第十五話 戦車搭載用バナナチューロス

文字数 3,921文字

 八月二十二日。
 気だるい身体の重さを引きずりながら出勤し、ミーリャに促されるままドレスに着替えた明日歌だったが、タロット占いの客は誰も来ないまま、店はランチタイムを迎えていた。
 そんな、ランチタイムの喧騒から取り残された三階のカウンター。ミーリャはぼんやりと座る明日歌の顔を覗き込んでいた。
「んー? なんかバテた顔してるけど、人間特有の夏バテってやつ?」
 明日歌は深い溜息を吐いた。
「夏バテなら、皆ひと月前からバテてるものよ……」
 片道一時間以上の道程を経て、人外の館(こんなところ)に毎日通うのは疲れるだけじゃない、と、言いたかったが、面倒になり、明日歌は何も言わなかった。
「んー、それじゃ、これでも食べて元気出しなよ」
 カウンターに出されたのは、細長い揚げ菓子だった。
「チューロスですか……」
 仮にも夏バテしていると見える人間にドーナツは無いだろう。その感情は、今度こそ言葉に出ていた。
「あの……夏バテしてる人間にドーナツは無いと思いますよ、ドーナツは」
 ミーリャはその意味が分からないという表情を浮かべる。
「えー。絶対おいしいよ? 疲労回復効果抜群のバナナチューロス。とにかく一口食べてみなよ」
 しつこいミーリャにうんざりして、明日歌は一口だけ千切って口に入れてみた。
「……油」
 甘さと油っぽさが口に広がり、それ以上食べる気分にはならなかった。
「じゃ、ソーダ飲む?」
「最初からそうして下さいよ……」
 明日歌の深い溜息の向こうからカウンターに出されたのは、ほぼ透明なグラス。
「何ですか、それ」
「ジンジャーソーダ。はちみつとレモングラスを少し入れてるから、味はいいはずよ」
 明日歌はグラスに口を付けた。
「あー、なんとなくエスニックな味ですね」
「生姜もレモングラスも胃腸に良い物だし、元気出しなよ」



