階のボタンを押し忘れた美良はそのまま五階まで上がることになり、隣で笑いながらこちらを見上げた。

「自分、他県から引っ越してきたんでこの街に全然知り合いいないんですよね。何気に不安もあったんですけど、輝台さんがいるなら頑張れそうです」


次の月曜日、会社で彼の「おはようございます」を聞くだけで喜ぶ自分がいた。



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