第2話

文字数 1,945文字

「北川さん」
「はい」
「取材をして良いですか」
「はい」
「まず、ですが」
「はい」
「北川彩女さんは、武蔵大学文学部を卒業されていますが、いつごろから、女優の仕事を志そうと思いましたか?」
「はい。私、高校を卒業して、すぐに、東京の武蔵大学文学部へ入学しました。入学した当初は、友人もいないで、右往左往した毎日でした」
「やはり、東京の生活に慣れない?」
「ええ、東京の方が、大阪よりも人が多いですし、また、物も多いですし、皆さん、洗練されていて、私のような大阪ローカルの人間は、ついていくのが、やっとでした」
「ええ、そうですね」
「それで、どうでしたか?」
「私、大学に入学して、最初は、新聞記事になろうとして、武蔵大学文学部の新聞部に入ったんですよ」
「ええ、新聞部?」
「ええ、新聞部です」
 と彩女は、言った時、タカユキは、動揺した。
「あの、武蔵大学文学部には、新聞部が、三つあったのですが、どの新聞部ですか?」
「パッション新聞です」
「ええ、パッション新聞って、僕も、いたんですよ」
「ええ、そうですか?」
「今度、名簿を観てみます」
 と慌てて、タカユキは、言った。
 いかん、これでは、新聞の取材の意味がないと思った。
「私」
「はい」
「本当は、講談新聞へ行きたいと考えていました」
「ええ」
「どうなさったんですか?」
「いや、僕も、そこで、仕事をしていたんですよ」
 とタカユキは、言った。
 大学を卒業してから、何年と講談新聞で、仕事をしていた。
「どうして、講談新聞へ行きたいと考えていたのですか?」
「あの」
「はい」
「講談新聞で、新橋イチローさんが、いたでしょう」
「はい」
「私、あの人の短歌とか小説が、好きで」
「まあ」
 と言った。
 実は、タカユキは、何故、新橋イチローにカッカしていたのか、思い出した。あいつは、新橋イチローは、若い時から、短歌を詠んで、「講談青春短歌賞」なんて受賞し、そして、「講談青春文学賞」で、「sing is lovers」で、入選して、いきなり、書店の店頭に、あいつの書籍が並んだ。その時、タカユキは、あんないつもギャグしか言わない新橋イチローを、許せないと思った。
 「それで、色んな経緯があって、新橋イチローさんが、ドラマに出て、私も、長いこと、女優の仕事が回って来たんです」
「講談テレビのね」
「ええ」
「だけど、あまり、視聴率が、良くなくて」
 と言った。
 新橋イチローは、公立大学大和まほろば大学を卒業して、すぐに、歌人として活躍をした。
「あの」
 と言った。
 その時、北川彩女は、笑顔だったのが、暗い顔になっていた。
 そして、目が涙目になっていた。
「学生時代は、新聞のお仕事をされたかったのですか?」
「はい」
「新聞記者になりたかった?」
「はい」
「だけど」
「はい」
「一度だけ、新橋イチローさんが、武蔵大学文学部に来て、講演して、私、パワーポイントで、藤原定家の短歌の話をしたら、<良かった><良かった>と言って、褒めて、握手をしたのです」
「新橋イチローさんと握手したの?」
「はい、一度だけ」
「まさか、手を洗っていないとか?」
 とタカユキは、言ったら、彩女は、目をきっとさせて
「はい」
 と怒ったように言った。
 勿論、タカユキは、ノートパソコンにメモを取り、テープレコーダーにも記録したが、その時、彩女は、涙がポロポロ出てきた。
「新橋イチローさんのことが、好きだったんです」
「だろうね、だろうね」
「私、あの人と付き合いたくて、頑張って、親の反対を押し切って、ここの事務所へ来て、女優になったんです」
「偉いね」
「だけど、新橋イチローさんは、久しぶりに会っても、<会ったっけ>の一点張りだったんです」
「忘れていたの?」
「私、新橋イチローさんに相応しい恋人になろうとして、頑張った。そして、ドラマにまで出た。しかし、新橋イチローさんは、ドラマの成績が芳しくなくなって、私たちに八つ当たりして、そのまま、<俺は、もう、こんな仕事嫌だ。大阪へ帰る>と言って、LINE交換まで、ブロックしたのです」
「新橋イチローさんは、ひどいね」
「うん」
「嫌な奴だ」
「それで、最後は、<北川彩女は、売れない女優>とか言ってね。
 もう、北川彩女は、有村架純さんに似ている女優どころではなく、涙がポロポロになっている。
 嫌な思い出を話せたと思った。
 それでも、タカユキは、新橋イチローも、恨まれていると思った。必ずしも、シナリオライターになるのが、幸せだとは、限らないと思った。
 これでは、仕事どころではないとタカユキは、思った。
「そうだ」
「北川さん」
「はい」
「今度、食事へ行きませんか?」
「ええ」
 と言った。
 そして、タカユキは、北川彩女とLINE交換をした。
「それでも、記事の方は、プライベートに配慮しますから」
 と言った。


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登場人物紹介

磯野タカユキ…あけぼの新聞の記者。40代半ば。

北川彩女…30歳の女優。

新橋イチロー…歌人。小説家。

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