兄について

文字数 5,605文字

 兄は片目が見えなかった。
 生まれつきではなく、子供の頃に高熱が出てそうなったらしい。
 左目は母に似て綺麗な二重(ふたえ)だけど、右目は(まぶた)が垂れ下がり、黒目の部分が青白くなっていた。そこに光はなかった。
 大人になってから兄のことをふと考えて、片目をつむって生活してみたことがあるが、視界は狭いし歩く時もバランスを取りにくい。よくこれで過ごしてたなと思った。
 兄は自分の目について、辛いと口にしたことはなかった。でもそれは強かったからじゃない。かといって気を遣わせたくないから、というわけでもない。多分、その話題を出すことで注目されるのが嫌だったんだと思う。
 盲学校に通うでもなく、普通科の学校に行っていた兄のことを思うに、相当生きづらかったんじゃないだろうか。
 両目とも見えない方がある意味楽だったのかもしれないと、きっと何度も考えたはずだ。生まれつきじゃなく後天的に、しかも片目だけというのは、周囲との距離の取り方が難しかったに違いない。
 実際兄は中学の頃、学校に行ってない時期があった。詳細は知らないけど、多感な時期だ。理由はいくらでも思いつく。
 結局、業を煮やした父が怒鳴りつけ、翌日から兄は学校に行くようになった。僕は父が嫌いだ。
 僕たち兄弟は、上から兄、姉、僕。歳は三つずつ離れている。
 兄は僕らとそれなりに仲が良かったし、友だちも何人かいた。うちに遊びに来ていたから僕も知り合いだが、彼らの存在はけっこう支えになっていたと思う。それでも学校に行きたくないわけだから、よほど嫌だったんだろう。
 僕と兄はよく一緒にテレビゲームをしていて、姉と兄は音楽の話をしていた。僕も兄が音楽を聴いている時、イヤホンを片方借りて聴かせてもらったことがある。
 兄は兄なりに好きなものがあったし、生きること全てに絶望していたわけじゃない。少し天邪鬼(あまのじゃく)だけど、思慮深く平等主義な人だったと思う。

 その兄が死んだ。
 僕が小学校を卒業して、中学に上がる前の春休みだった。
「お父さん!」
 母が一階から父を呼ぶ声で目が覚めた。張り詰めた声で何度も呼んでいた。でも早朝だからか、父はなかなか起きない。
「大輔死んだ!」
 まだまどろんでいた僕は、その一言の意味がわからなかった。死んだとは聞こえたけど、言葉通りの意味なはずがないし、本当だとしてもそんな言い方があるか、と思ったからだ。
 僕は三段ベッドの二段目で寝ていて、下に姉がいた。父が降りてから僕が顔を出すと、同じく姉も顔を出して僕を見上げた。
「聞こえた?」と姉が小声で問うのに、僕は曖昧(あいまい)に首を傾げた。
 僕たちは階下からわずかに聞こえる話し声を聞き取ろうとしたけど、内容はわからない。ただずっと嫌な雰囲気があって、朝の涼しい空気が淀んでいたのを覚えている。
 三十分か一時間ぐらいした頃、父が上がってきて僕を呼んだ。
「警察の人が聞きたいことあるって」
 なんで? 警察? 何の用?
 困惑したまま下に降りると、玄関に知らない男の人が二人いて、そのうち前にいた中年の方が聞いてきた。
「昨日、お兄さんに何か変わった様子あった?」
 質問の意図がわからない。でも、僕の後ろには父がいて、余計なことを言えない感じがした。
「いや、別に……」
 その刑事さんは歯切れの悪い僕をじっと見、それから視線を外して父にこう言った。
「自殺ではないと思います」
 父は「そうですか」と言って、僕を二階へ促した。寝室に戻ってベッドに上がる時、姉に「なんやった?」と聞かれたけど、僕はまた曖昧な態度をとった。でもその間も、自殺じゃなかったらなんなんだろうという疑問がずっと渦巻いていて、何よりその聞き慣れない言葉が不安で仕方なかった。
 それからまた、今度は姉と二人で呼ばれた。
 一階の居間には兄が仰向けで倒れていて、首に結んだネクタイが掛かっていた。母の目は赤く、父が母に確認する形で僕たちに説明がなされた。
 大学に入ったばかりの兄は昨夜、ネクタイを結ぶ練習をすると言っていた。ネクタイはかなり緩んでいるから自殺ではない。警察の人いわく、おそらく心不全とのことだった。
 そう言われてもまったく頭に入ってこない。姉も同じようだった。
「親戚呼ばんと」
 と言う父に、母が答えにくそうに言った。
「その前に大輔……なんとかしやな」
 兄は少しねじれた体勢で、床に直接倒れていた。
「あ、ああ」
 言われて気づいたらしく、冷静に見えた父も動揺していたんだとわかった。
 母が布団を持ってきて居間に敷いた。両親が頭の方を、僕たち二人が足の方を持って布団に載せる時、片足だけでもずっしりとした重さがあった。それになんだか硬い。表面は柔らかさがあるのに、指がほとんど沈まないのだ。触ったことのない感覚があり、その時僕の中で初めて、目の前の人が死んでいるという実感が生まれた。兄の顔は青ざめて、半目になっていた。
 僕と姉はそこで泣いた。
 泣きわめいた。
 布団にすがりついて、ただひたすらに泣き続けた。

