『嗤う伊右衛門』は、タイトル詐欺である。
文字数 2,789文字
『嗤う伊右衛門』は、タイトル詐欺である。
なにしろ主人公・田宮伊右衛門は不愛想で、基本的に人前で笑うことがないのだから。本人も六章のところでこう語っている。
「拙者──生まれて此の方笑うたことがござらぬ」と。
伊右衛門が「嗤う」と明確に書かれたシーンは、たったの二箇所。しかもその二箇所は、十二章あるうちの十一章目と十二章目。初出の方は、映画でいえばラスト五、六分前あたり、二つ目の方に至っては、本当に最後のシーンでの登場である。
しかし、そんなタイトルからの予想をことごとく裏切るような作品だからこそ、その「嗤う」というシーンはなにより象徴的に描かれている。
おかげで伊右衛門にとって「嗤う」ということがどういうことなのか、それをはっきりと知覚することができた。
この二つのシーンを見るに、私は千利休の朝顔の逸話を想起しないではいられなかった。
歴史に詳しい者であれば、もしくは茶道を心得たものであれば、「利休の朝顔の逸話」である程度はわかるかもしれないが、初見の人もいると思うので、あえて紹介させていただこう。その逸話は江戸の元禄期に書かれた『茶話指 月集 』に記載されているものである。
この元禄期の本は、茶聖・千利休とその孫・宗旦の逸話が七十数話収められている逸話集であり、茶道人口が増加した同時代における数寄雑談の参考書として活用されたものである。
中でも有名なのが、この朝顔の逸話。それは「ある時、天下人・秀吉は利休から『朝顔が美しいので茶会においでください』と招かれ、それを楽しみにして向かった。しかし、行ってみると、庭の朝顔はすべて切り落とされているではないか。怒った秀吉が茶室に入ったところ、果たしてそこには、きれいな朝顔がたった一輪だけ活けてあった」というものだ。一つの美を強調するために、他のすべてを切り取るというその大胆な手法には、秀吉も脱帽しないではいられなかったという。
京極夏彦の手法はまさにそれと等しいものだ。朝顔を切り落とされた秀吉は、落胆したとも、激怒したとも伝えられているが、茶室に入ったのは紛れもない事実。そして、そこにあった光景に度肝を抜かれ、その斬新なやり口をほめそやしたのも事実。
『嗤う伊右衛門』のタイトル詐欺に、激怒するのも落胆するのも読者の勝手だが、まずは最後まで読み進めていくことを、私としてはオススメしたい。
では、そもそも『嗤う伊右衛門』とは、どういう作品であるかということを紹介しておきたい。
この作品は、いわゆる怪談物である『四谷怪談』を題材としたものである。
『四谷怪談』は、わが国でもっとも人口に膾炙している怪談話の一つであるがゆえ、日本人であれば誰もが一度は耳にしたことがあるであろう。もしかしたら外国の方であっても、そのタイトルを聞いたことがあるかもしれない。それぐらい怪談界ではメジャーな存在だ。
その『四谷怪談』の中でも、とりわけ知られているのが、歌舞伎の演目として扱われた鶴屋南北の『東海道四谷怪談』。これは当時すでにヒットを飛ばしていた『仮名手本忠臣蔵』の外伝として作られ、初演は『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』を交互に上演するという手法で紹介された。後に、『東海道四谷怪談』にも人気に火が付いたため、単独公演されるという次第となった。
かくして、その人気が後押しとなってか、はたまたその生き生きとした描写に魅了されてか、その後、多くの人がそれを題材とした作品を生み出してきた。それは落語であったり、浮世絵であったり、小説であったり、映画であったり、漫画であったりと実にさまざまである。
おかげで現在では、さまざまな形、多種多様な解釈での『四谷怪談』を見ることができる。
ただ、その反面、すでにバリュエーションが出尽くした感があった。
しかし、京極夏彦はそれでもなお、新たな『四谷怪談』を生み出してみせた。
過去、多くの者が『東海道四谷怪談』をその基としているが、本作はあえてさらにその原典である『四谷雑談集』をベースとしている。
『東海道四谷怪談』の方は、広く知られているように、「岩が伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というものであるため、基本的には伊右衛門が悪人として描かれている。