 ランチタイムが終わり、一階の喧騒が収まった頃、エレベーターが三階で扉を開いた。
「お? 蛇の奥方は仕事中か……」
 エレベーターを降りた男は客席を見遣り、落胆した様に呟いた。
「うん。此処のところはアクセサリーのイベントで、買った人にはタダでルーン占いしてるんだよ」
「そうか……じゃ、フトゥールも居ない事だし、占いは止めとくか」
「いや、大丈夫だよ。フトゥールの代わりというか、使い魔は残ってるし、カード並べる人間は居るよ」
「人間?」
 男はプルートの言葉に眉を顰めた。
「うん。人間。でも、もうすぐ魂を狩る予定の子だよ?」
 男は思った、少し面白いかもしれないと。
「じゃ、物は試しだ」
「待ってて」
 プルートは店の奥に進み、カウンターの隅に居る明日歌に声を掛けた。
「ねえ」
「あ。居ないと思ったら居た……」
 振り返るなり、明日歌は言った。
「今日はちょっと用があってね。それより、お客さん連れてきたから占ったげてよ」
「お客さん?」
「うん。タロットルームの前で待ってるよ」
 明日歌は立ち上がり、足早にそちらへと向かった。
「お待たせしました」
「はー……君がフトゥールの代わりの、か……」
 背の高い男は明日歌を見下ろす様に眺めた。
 その態度に明日歌は困惑しつつも、中へどうぞと言って男をタロットルームに案内する。
 男はカーテンを閉めて椅子に腰掛けるが、明かりの点いていない空間は手元が見えないほど暗かった。
(もー、電気点けるまで待てばいいのに。ランプひっくり返したらどうしてくれるんだか)
 男に対する不満を腹の奥に溜め込みつつ、明日歌はランプを灯し、クロスを広げて占いの支度を整えた。
「それでは、占いたい事についてお伺いいたします」
 男は自分の右手にあるクッキーに目を遣ってから口を開いた。
「もうすぐ武芸大会があるんだが、相手の事や試合の結果がどうなるのか、そういう事が気になってるんだ。このまま稽古を続ければいいのか、教えてくれ」
 明日歌はふと左手にあるクッキーの缶に目を遣った。すると、クマ型の人形クッキーに施されたチョコレートの目が動いた様に見えた。
(え……)
 気の所為か、いや、そうではないのではないか、そんな考えが脳裏に過ると同時に、声が聞こえた。
 ――解説書、上から四枚目か五枚目、ウィナーズ・ソードって展開法の解説出して。
 使い魔に言われるまま、明日歌は左手の台から指示された展開法のラミネートされた解説書を取り出す。
 ――ウィナーズ・ソードは勝負事を現在から未来へ、相手の事を含めて占う一番簡単な方法。
「今回はこちらの展開法で、現在、未来、相手の事をまとめて鑑定させていただきます」
 明日歌は解説書を男に見せた。
 ――下から二枚目、横倒しのカードは正逆に関係なく読む障害のカード。シャッフルして作る山はふたつ。縦向きに縦並びにして、手前から下三枚、奥から相手を示す一枚を置いて。カードは手前から並べて。
「それでは、始めます」
 解説書を机に下ろし、明日歌はカードをシャッフルした。そして、縦に並ぶふたつの山を整えると、四枚のカードを使い魔の指示通りに並べる。
 ――展開は手前からな。
 まず展開されたのは、剣の柄に見たてられた、現状を示すカード。
 其処に有ったのは、ソードの五だった。
 ――相手より優位に立ちたい、勝ちたいという執念の象徴だね。
 次に展開されたのは、剣の鍔に見たてられる障害を示すカード。
 示されたのは、カップの四だった。
 ――正位置では、無い物ねだりの状態、あるいは、動きあぐねている状態。だけど、逆位置であれば、大切な事は身近にあり、行動を始めるべきという暗示。この展開法だと、正逆にかかわらず、負の意味は現状の障害として、正の意味はその対策として考える。それと、この結果によって、次のカードの読み方が変わる。
 続いて展開された未来を示すカードは、戦車の逆位置だった。
 ――物事の失敗、挫折を意味している。ただ、賢明な判断が出来れば、回避出来そうな未来ではあるね。次のカードで対策が見えてくるはずだよ。
 最後に開かれた、相手を象徴するカードはカップのナイトだった。
 ――相手はやり手だね。穏やかにこちらを屈服させに掛る、穏健かつしぶとい性分の持ち主。ただ、穏やかさがアダとなって、優柔不断になる可能性は無きにしも非ず。
「どうだ?」
 男に催促される格好で、明日歌は解説を始めた。
 いつかの女性の様に、早とちりされない事を願いながら。
「まず、今のあなたは、勝つ事にこだわりを持っているものの、どう行動するべきかが分からず、動きあぐねている状況と見えます」
 男は心当たりがあるのか、僅かに眉を寄せる。
「しかしながら、打開策は身近にあると見えます。ですから、今こそ、何か行動を起こす事で、挫折の未来を回避する事が出来るでしょう」
 ――人の話を聞く事も大事だよ。
「特に、誰かからの忠告に耳を傾ける事は、身近に有りながら、気付けないで居た事に気づく為に役立つ事でしょう」
 男は少しばかり黙り、口を開いた。
「……それで、相手はどういうヤツなんだ」
「相手は穏やかに相手を遣り込めてくる、穏健でありながら粘り強い性分と見えます。ですが、穏やかさがあだとなり、優柔不断な面を見せるかもしれません。あなた自身が現実的な判断をする事で、何らかの可能性が見出せるのではないでしょうか」
 ――良い解釈だね。
 明日歌には、クッキーの目がまた少し動いた様に見えた。だが、男がそれに気づいている様には無かった。
「ありがとうな。あ、代金はプルートの奴に払うから、後で受け取ってくれ」
 男は立ち上がり、タロットルームから出て行った。
「……プルート……お知合いなんですかね、彼」
 ――あれは無愛想なエルフの兄貴だよ。
「無愛想……」
 ――そう。フラーラの代わりに入ってたエルフのオリヴィーニの。
「あぁ……だから、使い魔さん、サービスの事言わなかったんですね」
 ――ミーリャもよく知ってる相手だしね。



「それじゃ、オリヴィーニの事、頼んだぞ」
 女中奉公の先を辞め、人間界に逃げ出した妹を思うと、連れ戻したい気分だった。だが、ミーリャを通して話を聞くと、安易に連れ戻すのは酷な様にも思われた。何より、今、親と顔を合わせれば、破局的な事態が起こってしまう。
 男は心配を堪え、全てを“此処”に任せると決めた。
「えぇ。ネフリテス様こそ、武芸大会、是非勝ち進んで下さいね」
「あぁ、分かってるさ。俺達の復権が(かか)ってるにも等しいんだからな」
「ただ、無理はなさらないで下さいね。はい、これ」
 ミーリャは包んだバナナのチューロスを男に手渡す。
「なんだい?」
「バナナ……南の島で採れる、甘くてとろける様な舌触りの、お芋に少し似ている、変わった果実を入れた生地で作った油菓子です。バナナと言う果実は疲れを取る効果もありますから、帰ったらぜひ召し上がって下さい」
 男は少し照れたように笑った。
「恩に着るぜ、ミーリャ」
「頑張って下さいね」
 ミーリャの笑顔に送り出されながら、男はエレベーターに乗り込んだ。
 そして、地下に待っていたプルートと再び顔を合わせた。
「あの人間、なかなか面白そうだな。今から使い魔の声を聞けるとは」
「うん。だから、丁度良かったんだよ。きっと、あっちでも上手くやっていける魂の持主だよ」
 男は笑って、今度は人間以外の誰かで会ってみたいと言った。
「じゃあな。仕事、怠けるんじゃねえぞ」
「分かってるよ、今度ヘマしたら降格だもん」
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