Dr.ニコルの検死FILE

エピソードの総文字数=2,770文字

 しかし、やはりさすがはデイヴィッド警部の上官である。この無礼な部下の反抗も今回が初めてではなかったせいか、すぐさま気を取り直すや、わずかにこめかみをぴくつかせながらではあったが、さも落ち着き払ったような口調で言い返していた。
「君も何度言ったらわかるんだね? イースト・エンドでのこの猟奇的殺人は、やつ以外にはありえんよ」
「いいえ、絶対にやつじゃありません!」
「その根拠は?」
「たしかに切り裂きジャックの事件は、五年前の一八八八年から未解決のままです。そして今年に入って、それと似た事件が三件起きました。しかしこの三件の事件には、あの時の犯行とは明らかに異なる点があります! それが根拠です!」
「ほう、その異なる点とは?」
「まずはその切り口です!」
「ふむ……」
「切り裂きジャックは、まるで人の切り裂き方を熟知しているかのような、見事な切り口でした。しかしこの三件は、いずれも切り裂きジャックの足元にも及ばない、ずさんな殺し方。あちらにある仏さんを見てもらえば、それは一目瞭然です」
 言って、デイヴィッド警部はちらりと視線を移した。
 その先には、麻の布で覆われたなにか大きな物が、衆目から避けられるように置かれていた。
 むろんスティーヴ警視にも、それがなんであるかはわかっているはず。だが、夢見の悪くなるようなものは見たくもないのか、一瞥しただけでプイと視線を切ってしまった。
 いや、そればかりかコホンと咳払いをするや、
「それは後で見るとしよう。他にはなにかあるかね?」
 あからさまに話題を変えようとしてきたではないか。
 これには再度噛みつきたい衝動に駆られたデイヴィッド警部だったが、それでは埒が明かないと判断したのか、その気持ちをなんとか押さえ込み、話を先へ進めることとした。
「はい! 次に、被害者たちの年齢層です」
「年齢層ねぇ……」
「切り裂きジャックにいったいなんの目的があったのかはわかりませんが、かつてやつは四十代の売春婦のみを狙って犯行に及んでいました」
「ふむ……」
「しかし今回の被害者の身元は、二十四歳の売春婦、アイリーン・コックスであることが判明したんですよ。職業は同じ売春婦ではありますが、年齢が大きく食い違っているんです!」
「手際がいいな。もう身元が割れたのかね」
 言って、感心したように眉を上げるスティーヴ警視。
 しかし、デイヴィッド警部はそれを気にするでもなく、ずいっと言葉をかぶせてみせた。
「今回の被害者も二十代なら、前の二件の被害者とも同じく二十代の女性。これは切り裂きジャックのターゲット層ではないでしょう? なのになんで切り裂きジャックの犯行だと決めつけるんですか? おかしいじゃないですか!」
 すると、この叩き込むような物言いに、
「なかなかいい調べだな」
 怒り出すでもなく、なぜか再び感心したような言葉を発したスティーヴ警視。しかしその口から次いで飛び出してきたのは、なんとも意表を突く言葉だった。
「だが、デイヴィッド君。一つ見落としてはいないかね?」
「見落としぃ?」
「そう。たしかに切り裂きジャックのターゲット層は四十代の売春婦だった。だが、五年前の事件には例外もあっただろう。違うかね?」
 言われて、デイヴィッド警部はハッと眼を見開くしかなかった。
 その顔を見やってから、今度はスティーヴ警視が誇らしげにとうとうと言葉を続けた。
「五年前の最後の事件。そう、たしか被害者の名は、メアリー・ジェイン・ケリー。私の記憶がたしかならば、彼女は殺害当初二十五歳だったはず。違うかね?」
「……いえ、まったくもって、そのとおりです」
「ふむ。だとすれば、そのことが契機となり、ジャックが宗旨替えをしたとしても、なんらおかしくはない。違うかね?」
「か、確たる証拠でもあるんですか?」
「たしかに証拠はないな。ただ、それを言ってしまえば、君の言う、『ジャックではない』という確たる証拠も、ないではないか」
「むぅ……」
 もはやぐうの音も出ないデイヴィッド警部。
 だが、スティーヴ警視の追撃はなおも留まるところを知らなかった。
「それにさっき君の言った切り口に関しても、同じ事が言える。切り口がジャックのものかそうでないかは、同様に証拠がない。君は『五年前の切り口に比べてずさんだ』と言っているが、人間五年もたてば衰えもしようというもの。ゆえに、切り口の違いだけでは、残念ながら証拠にはならんね」
「さ、さすがにそれは決めつけすぎでしょう! だいたいジャック復帰説のみの線で捜査するというのは、いささか早計すぎやしませんか? 現時点では、やはり両方の線で捜査を──」
「デイヴィッド君!」
 スティーヴ警視は声を張り上げた。
 その声音に、さすがのデイヴィッド警部も思わず口を閉ざさずにはいられなかった。
 と、それを見届けてから、スティーヴ警視は低く、念を押すように付け加えた。
「これは私だけの決定ではない。上層部の決定なのだよ」
 その言葉には、有無を言わさない威厳が込められていた。
 だが、それでもやはり納得のいかないデイヴィッド警部。相手が誰であろうと知ったことかと、さっきの上司の声音に負けじとばかりに、再度憤然と食ってかかった。
「上層部の決定だろうと、俺は従えませんね! 我々ヤードは市民の安全を守るためのもんじゃねえんですか?」
 この剣幕に対し、スティーヴ警視はもはやお手上げとばかりに、はぁ~と溜め息を漏らすしかなかった。
「だったら好きにしたまえ……」
「ありがとうございます!」
 呆れ顔の上官とは目も合わさず、敬礼をするデイヴィッド警部。言葉には出さないが、内心は『しめしめ』である。
 だが、そんなデイヴィッド警部の考えを察していたのか、スティーヴ警視が即座に冷ややかな目で釘を刺す。
「ただし我々の邪魔だけはせんようにな」
「はっ、わかりました!」
 少々ムッとしつつも、ここは黙って従っておくが得策。そう判断し、デイヴィッド警部は一先ず威勢のいい返事をしておいた。
 しかし、上官からの申し置きはそれだけに留まらなかった。
「あと、君の酔狂なんぞでヤードの人員は割けんから、やるなら君一人でやるようにな」
 その突き放した物言いに、デイヴィッド警部はしきりと眼を丸くした。
「なっ!?」
「口答えは許さんぞ。嫌なら……、わかるな?」
「ぐむぅ……」
 デイヴィッド警部は、もはや押し黙るしかなかった。
 それを見て、にやりと笑うスティーヴ警視。
「それじゃあ、デイヴィッド君。せいぜいがんばりたまえ」
 言って、現場を後にしていった。
 その後ろ姿を見ながら、デイヴィッド警部はギリギリと歯噛みするだけだった。

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