一方、『四谷雑談集』では、「岩が容姿性格共に難があるため、婿取りに難航。ようやく婿となったのが伊右衛門だが、やがて妾を伊右衛門に押し付けたい上司と利害一致して、岩をだまして追い出すことに。しかし、だまされたことを知った岩が狂乱して失踪。その後、関係のあった人には次々に不幸が訪れ、伊右衛門もまた死亡する」というのが本筋のため、岩も悪く描かれることがしばしばあった。
つまり、これまであった解釈では、伊右衛門を悪とするか、岩も悪とするか──悪は言い過ぎにしても、岩にも原因があるような書き方をするか──のいずれかが、大半だった。
しかし、本作では伊右衛門も岩も悪としていない。むしろ岩には凛とした強さがあり、ひねくれたところが欠片も見当たらない。伊右衛門も、愛想こそないが、岩を芯から愛している、まっすぐな男として描かれている。強いて上げれば、お互いに内に秘めたるところがあるので、言葉が足らず、すれ違いとなる。ただそれだけのことなのだ。
おかげでおどろおどろしい怪談を題材としているはずなのに、気づけば、シェイクスピアばりの美しい悲恋の話、まさに悲劇の大作が仕上がっているという次第だ。
──伊右衛門殿。伊右衛門殿。恨めしや伊右衛門殿。
さまざまな『四谷怪談』で目にしてきたこのフレーズは、当然本作でも使用されている。
しかし、先ほど紹介したように、本作の伊右衛門も岩も決して悪ではない。それゆえに、このお定まりのセリフが、まったく違ったもののように響いてくるという妙技が、本作では使われている。
この見事な手法を目の当たりにしては、咄嗟、感嘆せざるを得ないだろう。
まだ本作を読まれていない方は、自身の目でも一度確認することをオススメしたい。
ちなみに余談ではあるが、一般的に流布されている『東海道四谷怪談』は、話の舞台を雑司ヶ谷四谷町(現在の豊島区)としているが、『四谷雑談集』は四谷左門町(現在の新宿区)としている。当然、『四谷雑談集』をベースとしている本作も四谷左門町で起きた事件として描いているわけだが、実はこの四谷左門町の方にはちゃんと田宮家跡地というものが存在している。その地に建立された於岩稲荷田宮神社はいまもちゃんとあるので、本作で興味を持たれた方は一度訪れてみるのもいいだろう。夫の浮気に対して見せた岩の怨念から、「男の浮気封じ」に効くされているため、とりわけ女性の方はぜひ。
なにしろ主人公・田宮伊右衛門は不愛想で、基本的に人前で笑うことがないのだから。本人も六章のところでこう語っている。
「拙者──生まれて此の方笑うたことがござらぬ」と。
伊右衛門が「嗤う」と明確に書かれたシーンは、たったの二箇所。しかもその二箇所は、十二章あるうちの十一章目と十二章目。初出の方は、映画でいえばラスト五、六分前あたり、二つ目の方に至っては、本当に最後のシーンでの登場である。
しかし、そんなタイトルからの予想をことごとく裏切るような作品だからこそ、その「嗤う」というシーンはなにより象徴的に描かれている。
おかげで伊右衛門にとって「嗤う」ということがどういうことなのか、それをはっきりと知覚することができた。
この二つのシーンを見るに、私は千利休の朝顔の逸話を想起しないではいられなかった。
歴史に詳しい者であれば、もしくは茶道を心得たものであれば、「利休の朝顔の逸話」である程度はわかるかもしれないが、初見の人もいると思うので、あえて紹介させていただこう。その逸話は江戸の元禄期に書かれた『
この元禄期の本は、茶聖・千利休とその孫・宗旦の逸話が七十数話収められている逸話集であり、茶道人口が増加した同時代における数寄雑談の参考書として活用されたものである。
中でも有名なのが、この朝顔の逸話。それは「ある時、天下人・秀吉は利休から『朝顔が美しいので茶会においでください』と招かれ、それを楽しみにして向かった。しかし、行ってみると、庭の朝顔はすべて切り落とされているではないか。怒った秀吉が茶室に入ったところ、果たしてそこには、きれいな朝顔がたった一輪だけ活けてあった」というものだ。一つの美を強調するために、他のすべてを切り取るというその大胆な手法には、秀吉も脱帽しないではいられなかったという。
京極夏彦の手法はまさにそれと等しいものだ。朝顔を切り落とされた秀吉は、落胆したとも、激怒したとも伝えられているが、茶室に入ったのは紛れもない事実。そして、そこにあった光景に度肝を抜かれ、その斬新なやり口をほめそやしたのも事実。
