第五話 適当カットの苺ケーキ

文字数 2,753文字

「それと、そもそも病んでるお客は断ってるから、こっちから救ってあげようとか思わない事ね。私達は患者を支えるのではなく、依頼者に、時として指図する事になるから」
 明日歌は首を傾げた。
「精神科の治療中はその(さまた)げになるから鑑定しませんって、案内に書いてるでしょ?」
 明日歌は鞄の中から、昨日のチラシを取り出した。
 ――各種占い・鑑定に関しまして。現在、精神科医による専門的な治療を受けられている方は治療上の不利益になる可能性がございますので、依頼をお受けする事が出来ません。また、身体的不調に関しては、医師の治療を受けられている方に限りお受けしています。
「一応、こっちも人間の世界ではセカンド・オピニオンって、別の医者にかかる事が自由だって事くらいは調べてるから、運勢占い以外はほぼお断りだけどね」
「お断りって、それ、いいんですか?」
 明日歌はチラシからフトゥールに視線を移す。
「えぇ、お断りでいいのよ。此処はカフェが本業で、占いはおまけだし」
 頬杖を突いていたフトゥールは姿勢を戻すと、クロスの上のカードの山に目を遣った。
「ちょっと話が()れちゃったけど、次からが大事よ。カードに質問を聞かせたら、シャッフルをする。混ぜ方は自由だけど、私は未来を占う時は時計回り、原因を調べる時には過去を聞く様に反時計回りに混ぜるかな。ま、その時の勘に任せて混ぜればいいわ、それも答えの内だから。どっちにも回す人だって居るし」
 クロスの上で、カードの山が時計回りに崩され、広げられていく。
「人間界の素材ではないから、普通のタロットよりはずっと混ぜやすいと思う。だけど、もし、カードがまとまらずにこぼれたなら、そのカードが答えかもしれないし、まとめるのに妙に難儀する様であれば、今その事を占うべきではないという暗示かもしれない」
「占うべきではない?」
「そう。問題となっている出来事が変動している状況では、現在を示すカードが定まらない。従って、未来を示すカードも定まらない。だから、そういう時は依頼不成立でお代を取らないのよ」
「え……わざわざ時間を取っているのに、お金にならなくていいんですか?」
「いいのよ。占えなかったなら依頼は不成立なんだから当り前。あちらが占えない事に納得して払うというのなら、気持ちだけ頂けばいいのよ」
「そんなものですか?」
「そんなものよ。さて、シャッフルも終わったし、まとめたら次はカット。みっつの山にカードを分けて、重ね直していくの。私は何度かに分けて重ねるけど、そのまま分けて、繰り返してもいい。このあたりはあなたの感性に任せるわ」
 フトゥールは再びカードをひとつの山に整える。
「山からの並べ方はそれぞれの展開法によっても変わるから、それは備え付けの手順書を読んでちょうだい。意味については使い魔が教えてくれるから安心して。ただ、占う時に、一番重要な事がある、それだけは覚えておいて」
 明日歌は不思議そうにフトゥールを見る。
「それはね、この事は、心に留めるだけにして下さいね、って言う事」
「口外するなという事ですか」
 フトゥールは首を振る。
「結果を真に受け過ぎるな、という警告よ。一番大事な事は、今日“あなた”が此処で何を感じ、考えたか、という事。タロットが示したのは、その道標(みちしるべ)に過ぎない、という事よ」
「道標……」
「そう。広げられたタロットカードは、地図の印。過去に通った道、今歩いている道、そして、歩く事になるであろう未来の道を示す道標の位置でしかない……もし悩んだ時には、この事を少し、思い出して欲しい、という事よ」
 フトゥールは小さく笑った。
「手順書を持ってくるわ。ついでに、練習用の市販のカードもね」
 フトゥールは立ち上がりかけ、ふと、思い出した様に女を見た。
「そうだ、もうひとつ大事な事があった」
「なんですか?」
「占う時には、手順よく占う事も大切だけれども、一番大切なのは、依頼主の明るい未来を願う気持ちよ。最後に決めるのは、依頼主自身なのだから」
 今度こそフトゥールは立ち上がり、タロットルームに向かった。それを眺めながら、明日歌は酷く不思議な気分になっていた。



 どうせ、後ひと月で死ぬ事になる。
 どうしようもなく暑い事を除けば、このままでもよかった。わざわざ片道一時間半かけて、得体の知れないカフェでアルバイトをする必要など無かった。ただ、(ことごと)く落されてきた面接に、漸く受かったという事で、家族は少しだけ安心している。故に、辞めるわけにもいかない。
 仮令(たとえ)、その道すがら、暑さで倒れようとも。
 八月十六日、明日歌は猛烈な暑さの中をあのカフェに向かって歩いていた。
 一応はスタッフであるが、裏口から入る様にという指示は受けておらず、仕方なく正面玄関から店に入る。
「いらっしゃいませー、三階へどうぞー」
 気の抜けた声が、店に入った彼女に向けられる。
 時刻は、午前十一時を少し過ぎた頃だった。
 明日歌は気の抜けた声に従うまま、階段を三階へと進む。
「あら、来たのね」
 隅のテーブルで、何やら雑誌を広げていたフトゥールは明日歌を見てほほ笑んだ。
「来たのね、ではありません、仕事ですから……」
 恨めしげに自分を見る明日歌に、フトゥールは苦笑いする。
「何か冷たい物を作ってあげる。待ってて」
「い、いえ、飲み物なら水筒を」
「気にしないで。私も一応、此処のスタッフだから」
 明日歌は、自分の立場は裏方だと伝えたかったが、エルフには通用しなかった。
 暫くすると、フトゥールはふたつのグラスを持って戻って来た。
「そろそろ来る頃だと思って、水出ししておいたの。セイロンのウバよ」
 フトゥールは元居た席にひとつ、その向かいにひとつ、グラスを下ろした。
「座って」
「いいんですか?」
「いいのよ。この時間は、まだ此処のフロア開放しないし、これを飲んだら、今日は展開法(スプレッド)を教えるからね、此処で」
「は、はぁ……」
 促されるまま、明日歌はフトゥールの前に腰を下ろす。ふと机の上の雑誌を見遣ると、見た事の無い文字が並んでいた。
「あ、あの、それ……」
「あー、これは魔界の雑誌よ……ふふ、魔界にこんな物あるとは思っていなかった、という顔ね」
 フトゥールは笑って紅茶に口を付ける。
「冷たい内に飲んで」
「は、はい……」
 用意された紅茶の風味に明日歌は首を傾げる。
「あれ? これ、ミントのブレンドですか?」
「いいえ、紅茶だけよ」
「それにしては、なんだか清涼感のある味ですね」
「紅茶の味の区別は出来るみたいね」
 フトゥールは笑った。
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