 しばらくして、喪服に着替えた母がやってきた。
「あんたらも着替えとき。そろそろ親戚の人来るから」
 そうは言っても僕たちは喪服なんて持ってないから、学校の制服を着た。それから庭にいる犬を連れて、外へ出ているよう言われた。うちの犬は知らない人には吠えたりする犬だったから、面倒だったんだろう。
 いつもの散歩コースから野良道を進んで、池の近くまで行った。
 入学式を迎える前に、中学の制服を着て外にいるのが不思議だった。姉も高校に入る直前だったから、同じような感覚だったかもしれない。
 その日は快晴で、田んぼから虫の声が聞こえた。姉と何を話したかは覚えていない。たぶん他愛もない話で、いつもより長い散歩に犬は喜んでいた。でもその間もずっと、さっきまでの事が頭の中にあって、本当の出来事だとわかっていても、考えないようにしていた気がする。
 しばらく時間をつぶして家に帰ると、玄関に大量の靴があって、兄の前には田舎の婆ちゃんらがいた。親戚の中で唯一親交のある人たちが、みんな見慣れない黒い服を着ている。泣いている人もいれば、立ち尽くしている人もいた。
 叔母が弱々しく僕の肩に手を置いた時、また泣きそうになったけど、どこかでそんな自分に乗り切れない気持ちもあった。それは悲しくないというわけじゃなく、たぶん悲しんだら現実を認めてしまうような気がしたからだ。
 二階の仏間には、他の親戚たちが集められていた。僕からすれば知らない人ばかりだ。
「いやー大きくなってえ」なんて言われても、僕には会った記憶がない。親戚という(くく)りに何の意味があるんだと思った。この人たちからすれば、薄い血の繋がりの人間が死んだから来た、ということでしかない。所詮は他人の集まりでしかないのだ。なのに上っ面で悲しんでみたり馴れ馴れしくしてみたり、わずらわしくてたまらなかった。
 そのうちお坊さんが来てお経をあげた。仏間に全員は入りきらないので、僕も含めて何人かは廊下に座布団を敷いてお経を聞いた。
 これも僕は初めてのことで、どう振舞えばいいのかわからない。それに、このお経にどんな意味があるんだと思った。意味をわかっている人が本当にいるのか、とも思った。だとしたらこの集まりは一体なんなんだろう。ほとんどが関わり合いのない人ばかりなのに、同じ服を着て同じように黙って念仏を聞くこれはなんなんだと。はっきりとじゃないにせよ、そんな気持ちがあったことは確かだ。

 お坊さんが帰った後は葬儀場の人が来て、大人たちが棺桶(かんおけ)を運んで車に積んだ。そこからお通夜まではよく覚えていない。
 ただ正直言えば退屈していた。うちの親は親戚に挨拶したり忙しくしていたけど、僕たちは特にやることがなく、歳の近い親戚と多少会話したぐらいだ。その中で、式場の前の方に置かれた兄の写真には、すごく違和感を覚えた。
 お通夜が終わると、僕と姉は犬の世話があるので一旦家に帰された。すっかり遅くなった晩ご飯を犬にあげ、制服を脱いでハンガーに掛ける。
 そうしていると、たまたまみんな留守にしているだけで、さっきまでのことが嘘のように感じられた。なのに思考はまるでまとまらない。
 お風呂の湯が溜まるのを待っている間、音量の小さなテレビの音は、耳を通り抜けていった。

 翌日に親が迎えに来て、午前中には葬式を終えた。それから一時間ぐらい待った後、全員が火葬場に集められた。
 火葬場はがらんとして静かだった。外の光が射し込んで、つるつるした石の床に反射している。僕たち家族は一番前に並んだ。
 兄の(ひつぎ)がレールのようなものの上に載っており、葬儀場の人が説明を終えると動き出した。壁の奥の空洞に向かって、ゆっくり進んでいく。
 棺が最奥に到着した後、壁のシャッターが降りはじめた。誰もがそれを見ることしかできない。これで最後だというのに、こんな機械的な終わり方が正規の手順だなんて、信じられなかった。
 シャッターが閉まりきると、やがて駆動音が聞こえてきた。轟々と、何か大掛かりな音が、壁の向こうで響いていた。
「大輔!」
 最初に叫んだのは田舎の婆ちゃんだった。
「大ちゃん!」
 それから姉が。母が。
 そこにいた人たちが、口々に兄の名前を叫んだ。何度も何度も名前を呼んだ。
 でも僕は何も言えなかった。
 黙って涙を(にじ)ませながら、(こぶし)を握っていた。顔を上げることもできなかった。
 どうしようもなく、ただそこに立っていた。