『嗤う伊右衛門』のタイトル詐欺に、激怒するのも落胆するのも読者の勝手だが、まずは最後まで読み進めていくことを、私としてはオススメしたい。
では、そもそも『嗤う伊右衛門』とは、どういう作品であるかということを紹介しておきたい。
この作品は、いわゆる怪談物である『四谷怪談』を題材としたものである。
『四谷怪談』は、わが国でもっとも人口に膾炙している怪談話の一つであるがゆえ、日本人であれば誰もが一度は耳にしたことがあるであろう。もしかしたら外国の方であっても、そのタイトルを聞いたことがあるかもしれない。それぐらい怪談界ではメジャーな存在だ。
その『四谷怪談』の中でも、とりわけ知られているのが、歌舞伎の演目として扱われた鶴屋南北の『東海道四谷怪談』。これは当時すでにヒットを飛ばしていた『仮名手本忠臣蔵』の外伝として作られ、初演は『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』を交互に上演するという手法で紹介された。後に、『東海道四谷怪談』にも人気に火が付いたため、単独公演されるという次第となった。
かくして、その人気が後押しとなってか、はたまたその生き生きとした描写に魅了されてか、その後、多くの人がそれを題材とした作品を生み出してきた。それは落語であったり、浮世絵であったり、小説であったり、映画であったり、漫画であったりと実にさまざまである。
おかげで現在では、さまざまな形、多種多様な解釈での『四谷怪談』を見ることができる。
ただ、その反面、すでにバリュエーションが出尽くした感があった。
しかし、京極夏彦はそれでもなお、新たな『四谷怪談』を生み出してみせた。
過去、多くの者が『東海道四谷怪談』をその基としているが、本作はあえてさらにその原典である『四谷雑談集』をベースとしている。
『東海道四谷怪談』の方は、広く知られているように、「岩が伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というものであるため、基本的には伊右衛門が悪人として描かれている。
一方、『四谷雑談集』では、「岩が容姿性格共に難があるため、婿取りに難航。ようやく婿となったのが伊右衛門だが、やがて妾を伊右衛門に押し付けたい上司と利害一致して、岩をだまして追い出すことに。しかし、だまされたことを知った岩が狂乱して失踪。その後、関係のあった人には次々に不幸が訪れ、伊右衛門もまた死亡する」というのが本筋のため、岩も悪く描かれることがしばしばあった。
つまり、これまであった解釈では、伊右衛門を悪とするか、岩も悪とするか──悪は言い過ぎにしても、岩にも原因があるような書き方をするか──のいずれかが、大半だった。
しかし、本作では伊右衛門も岩も悪としていない。むしろ岩には凛とした強さがあり、ひねくれたところが欠片も見当たらない。伊右衛門も、愛想こそないが、岩を芯から愛している、まっすぐな男として描かれている。強いて上げれば、お互いに内に秘めたるところがあるので、言葉が足らず、すれ違いとなる。ただそれだけのことなのだ。
おかげでおどろおどろしい怪談を題材としているはずなのに、気づけば、シェイクスピアばりの美しい悲恋の話、まさに悲劇の大作が仕上がっているという次第だ。
──伊右衛門殿。伊右衛門殿。恨めしや伊右衛門殿。
さまざまな『四谷怪談』で目にしてきたこのフレーズは、当然本作でも使用されている。
しかし、先ほど紹介したように、本作の伊右衛門も岩も決して悪ではない。それゆえに、このお定まりのセリフが、まったく違ったもののように響いてくるという妙技が、本作では使われている。
この見事な手法を目の当たりにしては、咄嗟、感嘆せざるを得ないだろう。
まだ本作を読まれていない方は、自身の目でも一度確認することをオススメしたい。
ちなみに余談ではあるが、一般的に流布されている『東海道四谷怪談』は、話の舞台を雑司ヶ谷四谷町(現在の豊島区)としているが、『四谷雑談集』は四谷左門町(現在の新宿区)としている。当然、『四谷雑談集』をベースとしている本作も四谷左門町で起きた事件として描いているわけだが、実はこの四谷左門町の方にはちゃんと田宮家跡地というものが存在している。その地に建立された於岩稲荷田宮神社はいまもちゃんとあるので、本作で興味を持たれた方は一度訪れてみるのもいいだろう。夫の浮気に対して見せた岩の怨念から、「男の浮気封じ」に効くされているため、とりわけ女性の方はぜひ。