第1話商人

文字数 1,732文字

はじめてインドに行ったのは大学生の時だった。
インドに行くまでは家族と数回しか海外旅行に行ったことしかない女子大生だった。

いろんな国を貧乏旅行で回っている皆さんとは違って私は最初からインドだけに訪れた。何故かインドにだけ強く惹かれたのである。

初めて行ったインドはハイデラバードという南インドの街だった。

ここでは遺跡で倒れて奇妙な夢を見ることになるなんて考えもしなかった。

ゴール・コンダ・フォートという有名な遺跡がハイデラバードにはある。そこは過去ダイヤモンドや金が取れる大きな王国があったそうだ。

ゴール・コンダ・フォートに来て、恥ずかしながら倒れてしまった。突然。
私は貧血持ちではないので、本当に生まれて初めて突然倒れた。その後もここ以外で突然倒れたことがないので本当に不思議だった。
そして倒れている間に奇妙な夢を見させられた。

他の男兄弟三人と男性として生きている当時の私が、父親と話している夢だった。
「我が家は武家として王家に支えている身。けっして貧しいからとて武人としての誇りを失うことなかれ。」と。

私は遺跡で目を覚ました。パスポートも財布もとられていなくて本当に運が良かったと思う。

その日の夜にホテルに戻ると泥のように眠りに落ち、夢を見た。
男の姿の私は後悔していた。

「どうして自分の卑しさにもっと早く気付けなかったのだろうか。」
彼は死ぬ前一人ぼっちだった。いや、周りに人はいたけれど、お金を介さないと誰とも繋がることもできなかった。

兄達のように父親の言葉の通り、武人らしく生き、人々の信頼を得ることができなかった。
父の言葉や貧しさに反発を覚えた彼は、父親が結婚を決めた許嫁の娘がいるのに、商人の娘と結婚をして家を出てしまった。事実上駆け落ちをした彼を、父親は死ぬまで許してくれなかった。

お金がないと幸せにならないと信じていた彼はがむしゃらに働いた。だから身入りは多かった。
だけどお金への執着が強すぎて誰からも愛されなかった。
お金を手にすればするほど、周りの人が離れていくようにも感じた。
妻さえも、子供が育つと子供と共に家を出ていってしまった。
父親も兄弟も絶交していて生涯連絡することも出来なかった。

彼の悲しさと後悔が私の胸いっぱいに広がる。
悲しい。
悔しい。

本当は父上と仲直りしたかった。事業を拡大させて安定した時、生活が苦しそうな父上の生活を助けようとした。家出をしたけれど仲直りをするきっかけにしたかったからだった。
それでも受け取ってもらえなかった。
「自分のコミュニティや義務を忘れて、商家になったお前は一族の面汚しだ。」とまで言われた。
兄上達も父上の肩を持って俺のことは避けるだけだった。父上が死んだあとも、俺は避けられていた。

父上に拒絶されてから、俺はもっと偏屈で頑固になった。他人に心を開かなくなった。心を開かなくなってしまった。

もっと家族といい関係を築けたなら。
もっとお金以外の事にも目を向けていたなら。

自分の卑しさが醜く思えて仕方がなかった。

昔、父上は言った。
「良いか息子よ。顔の美醜は生まれ持ってのものだけではなく、その人間の考え方をもよく表すのだ。
例え、生まれつき綺麗な顔でなくとも、心が綺麗ならば誰からも愛される顔になる。
逆に生まれつき綺麗な顔でも、心が醜ければ顔は次第に醜くなってしまうのだ。自分の顔を鏡で見た時に醜く感じることがあるのならば、心を入れ替えて鍛錬に励みなさい。」
幼い俺は突然こんな話をされて、自分の顔が綺麗か汚いかなんて考えたことなかったなあ、くらいにしか考えられなかった。

今思えば、死ぬ直前の自分の顔はなんて醜かったのだろうか。きっと父上は幼い俺の中に、渦巻く欲望を見出していたに違いない。そして、俺にその欲望を制御できる人間になって欲しかったのだろう。

溢れ出てくる彼の後悔が海のように私を飲み込んだ。溺れそうになった私は目を覚ました。
朝だった。青い空が窓一面に広がって、外のクラクションの音に対抗する様にカラスが鳴く。
ハイデラバードの、乾燥した気持ちのいい朝は私には少し虚しさを感じさせたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み