 もう十数年になる。
 よく「時の流れが傷を癒してくれる」なんて言うけど、僕はそうは思わない。それはただ鈍感になっているだけのことで、傷は癒えないし、空いた穴が他の何かで埋まることもない。そこにはいつまでも事実が横たわっているだけだ。
 僕は弟も亡くしている。
 といっても僕が二歳の頃で、記憶はない。生まれてから長くは生きられなかったそうだ。でも当時五歳の姉は覚えているらしい。ということは八歳だった兄も覚えていただろうし、何より両親にとっては忘れがたい出来事だろう。
 僕は兄のことを、忘れてはいけない、とは思わない。
 でも忘れたくないと思う。忘れることを平気にはなりたくない。
 弟のこともだ。覚えていなくても忘れたくない。僕の記憶がなくても、周りはそうじゃないからだ。
 僕は、人の痛みを想像できる人間でいたい。
 いつしか芽生えたその気持ちは、ずっと僕の中にある。

 ただまあ、感覚として、引きずってるとかトラウマとか、そんな感じではない。僕は自分の人生を歩んでいるし、何かに縛られているとも思わない。
 忘れないこと。前を向くこと。この二つを僕はたまたま両立できた。今まで嫌なことはたくさんあったけど、それでも生きていて良かった。
 そのせいか、ニュース番組で自殺が報じられた時、何も死ぬことはないのに、と思ってしまう。
 逃げればいいのに。
 生きてさえいればいいのに。
 そう思う。
 もちろんその人なりの辛さがあったと思うし、僕の価値観を押しつける気もない。事情を知らずにわかった風な口も利きたくない。
 だからせめて僕自身は、自分の命を大事にしようと思う。
 兄の死は、僕が生きていく理由にはならないのだから。

 そういえば、僕が高校に入ってすぐの頃、他のクラスから代理で先生が来たことがある。授業内容は覚えてないけど、十円玉の模写をやっていた。
 僕はその先生に見覚えがある気がして「ひょっとすると」と思いつつ描いていたら、こっそり先生が話しかけてきた。
「○○ってまさか……」
 僕はちょっとだけ珍しい苗字(みょうじ)だから、そこで「やっぱり」と思った。
 僕が黙ってうなずくと、先生は驚いた様子でさらに半歩近づいてきた。
「俺のことわかる?」
「はい」
 すると先生は顔を離して、
「そうか……そうかあ……」と感慨深げに呟いていた。僕も内心同じ気持ちだった。
 その先生に会ったのは三年前だ。
 兄の葬儀を終えてから、確か僕が中学に入って数日後、家に帰ったら知らない靴があった。
 こっそり二階に上がると、仏間で手を合わせている人がいて、母としゃべっていた。
「……本当にね、息子さん頑張ってました。休み時間なるとね、クラスの子がね『○○ここ教えてや』とか言って行くわけですよ。そしたら他の子が『俺も教えてや』とか言ってね、そしたら息子さんも色々説明するわけですよ。そんでね……」
 記憶にあるのはこの部分だけだ。でもすごくうれしかったのを覚えている。
 その人は高校で兄の担任をしていた。
 兄の人生は苦悩だらけだったと思うけど、そうやって家族以外の人の口から、兄が生きた証とか意味とか、人との繋がりみたいなことが聞けて、僕はうれしいやら安心したやら、何か胸に込み上げるものがあった。
 けっこう印象深い出来事だったから、一目見た先生の顔もなんとなく覚えていた。僕は兄と違う高校なので、その先生は転勤して偶然僕の高校に来たことになる。しかも僕が再会した一年後にはまた転勤したから、僕のクラスに来たのもその一度きりだった。
 僕は普段あまり運命とか奇跡とか口にしないけど、こればかりは巡り合わせだと思う。兄を忘れていない人がいるってことを知れたから。

 あと僕は形見分けでウォークマンをもらった。そこから音楽を聴くようになり、楽器も始めた。音楽は今でも好きだ。これからも人生の(かたわ)らにあるだろう。
 兄が亡くなって何もかもが悪い方向に進んだわけじゃない。かといって、良かったことを慰めにするつもりもない。結局は、事実と選択の積み重ねがあるだけだ。

 僕はこの先も、自分の意思を持って生きていく。長い時間が経っても、今の僕に言えるのはこれくらいだ。
 何が自分の人生にとって必要か。
 自分にとっての幸せとは何か。
 それらをずっと探し求めていく。
 まあ、続けていけば、多分どうにかなるだろう。
 なぜだか僕は、そんな気がしている。
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