第1話

文字数 2,000文字

「ヒロさん、亡くなった人と話ができたって人が知りあいにいるよ」
 先輩がSNSでそう教えてくれたのは、去年のお盆、帰ってくるものなら母と会いたい、と私が言ったとき。先輩は私の相談にいつものってくれる。母がこの世にいないことも、事情も打ち明けてある。それを知ったうえでの返信だ。
 母とは突然の別れだった。私が東京の会社勤めで独り暮らしだったから。世間でヒットした小説に依頼人を死者と会わせる職業を描いた話がある。深く共感したし、小説ではなく本当に会えたらいいのに、と思ったものだ。
 半信半疑でその知り合いに繋いでもらった。訊くと、霊能者とかが介在するのではなく、特定の日時場所に行くと心のなかで会話ができるという。姿はなく声だけ。日時は盆とか彼岸とかでなくて旧暦一月の満月の夜。小正月とか元宵節とかいう時期。故人が最も好きだった場所で。だが試してみてもほぼ成功しない。運要素や隠れた条件とかがあるのかもしれない。自分は奇跡的に話せたけど夢や幻覚だと言われたら否定しきれないという。

 母・洋子は、自宅の台所で胸に包丁が刺さって死んでいた。日曜日で、第一発見者は買い物から帰宅した、洋子の夫・弘一。他人がいた形跡もなく、警察は事件性ナシと断定。
 だがおかしいのは明らかだった。母は向精神薬浸けで寝たきり。自力で台所まで歩けない。死ねるほど刺す力も出せない。それでも警察が自殺と断定したのは証拠がとれなかったから。重要参考人の夫は自白しなかった。凶器や現場の指紋も、もともとあって当然だ。そして遺族は事件化を望まなかった。祖母も「そっとしといてくれはりやしませんやろか」と刑事に懇願した。
 だが私には想像がついていた。ヤツが殺したのだと。秘密主義者のヤツは真相を墓場までもっていくつもりなのだ。

 母と話がしたい。

 その夜は寒波が来た。地下から出るとふぶいている。この地の冬の天気は変わりやすい。ブワーっとなったかと思えば晴れたりする。住んで初めて知った。堪らず、不死鳥のマークのコンビニに。髪に積もった雪を払った。缶コーヒーを買って手を温める。吹雪をやり過ごしたところで店外へ出て飲んだ。コーヒーで活を入れるようになったのもこっちに来てからだ。
 これから訪れるのは札幌市時計台。母の新婚旅行先は秋の北海道だった。当時は新婚旅行先として珍しくなかったらしい。母は幼い私に繰り返しアルバムの写真を見せてくれた。写真の母は将来を予期しておらず、とても幸せそうだ。中でもお気に入りは時計台の前で撮った写真だ。
 母は私をその旅行中に妊娠したらしい。だから私は、北海道を自身の出生地のように思っている。いま、札幌で暮らしている。ここに母の魂が眠っているかのような気がしたから。父親は私を支配下に置こうと東京の家に押し掛けた。「弘志、観念して帰って来い!」と騒ぐ父親を突っぱね、夜逃げするように避難した。第二の人生をこの「第二の故郷」で始めることに迷いはなかった。母を偲んでここまで来た。その頼る親類のいない私を助けてくれたのが、先輩その人だ。彼女が保証人になってくれるので、これでも生きていけている。信じて安全なのは血縁ではなく、自らの意思で繋がった仲間だけなのだ。

 時計台の前に着いた。空は晴れて明るくなっていた。見上げる。ああ、写真と同じ建物。母も確かにここにいたんだ。母の声が聞こえるような気がした。

「弘志……弘志なんでしょ?」
 聞こえた。
「お母さん!?」
「やっぱり弘志や」
 薬浸けになる前の頃と同じ、シッカリした声だ。
「ごめんなさい、あなたに大変な目に遭わせた、お母さんを許してください」
 母はしばらく謝り続けた。私からは返す言葉が出なかった。

 死の真相を直接聞いた。思っていた通りだった。死にたいと願ったこと。生きていてくれと言われても、貴方にも弘志にも迷惑かけ続けられへん、自分で死ぬからと、台所まで連れて行ってもらったこと。夫が刺してくれたこと。

 瞬間が凍った。深呼吸した。

「おおどおり」
「え?」
「大通公園に一緒に行ってくれる?」
 時計台から大通は歩いてすぐだ。二人で外を歩くのは十数年以上ぶり。ただ、母は声はすれども姿がないので一緒にいるのか不安になる。街の人通りは多い。
「大丈夫、私からは弘志のこと見えてるから」

 さっぽろ雪まつり。
 大通公園には雪像が建ち、ライトアップもされている。
「生きてるうちには冬に来られへんかったけど、いま一緒に来て、ほんまによかった」

「ほんでな。私からも話さなあかんことがあるねん」
「うん」
「私な、今まで秘密にしてたけど、自分、男やのうて女やってん」
「うん、さっきから見てて判ってた。こうして見ると私そっくりで、やっぱりうちの娘やと思うたよ」

 やっと、母にカムアウトができた。わだかまりが解けた。

「あとね、名前も変えてん。ヒロミに。ミは美しいで、ヒロはお母さんと同じ洋って字」
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